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3.



 研究室に入ると、ローザンが立ち上がり、ロイドに歩み寄って来た。
「ロイドさん、科学技術局から、一度顔を出してくれって連絡がありました」
「当分行けないって、言ってあるんだがな」
 ロイドがそう言うと、ローザンはうんざりしたように、ため息をついた。
「そうだろうと思って、言ってみたんですけどね。なんでも、局長の承認が下りないと臨床に回せないものがいくつかあるらしくて、手空きになる局員が数名いるそうなんです。それで副局長から延々二十分くらい愚痴を聞かされて……」
「それは災難だったな」
 ロイドは憐れむようにローザンの肩をポンポン叩いた。
「それにしても、手空きになる事自体おかしいだろう。研究者なら他にやりたい事の一つや二つあるはずだ。オレなんか、一生の内にやり遂げられるかどうか分からないくらい、やりたい事があるぞ」
 ロイドの意見に大きく頷いて、ローザンが同調する。
「そうですよね。ぼくなんか、やりたい事いっぱいあるのに、関係ない事を手伝ってるんですよ」
「おまえのやりたい事を、うちの局員に分けてやってくれないか?」
「いやですよ。ぼくがやりたいんですから。ロイドさんこそ、有り余ってるんなら分けてあげたらどうですか?」
「絶対、イヤだ」
 やりたい事の数を競い合っている二人を不思議に思って、結衣が問いかけた。
「ローザンって、お医者さんじゃなかったの?」
 結衣の声に気付いて、二人は同時にこちらを向く。ローザンが笑顔で答えた。
「医師ですよ。専門は外科と内科と循環器科です。そして、研究者でもあります」
「え? 学者さんなの?」
 結衣が驚いて再び尋ねると、代わりにロイドが答えた。
「こいつ、見た目はとぼけてるが、医学博士の称号を持ってる。オレと同じ、学者バカ仲間だ。虫も殺せないような顔をして、おまえが怖がってた生体実験をバリバリにやってるぞ」
 意地悪な笑みを浮かべるロイドに、結衣が顔を引きつらせると、ローザンが横から小突いた。
「変な言い方しないでくださいよ。ユイさんが引いてるじゃないですか」
 確かにちょっと引いた。普段穏和なローザンが、実験動物を薬漬けにしたり、病巣を植え付けて観察したりしている姿は想像できない。
 結衣が苦笑すると、ローザンも苦笑を返した。
 突然、ロイドが大袈裟にため息をついて、頭をガシガシかいた。
「仕方ない。明日にでも一度顔出しとくか。ったく、手空きになるのはどいつだ。喝入れてやる」
 ロイドの喝って何だろう。やっぱり額をビシビシ叩くんだろうか、と結衣が考えていると、ローザンがクスクス笑いながら追加提案した。
「ついでに自宅にも寄ってきたらどうですか? ブラーヌさんが帰ってるそうですよ」
「あの放浪おやじ帰ってたのか。半年ぶりだな」
「お父さんなの?」
「あぁ、そんなようなもんだ」
 結衣が尋ねると、ロイドは説明した。
 ブラーヌ=ヒューパックは、幼いロイドを遺跡で拾い、そのまま引き取った考古学者だ。一年の大半を、各地の遺跡を点々として過ごし、滅多に自宅に戻らない。その生活はロイドが幼い頃から、ずっと変わらなかった。
 拾われて間もない頃は、ロイドもブラーヌと共に遺跡を巡っていたが、学校に上がる頃には、ブラーヌはロイドを置いて、ひとりで旅に出るようになった。何年も帰ってこない事もあるので、以来、数えるほどしか顔を合わせていないという。
「小さい頃、大変じゃなかったの?」
 結衣がそう言うと、ロイドは肩をすくめる。
「別に。近所の人が時々様子を見に来てくれてたし、むしろあいつの方が、今も生きてるのが不思議なくらいだ。あいつ、オレには自分の面倒は自分で見ろ、と言っておきながら、自分の面倒は自分で見ないんだ。放って置いたら、メシも食わずに一日中、土くれを眺めたり転がしたりしてるんだぞ」
「……え……」
 ロイドも機械をいじり始めたら、周りが何も見えなくなる。血がつながってないのに、似たもの親子だと結衣は思った。
「おかげでガキの頃から、あいつの面倒までオレが見てた。ひとりの方が仕事量が減る分、楽だったな」
 結衣は思わず苦笑する。ローザンが言ってたロイドの面倒見のいい性格は、こうやって培われたのかもしれない。
 ロイドは再び頭をガシガシかいた。
「仕方ない。変死体になってたら面倒だから、そっちも様子を見に行くか。ほら、仕事に戻るぞ」
 そう言ってロイドは、ローザンの背中を叩くと、コンピュータの前へと促した。
 結衣は二人から離れて、まっすぐに窓際の椅子へ向かい、絵本を手に取る。
 コンピュータの前に座った途端ローザンが、人捜しマシンの方へ足を向けたロイドを呼び止めた。
「ロイドさん、時々出てくるウィンドウなんですけど、出ないようにできませんか? ちょっと、うっとうしいんですよね」
 ロイドは足を止めて、ローザンを振り返る。
「うっとうしいって、日に一、二回のもんだろ?」
 ロイドが問いかけると、ローザンは思い切り顔をしかめた。
「えーっ? そんなもんじゃありませんよ。間隔にはムラがあるんですけど、何度も出ますよ。数えてないので正確には分かりませんが、日に十回以上は出てます。今も、ちょっと話してる間に三つも出てますし」
「そんなに出てるのか?」
 ロイドは足早に歩み寄ると、コンピュータの画面を覗き込んだ。
 絵本を持ったまま立ち尽くして、二人の様子を見ていた結衣も、何だか気になって、側に行くと後ろから覗き込んだ。
 画面の真ん中に、文字の書かれた小さなウィンドウが三つ、重なるように表示されている。ロイドがそれを、一つずつ確認しながら閉じていくのを、横でローザンが読み上げた。
「ジスクール……ベイシュヴェル……ラグランジュ……。なんですか? この地名……」
「探知機を設置した遺跡だ。他に、カノン、ディケム、ロングヴィル、ラフルールにも設置している。三年前から、時空の歪みを観測してるんだ」
 ロイドは遺跡調査に同行している内に、謎の装置が作動した時、微妙な時空の歪みが生じる事を発見した。約三十年に一度、全遺跡の装置の活動が活発になる時期がある事は、すでに考古学者の間では知られている。
 時空の歪みと装置作動の規則性を探る事で、新たに作ろうとしている、時空移動装置に応用できるのではないかと考えたのだ。
「時空移動装置って、何に使うんですか?」
 ローザンが最も至極な質問を投げかける。結衣も同じ事を考えたが、答えは大体想像がついた。
「他の世界に行けたら、おもしろいと思わないか?」
 想像通りの答えを、大真面目に言ってのけるロイドを見て、結衣は苦笑し、ローザンは微妙な表情で首を傾げながら、顔を引きつらせる。
 ロイドは二人の反応を気にした風でもなく、画面に向き直ると、新たなウィンドウを開いた。そこには棒グラフが表示され、左から三分の一辺りから、急に棒の長さが長くなっている。
「なるほど、十日前から多くなってるな」
「あなた、自分でそこに座ってる時に気付かなかったの?」
 結衣が尋ねると、ロイドは振り返ることなく、表示を切り替えながら答えた。
「通知が来るのはいつもの事だし、他に気をとられてて気にしてなかった。……全遺跡から頻繁に来てるな」
 表示は折れ線グラフに変わり、途中から全ての線が急角度で上向いている。
 ロイドは画面を見つめたまま、腕を組んだ。
「妙だな。過去データからすると、遺跡の活動期はもう少し先のはずだ」
「十日前っていうと、レフォール殿下が行方知れずになった日ですよね」
 ローザンの指摘に、ロイドは再び表示を切り替えた。
「時間は……午後二時十分にラフルールから。それ以降増えている」
「午後二時って、もしかして……」
 結衣がおずおずと口を挟むと、ロイドは振り返り、まっすぐ見つめた。
「おまえが現れた頃だ」
 その声にローザンも結衣を振り返る。二人に黙って見つめられ、結衣は思わず目を泳がせた。
 自分が何かをした自覚はない。考えられるとしたら、人捜しマシンの誤動作が、遺跡の装置に何らかの影響を及ぼしたという事だろうか。
 ロイドはおもむろに隣の席につくと、机の上に置かれたノートパソコンを操作し始めた。どうやら隣のメインコンピュータからデータをコピーしているようだ。
 少しして、ロイドはノートパソコンを閉じ、立ち上がった。
「遺跡の事は、あいつに訊いた方が早い。ちょっと家に行ってくる」
 ケーブルを引き抜き、パソコンを小脇に抱えると、ロイドは足早に出入口に向かう。途中で不意に振り返り、結衣を指差してローザンに告げた。
「ローザン、そいつが勝手にうろつかないように見張っててくれ。頼んだぞ」
「はい」
 ローザンの返事を聞くと、ロイドは忙しそうに研究室を出て行った。
 ロイドを見送った後、ローザンは結衣を見上げて微笑んだ。
「とりあえず、ぼくたちはいつも通りにしてましょうか」
「うん」
 結衣も笑って頷くと、窓際の席に戻った。先ほど椅子の上に置いた絵本を取ろうと身を屈めた時、廊下から荒々しい足音がバタバタと近付いて来るのが聞こえた。
 結衣が振り向いたと同時に研究室の扉が開き、ロイドが駆け込んで来た。
「忘れるところだった。ユイ、これを持ってろ」
 駆け寄ってきたロイドが結衣に差し出したのは、以前もらった通信機の色違いバージョンだった。今度のは、暗い赤だ。
「通信機?」
 結衣が受け取り尋ねると、ロイドは簡単に説明した。
「バージョンアップした。通信エリアを少し拡大して、発信器機能も付けた。おまえの居場所がすぐわかるようにな。前のはローザンに渡しとけ」
 それだけ言うと、ロイドは再びバタバタと研究室を駆け出して行った。
 結衣は以前もらった黒い通信機をローザンに渡し、元の席に戻ると絵本を広げた。
 しばらくの間、ローザンと結衣はいつも通りの日常を過ごしていた。ローザンはデータ解析を行い、結衣は絵本を見たり小鳥を撫でたりしている。
 お茶でも淹れようと、結衣が席を立った時、研究室の扉がノックされた。
 結衣とローザンは同時に出入口に注目する。扉が開かれ、訪問者が姿を見せた。
「失礼します。こちらにレフォール殿下はいらっしゃいますか?」
 訪問者は軽く頭を下げると、正面に立っている結衣に目を留めた。
 本日三人目の来客は、結衣の見知らぬ若い男だった。




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