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第3話 覚醒

1.



「ロイド、ただいま!」
 研究室の扉を勢いよく開け放ち、レフォール王子が満面の笑みで駆け込んで来た。
 人捜しマシンのガラスの筒に、朝の光が反射して眩しく煌めいている。ロイドはその横に立ち、少し驚いた表情で王子に視線を向けた。
 王子はそのまま駆け寄ると、ロイドの正面に立ち、彼を見上げて微笑んだ。
「心配かけて、ごめんね。隙を見てやっと逃げ出してきたんだ」
 ロイドは穏やかな表情で、王子を見つめて尋ねる。
「今まで、どうなさってたんですか?」
「悪い奴に捕まってたんだ。ずっと怖くて、帰りたくて、ロイドに会いたかった」
 ロイドは黙って耳を傾けている。王子は俯いて話を続けた。
「……気付けば、ロイドの事ばかり考えてた。ロイドはボクの友達だから、きっとすごく心配してるだろうなって。そう思うと、ロイドに会いたくて仕方がなかった」
 ロイドは相変わらず何も言わない。
「どうして、こんなにロイドの事ばかり気になるんだろうって、不思議に思った。だけど、気がついたんだ」
 王子は不意に顔を上げると、真剣な眼差しをロイドに注いだ。
「友達なんかじゃない。ボク、ロイドが好きだよ」
 反応を待ったが、ロイドは動かない。穏やかなその表情からは、驚きも、嫌悪も、喜びも、窺い知る事はできない。王子は更に言い募る。
「身分とか気にしなくていい。ボクの想いに応えてくれるなら、キスして」
 ロイドを見つめて、少し上向いたまま、王子は静かにまぶたを閉じた。
 次の瞬間、ロイドは王子の鼻先に軽く口づけた。
 ピクリと身体を震わせて、王子が目を開くと、ロイドは片手でメガネを外しながら、王子の身体を抱き寄せた。
 驚いて目を見張る王子の唇に、ロイドはためらうことなく深い口づけを刻む。
 王子は身を硬くして、再びきつく目を閉じた。
 少ししてロイドは、王子の唇を解放し、抱きしめていた腕をほどいた。
 王子は目を開き、驚愕の表情でロイドを見つめる。
「ロイドって、やっぱり……」
 何かを言いかけた王子を見下ろして、ロイドは目を細めると、その額を強く叩いた。
「何のつもりだ」
 王子のフリをした結衣が、額を押さえて顔を歪める。
「気がついてたの?」
 ロイドは憮然とした表情で、メガネをかけ直すと、冷ややかに結衣を見下ろした。
「気がつかないわけがないだろう。オレとキスしたいなら素直にそう言え。ったく、回りくどい」
「違うわよ」
 結衣が頬を赤らめて否定すると、ロイドは眉間にしわを寄せて問いかける。
「じゃあ、何だ」
 結衣は常々思っていた疑問をロイドに打ち明けた。
「私って王子様にそっくりなんでしょ? だから、ロイドにとっての私は、やっぱり王子様の身代わりなのかなって思ったの」
 結衣がクランベールにやって来て、すでに十日が経っていた。その間結衣は、王やロイドとの約束を守り、事情を知らない人の前では、王子を演じ続けている。そして、ジレット以外の誰にもばれていない。
 ラクロット氏に徹底的に仕込まれたとはいえ、役者でもなければ、演劇経験も小学校の学芸会以外、皆無の結衣を、皆が王子と信じて疑わないというのは、よほど王子とそっくりだからに違いない。
 それほど王子とそっくりな結衣に対して、ロイドは抱きしめたり、キスをしたりする。それは王子を好きだからではないのか、と思ったのだ。
 本物の王子にそんな事をすれば、不敬に当たる。その上、同性愛者のレッテルを貼られてしまうだろう。
 だが、結衣は王子ではない。王子とそっくりな結衣を王子の身代わりとして、道ならぬ想いをぶつけていたのではないか、という結論に達したのだ。
 話を聞いてロイドは、思い切り呆れた表情で結衣を見つめた。
「どこから、そういう発想が湧いて出るんだ」
「だって……」
「だってじゃない! オレは男を好きになった事は一度もない。思い切り女好きだ」
 拳を握って高らかに宣言するロイドに、結衣はすっかり脱力して、反論する気もすっかり失せた。
 ストレートがゲイの疑いをかけられるのは、確かに屈辱かもしれないが、女好きを力説するのもどうかと思う。
 大きくため息をつく結衣の額を再び叩いて、ロイドは力説を続ける。
「第一、オレはおまえを殿下だと思った事もない。たとえ百万人の殿下のクローンの中に、おまえが紛れ込んでいても、オレは見分ける自信がある」
 こちらこそ、どこからそんな途方もない自信が湧いて出るのか、訊いてみたい。
 そう思いながら、ふとロイドの言葉が心に引っかかった。
「ねぇ、どうして王子様のクローンを、元々用意してなかったの? クランベールの科学技術ならクローンなんて簡単に作れるでしょ?」
 結衣が尋ねると、ロイドは逆に問い返してきた。
「ニッポンには、人間のクローンがいるのか?」
「いないと思う。日本だけじゃなくて、世界中のどこにも。牛や羊の動物実験が成功したって話は、聞いた事あるけど」
 ロイドはひとつ嘆息すると、結衣の質問に答えた。
「クランベールにも、ヒトのクローンはいない。前陛下の勅命により、二十五年前に禁止されている」
「二十五年前にはいたの? その人、今は?」
 何の気なしに尋ねた後で、気付いた。二十五年前にロイドは五歳前後だ。さすがに学者ではなかっただろう。クローンの所在など知るはずがない。
 バカな事を訊いたものだと思っていると、
「オレも陛下に伺った話だが」
と前置きして、ロイドはクローンについて話し始めた。
 二十五年前、まだ王子だった国王は、度々熱を出しては寝込む事の多い、病弱な少年だった。
 公式行事への欠席も頻繁で、次期国王がこれでは、国民に不安を抱かせかねないと、国王を始め、大臣たちも頭をかかえていた。
 その頃、科学技術局では、ヒトのクローニング技術が確立され、被験者同意の下での不妊治療の一環として、ヒトクローンの成功が報告されていた。
 培養液の中での、生体急速成長技術も確立されている。
 王室は極秘裡に、病弱な王子のクローン作成を科学技術局に要請した。せめて公式行事に参列する、王子の身代わりが欲しかったのだ。
 母胎を使わないヒトクローンの作成という初の試みに、科学技術局のバイオ科学者たちは沸き返った。
「科学者ってのは、理論が確立されていれば、それを実証してみなければ気が済まない。おまけに熱中すると、周りや後先の事が見えなくなる。そんなバカが多いんだ。オレもその感覚はよくわかる。同じバカの仲間だからな」
 そう言って、ロイドは自嘲気味に笑った。
「それで、結局王様のクローンは成功したの?」
「あぁ。わずか半年で、当時の陛下とまるっきり同じ少年が誕生したらしい」
 生まれたクローン少年は、外見だけ王子とそっくりだったが、脳の中身は生まれたての赤ん坊と同じだ。そのままでは身代わりの役目は果たせない。
 それについては、あらかじめ分かっていた事なので、培養液の中で成長中に、脳に直接記憶や知識を植え付けて、培養液から出た時には、人間の少年として生活するには支障のない状態になっていた。
 クローン少年は培養液から出た後、王子としての教育を受けながら、本物の王子や弟のラフィット殿下と共に分け隔てなく育てられた。
 王子たちには、少年がクローンである事は知らされていない。クローン少年自身も、与えられた偽りの記憶により、王子たちの生き別れになっていた兄弟だと信じ込んでいた。この頃が、クローン少年にとって一番幸せだった時期かもしれない。
 クローン少年は発育の経過を確認するため、定期的に検査を受けていた。
 そしてある時、科学者の一人が、クローン少年に出生の秘密をうっかり漏らしてしまったのだ。
 生まれて間もない少年の心は、過酷な現実に納得して、受け止められるほどには強くなかった。
 クローン少年は思い悩み、次第に心を病んでいった。そして、遂には人に会うのを嫌がり、部屋に引きこもったまま出て来なくなった。
「かわいそう。その子、どうなったの?」
「自ら命を絶った」
 クローン少年の死後、王子は初めて真相を知った。王子は大層心を痛め、「こんな悲しい思いは二度としたくない」と、ヒトクローン作成の全面禁止を、泣きながら国王に懇願した。
 国王はこれを重く受け止め、科学技術局と全ての民間研究機関に勅令を発し、以来クランベールではヒトクローンは禁止されている。
「おまえは、クローンが何だかわかっているのか?」
 新たな質問返しに、結衣は持てる知識を総動員して答える。
「元になる生き物と、全く同じ遺伝子を持つコピーの事でしょ?」
「そうだ。いわば、人工的に作られた一卵性双生児のようなものだ。全く同じ環境で、同じものを食べ、同じ教育と愛情を受けて育ったとしても、双子が全く同じ人間にならない事は知ってるだろう。クローンも同じだ。そんな事はわかりきってた事なのに」
 最後の言葉には、いたたまれない虚しさが漂っていた。
「でも、禁止されたからって、本当にやめちゃったの? そんな、物わかりよくないでしょ? 学者バカって」
 結衣の言葉に、ロイドはニヤリと笑うと真相を明かした。
「言うじゃないか。確かにその通りだがな。禁止されたのは脳と全身の複製だけだ。四肢や臓器、皮膚の複製は禁じられていない。今は主に医療の分野で、当たり前のように実用されている。手足や胃が世を儚んで自殺したりはしないからな。転んでもタダで起きないのが、学者バカの取り柄だ」
 結衣は思わず、クスリと笑う。確かに、科学者が何かに躓いてすぐに諦めていたら、世の中は何も発展しなかっただろう。
 国王のクローンと、クローンが禁止された理由は分かったが、クローンは他にもいたはずだ。
 ロイドは、今クローンはいないと言った。不妊治療の一環として生まれてきたクローンはどうなったのだろう。
 望まれて、母の胎内から普通に生まれてきた子供が、クローンだったからといって自殺したとは考えにくい。それが気になったので、ロイドに尋ねてみた。ロイドは再び表情を曇らせる。
「みんな短命だったそうだ。当時はまだテロメアの修復技術が不完全だったからな」
 訳のわからない単語に、結衣は眉間にしわを寄せる。
「テロメア? ――って何?」
「人間を含む真核生物の染色体は末端にテロメアという構造を持っている。こいつには染色体を安定させる役割がある。細胞分裂のたびにテロメアは短縮され、なくなると分裂は止まる。テロメアを失って不安定になった細胞は癌化するので、アポトーシスによって取り除かれる。通常テロメアは短縮されるだけで、伸びる事はない。つまり、分裂のたびに細胞は老化していくという事だ。クローニングに使われる体細胞の核は、すでにある程度老化している。だから体細胞クローンは短命なんだ」
 一気にまくし立てるロイドに、結衣はしばし沈黙した。
「……ごめん。途中から思考回路にシャッターが下りた。つまり、どういう事?」
「……体細胞から作られたクローンは、見た目が赤ん坊でも、細胞は大人だから長生きできないという事だ」
 相変わらずロイドの知識量には感心する。結衣は半ば呆れたように、ロイドに尋ねた。
「あなたって、機械専門の割に、人間の脳や身体の事にも、やたらと詳しいのね」
「ラフィット殿下がおっしゃってただろう。オレはちまちました機械が得意なんだ。そういうちまちました機械は、人間の心理や動きに密接に関係している。たとえば、この携帯用パワードスーツ」
 そう言ってロイドは、ポケットから折りたたまれた棒状の金属を取り出した。
 ロイドがそこについたボタンを押すと、金属の棒は四方に蜘蛛の足のような状態で広がった。
「これは手足に装着して、通常の力で二倍から三倍の重さのものを持ち上げたりできるんだ。おまえでもオレを持ち上げる事ができるぞ。これも、脳科学や生体力学なくしては作れない」
 今度のマシンは役に立ちそうだが、何故それをポケットに入れて持ち歩いているのかは謎だ。
 色々と不思議なマシンが出てくる、ロイドの白衣のポケットは、まるで四次元ポケットのようだ、と結衣は思った。
 クローンの事ですっかり話が脱線してしまったが、結衣は話を本題に戻した。
「で、話を元に戻すけど、王子様が好きなわけじゃないなら、どうして私にキスするの?」
 ロイドは開いたマシンを折りたたみながら、気まずそうにチラリと結衣に視線を送った。そして、折りたたんだマシンをポケットにしまうと、クルリと背を向けて吐き捨てるように言う。
「おまえの唇がそうさせるんだ」
「はぁ?」
 意味がわからない。また、結衣の方がキスをしたいと言っている、とでも言うのだろうか。
「どういう意味よ!」
 結衣がムッとして怒鳴ると、ロイドは背を向けたまま、入口横の工具置き場に向かって歩き始めた。
「そのままの意味だ。おまえの唇はそういう魔性を秘めている」
「……え……」
 思わずキスしたくなる魔性の唇。
 それが本当なら、今まで二十三年間、男に縁のない生活を送ってきた結衣の人生に説明がつかない。
 結衣が絶句して立ち尽くしていると、入口の扉が開いてローザンがやってきた。
「おはようございます」
 挨拶と共に入口横にいるロイドに目を留めると、ローザンは不思議そうに尋ねた。
「あれ? ロイドさん、顔が……」
「黙れ!」
 言い終わる前にロイドにいきなり怒鳴られ、ローザンはのけぞって一歩退く。
「なんで、朝から怒ってるんですか」
 ローザンは扉を閉めて部屋に入ると、今度は結衣に尋ねた。
「何かあったんですか?」
「ううん。別に」
 結衣が苦笑して答えると、ローザンは首を傾げながら、いつもの定位置、コンピュータの方に歩いていった。



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