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2. 今日もまた、退屈な一日が始まった。まさか、朝からいきなりキスをされるとは思わなかったが、それ以外はいつもと変わらない。 ローザンはコンピュータの前に座り、ロイドの指示でデータ解析を行い、ロイドは隣の机でローザンの解析結果を眺めたり、機能縮小版の人捜しマシンを確認したりしている。 今日は全長三十センチはある大きな工具、スパナを使い、正規版の人捜しマシンの裏で六角のボルトを回していた。 大きなスパナは金属製で、見るからに重そうだ。持ち歩いているだけで、筋トレになりそうな気がする。そんな事をしているから、学者のくせに無駄にいい身体になるのではないか、と結衣は思った。 結衣は二人の様子を時々眺めながら、窓際に置かれた椅子に座り、ひざの上に広げた絵本をパラパラとめくった。 結衣が退屈してぼやくとうるさいので、ロイドが暇つぶし用に王宮の図書室から、数冊持ってきてくれたものだ。 王子が子供の頃に読んでいたという、その絵本は文字がほとんどなく、ページ一面にカラフルな絵が描かれていて、文字の読めない結衣でも充分に楽しめた。 一通り見終わった後、結衣は絵本を閉じて、肩に留まった小鳥を手の平に乗せると頭を撫でた。 しばらく、ぼんやりそうしていると、入口の扉がノックされ、珍しい客人が現れた。 「ヒューパック様、いますか?」 声をかけて扉の隙間から顔を覗かせたのは、厨房の女の子だ。 結衣は最近、時々ケーキを作りに厨房に通っているので、お菓子作り担当の彼女とはすっかり仲良くなっていた。 「パルメ、どうしたの?」 「あ、レフォール殿下。こちらにいらしたんですか。ちょっと調理機械の調子がおかしくて……。あの、ヒューパック様は……」 そう言って、パルメは部屋の中をキョロキョロ見回した。 結衣が横に視線を向けると、入口からは死角になる人捜しマシンの裏で、ロイドは座り込んでいた。マシンから取り出した基盤を眺めて、いじり回すのに熱中している。人が来た事に気付いていないようだ。 結衣はひとつ嘆息すると、少し大きな声でロイドを呼んだ。 「ロイド、お客さんだよ」 結衣の声に反応して顔を上げたロイドは、立ち上がって入口に向かった。 入口でパルメの話を聞いた後、ロイドは振り返り、 「殿下、厨房に行って参りますので、少しの間そこでお待ちください」 と言って、部屋を出て行った。 結衣が二冊目の絵本を読み終わる頃、ロイドが研究室に戻ってきた。 「土産だ。二人で食え」 そう言ってロイドは、持っていた紙袋を結衣に突き出した。結衣は席を立ち、袋を受け取りながら顔をほころばせる。 「パルメのお菓子?」 「あぁ」 ロイドは不服そうに顔を背けた。 結衣が袋を開けて中を覗くと、そこにはシュークリームが二つ入っていた。相変わらず、厨房のお菓子はもらわない事にしているらしい。ロイド曰く、彼が満足するだけもらうと、お菓子がなくなるからだ。 「ローザン、お茶にしよう」 「はい」 結衣が声をかけると、ローザンは嬉しそうに返事をして立ち上がった。 「あなたもお茶は飲むでしょ?」 「砂糖十五杯でな」 「はいはい」 ロイドが実は”超”の付く甘党だというのを知ったのは五日ほど前だが、未だにこの砂糖十五杯は馴染めない。 結衣がお茶を淹れると、三人は部屋の隅の机を囲んで座った。結衣とローザンは紙袋からシュークリームを取り出し、手づかみでそれを頬張る。 「これ、私が作り方教えたの」 「いいですね。こうやって手づかみで食べられるお菓子って」 極甘のお茶をすすりながら、ロイドは二人を黙って見つめる。物欲しそうな視線に気付いて、結衣は一応なだめてみた。 「今度、あなたにも作ってあげるから」 「そのサイズなら二十個だ」 「はいはい」 苦笑して、結衣が再びシュークリームを食べ始めると、ロイドはまだ何か言いたそうにこちらを見ている。 「何?」 結衣が尋ねると、ロイドは呆れたように見つめて、口を開いた。 「おまえ、いつも甘いもの食って、座ったままほとんど動かないのに、なんで太らないんだ?」 毎日、砂糖十五杯入りのお茶をガブガブ飲んでも、太らない人に言われたくない。 「知らないわよ。体質なんだから」 ムッとして結衣が頬を膨らませると、ロイドはさらに言う。 「それにしたって、抱くたびに細くなってる気がするぞ」 途端にローザンが、喉を詰まらせて激しく咳き込んだ。 「汚いな、おまえ」 ロイドは自分のカップを持ち上げて、ローザンから遠ざける。 「ちょっと、大丈夫?」 結衣が覗き込むと、ローザンはひとしきり咳き込んだ後、お茶を一口飲んで息を整え、ロイドと結衣を交互に見つめて問いかけた。 「お二人の仲は、そんなとこまで進展してたんですか?」 「違うわよ!」 結衣は頬を赤らめ、思い切り否定すると、ロイドを睨んだ。 「もう! あなたが誤解を招くような事を言うから!」 「ウソは言ってない」 しれっとして、そっぽを向いたロイドをチラリと見て、ローザンは困惑した表情で結衣を見つめる。 「不可抗力よ。たまたま何度か、抱きしめられるような形になっただけよ」 「はぁ……」 結衣が苦しい言い訳をすると、ローザンは納得したようなしないような表情で、小さく頷いた。 不可抗力というよりは、ほとんどロイドのセクハラのような気がする。 結衣は気を取り直して、話題を変えた。 「パルメの用事は何だったの?」 ロイドはお茶をすすりながら首を傾げる。 「調理機械の不調だと言われて見に行ったんだが、どこもおかしくない。不調というより怪奇現象っぽかったな」 結衣とローザンは同時に顔をしかめた。 「怪奇現象ですか?」 「今度は厨房に幽霊が出たの?」 「幽霊じゃない」 パルメが言うには、調理機械の中から、出来上がった料理が忽然と消えるらしい。誰かが持ち出したのかと思い、厨房の者に訊いても、皆一様に知らないと言う。 それを体験したのは、パルメだけではなく、他にも何人かいるという。まさかとは思うが、機械に転送機能でも付いているのではないかと、ロイドに確認してもらったようだ。 「転送機能なんて付いてるの?」 結衣が尋ねると、ロイドは眉をひそめる。 「付いてるわけないだろう。そんな無意味なもの」 「……え……」 無意味なものを色々作っている人が、何を言う。――とは言わない事にしておいた。 「誰かが内緒で、こっそり犬猫を飼ってるんじゃないですか? そのエサに料理を持って行ったとか……」 ローザンが仮説を述べると、ロイドはあっさり否定した。 「違うだろうな。消えた料理は犬猫が食うようなものじゃなかった。第一量が多すぎる。それに犬猫にやるなら、料理を丸ごと持って行くより、肉や魚の切れ端でも持って行った方が、騒がれずに済むじゃないか」 「そうですねぇ。じゃあ、人間?」 ローザンがそう言って苦笑した時、結衣はふと閃いた。 「もしかして、王子様じゃない?」 「殿下?」 ロイドが訝しげに結衣を見つめる。 「王子様が王宮内のどこかに隠れてて、料理を食べてるのよ。客室の幽霊も王子様じゃないの?」 結衣は興奮して、自説推理を展開したが、ロイドは冷めた調子で問い返した。 「おまえの推理はなかなか素晴らしい。だが、一つ難がある。王宮内は捜索隊が、地下の霊廟に至るまで、真っ先に隈無く捜索したんだ。王宮外はオレのマシンが同時に捜索している。その時に殿下はどこにいらしたのか、教えてくれないか?」 結衣はロイドを睨んで頬を膨らませると、プイと顔を背けた。 「悪かったわね、ヘボ推理で。地下に霊廟なんかあるから、幽霊話が絶えないんじゃないの?」 「そうかもな」 結局、料理消失の謎は謎のまま、話は途絶えた。 三人は休憩を終えると、それぞれ元の位置に戻っていった。 そのまま午前中は、何事もなく退屈に過ぎ去った。そして昼食後、結衣が再び窓辺の椅子で絵本を広げた時、またしても研究室の扉がノックされた。今日はよく来客のある日だ。 扉を開けて現れたのは、ラクロット氏だった。 「失礼します。レフォール殿下、ジレット様がお見えです」 「わかった、すぐ行く」 結衣が絵本を置いて立ち上がると、そばの床に座り込んで、基盤をいじっていたロイドが、顔を上げてつぶやいた。 「最近よくお見えになるな」 「うん。退屈だから、どんどん遊びに来てって頼んだの。ジレットって、かわいいし、やっぱ女同士でおしゃべりするのって楽しいのよね」 結衣が楽しそうにそう言うと、ロイドは真顔で結衣を見つめた。 「おまえが頼んだのか?」 「うん。いけなかった?」 「……あまり不必要に親しくしすぎない方がいい。おまえは殿下なんだ」 ロイドが何を言いたいのかわからず、結衣は憤る。 「わかってるけど、婚約者と親しくして何が悪いの?」 「婚約者だからだ」 「意味わかんない! 説明して!」 結衣が苛々して叫ぶと、ロイドは俯いて大きくため息をついた。 「後で話す。とりあえず行ってこい」 結衣は眉を寄せてロイドを見つめた後、入口に向かった。入口ではラクロット氏が二人の様子を心配そうに見つめている。結衣は小走りにラクロット氏の元へ駆け寄った。 「待たせてごめん」 そう言って、ラクロット氏と共に、ジレットの待つ貴賓室へ向かった。 小一時間ほど、お茶を飲みながらおしゃべりをすると、ジレットは席を立った。 貴賓室を出て、ジレットを見送ると、ラクロット氏は足早に国王の執務室へ向かった。そして、廊下にはロイドが立っていた。 「わざわざ迎えに来たの?」 結衣は歩み寄ると、ロイドに尋ねた。 「ラクロットさんから連絡があった。陛下に急用を仰せつかったらしい。この辺は物騒だからな」 真顔で言うロイドに、結衣は苦笑する。 「おおげさね。王宮の中よ」 「おまえこそ、少しは緊張しろ。穴に落とされたのを忘れたのか。王宮の中でも安心するな」 結衣はムッとしてロイドを睨むと、話題を変えた。 「会うのは週に一回くらいにしようって、ジレットに言っといたわ」 「そうか」 ロイドの表情が少し緩んだのを見て、ふとイタズラ心が芽生えた。何もかもロイドのいいなりになるのはシャクなので、ちょっとからかってやろうと思ったのだ。 結衣はイタズラっぽい笑みを浮かべ、ロイドを上目遣いに見上げて言う。 「あなたが、ヤキモチ焼くからって」 「なっ……! 何て事を言うんだ、おまえは!」 ロイドは思い切り目を見開くと、結衣の額を強く叩いた。 「誰が女相手にヤキモチなんか焼くか! オレが心配してるのは、そんな浮ついた理由じゃない!」 まさか、これほど動揺するとは思わなかった。結衣は額を押さえてすぐに訂正した。 「ウソよ。文字の勉強が忙しいからって、本当はそう言ったの。あなたがこんなにうろたえるなんて珍しいわね」 ロイドは気まずそうに結衣を睨むと、背を向けて歩き始めた。 「行くぞ。歩きながら話す」 結衣は慌ててその後を追った。 人のいない廊下を研究室に向かって歩きながら、ロイドは話し始めた。 結衣とジレットが頻繁に会っていると、王子の結婚が近いのではないかと勘繰られかねない。そんな噂が立てば、今は沈静化している王位継承問題が、表面化してくるだろうと言うのだ。 「だって、王子様十七歳でしょ? ジレットは十五歳だし。結婚なんてまだ……」 「王族や貴族は早婚なんだ。十歳位ですでに婚約者が決まっている事が多い。下賤の血を混ぜないためだろう。陛下も二十歳の時、ご結婚なさった」 「じゃあ、お貴族様にしてみれば、あなたのように三十前後まで独り身なんて、あり得ない事なのね」 「黙れ。おまえだって立派な行き遅れだ。女子は大体二十歳までには結婚するからな」 イヤミを言ったつもりが言い返されて、結衣はムッとする。そして、ふと思った。 もしかしたら王は、結衣を手元に置きたいというよりは、ロイドの行く末を心配して結婚を勧めたのではないだろうか。 女好きを豪語するエロ学者ぶりから見て、女に興味がないわけではないだろうが、この男は放って置いたら一生機械と添い遂げそうに見える。 結衣とロイドの結婚は、甘えてくれない息子と結婚しないロイド、という王の気苦労を一石二鳥で取り除く会心の策だったのだろう。 話している内に研究室にたどり着いた。扉の前で立ち止まると、ロイドは振り返って釘を刺す。 「とにかく、もうすでに噂になってるかもしれない。身辺には気を配れよ」 「わかった」 結衣が全く違う事を考えてため息をついていると、ロイドが結衣を見つめてニヤリと笑った。 「後で文字の学習教材を持ってきてやる。自分で言ったからには、やってもらわないとな」 「いいわよ。そのかわりケーキ作れなくなるけど、いいの?」 結衣が反撃すると、ロイドは表情を崩すことなく平然と言う。 「オレは一向にかまわない。甘いものは街で買ってくればいいわけだし。おまえの方が文字の勉強だけしている事に耐えられるならな」 結衣は絶句する。確かに耐えられそうにない。またしてもロイドのいいなりだ。 「もう! くやしーっ! こんな事なら、ヤキモチだって言っとけばよかった」 結衣がわめくと、ロイドはすかさず額を叩いた。 「ふざけるな。それじゃ、まるでオレが……」 そこまで言って、ロイドは口をつぐみ、不愉快そうに顔を背けると、扉を開けて研究室に入って行った。 『まるでオレが……』――何? ロイドが何を言いかけたのか気になった。 結衣は首を傾げながら、ロイドの後について研究室に入った。 |
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