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6.



 てっきり軽率な行動を咎められるものと覚悟して行ったら、意外にも王は危険な目に遭わせた事を結衣に詫びた。
 あの青年がセギュール侯爵の名を使い、王宮内に入ってきた事は間違いない。しかし問い合わせたところ、セギュール侯爵は青年の事を知らないと言っているらしい。
 たとえ知っていても、青年が失敗してしまった以上、無関係を装うだろう。青年の言っていた事から察すると、誰かに頼まれていたのだろうが、裏に誰がいたのか確証を得るのは難しそうだ。
 そして王は、王宮内の警備の強化を結衣に約束してくれた。
 ひと息つくと、王は人懐こい笑みを浮かべて、結衣に問いかけた。
「ところでユイ、ロイドとの結婚話に何か進展はあったか?」
 そろそろ訊かれるのではないかと思っていたら、案の定だ。結衣は引きつり笑いを浮かべながら答える。
「いえ、何も。彼がずっと忙しくしていますし、私も王子様を演じるのに手一杯で余裕がなかったものですから」
 王は少しガッカリしたような表情になる。
「そうか。だが、十日も一緒にいると、ロイドの事がわかっただろう?」
「はい。色々」
 横柄で頑固で強引でセクハラな奴です――とは言えない。やはりここは先延ばしにするしかない。
「ですが、私ひとりで決められる事ではありません。この件ついては、王子様の事が落ち着いてから、改めて彼と相談の上、ゆっくりと考えさせて頂きたいと思います」
「わかった。ゆっくり愛を育むがよい」
(いや、そういう意味じゃないんだけど……)
 ニコニコと満足そうに微笑む王に、結衣は苦笑しながら挨拶をして、謁見の間を辞した。
 結衣を研究室まで送り届けると、ラクロット氏は事件の後処理のため、王の元へ戻っていった。
 研究室に入ると、部屋の灯りは消えていた。窓から差し込む夕日が、薄暗い室内をオレンジ色に染めている。
 誰もいないのかと思ったら、ロイドがコンピュータの横の机に片腕を乗せて、横向きに座っていた。その上の灯りだけが点いている。
「ローザンは?」
 結衣が尋ねると、ロイドは今気がついたように慌ててこちらを向いた。
「あぁ、今日はもう帰った」
 そして、握った手をまっすぐに結衣の方へ差し出すと、手の平を上に向けて広げた。
「復活したぞ」
 手の平の上には、小鳥が乗っていた。結衣は驚きと共に笑顔になる。
「もう直ったの?」
「あぁ。予備のボディにメモリだけ移した。動作確認だ。呼んでみろ」
 結衣は小鳥に向かって手を差し伸べると、名前を呼んだ。
「ロイド、おいで」
 小鳥はピッと返事をして飛び立つと、結衣の手の平に着地した。
「よかった。さっきはありがとう」
 結衣は小鳥を両手で包み込んで頬を寄せた。
「今度はこちらに来させてみろ」
 ロイドの声に結衣は顔を上げると、彼を指差し小鳥に命令する。
「ロイド、エロ学者のところへ行って」
 小鳥は返事をして飛び立ち、伸ばしたロイドの手に留まった。
 ロイドは小鳥を見つめて、小さくため息をつく。
「この情報だけメモリから削除してやればよかったな」
 結衣はクスリと笑うと、笑顔で駆け寄った。
「ロイド!」
 両手で小鳥を受け取り、頭を撫でていると、横でロイドがボソリとつぶやいた。
「なんだ、そっちか」
 顔を向けると、不服そうに手の中の小鳥を見つめている。ふと、礼を言ってなかった事に気付いた。
「あ、さっきは助けてくれてありがとう」
 結衣の軽い口調が気に入らなかったのか、ロイドはふてくされたようにそっぽを向いて、吐き捨てるように言う。
「オレは、ついでか」
 その様子がおかしくて、結衣がクスクス笑うと、ロイドは結衣を睨み上げながら
「何がおかしい」
と言う。
 座ったままでは立っている結衣の額を叩けないせいか、一際すごんで見せたようだが、子供がすねているようにしか見えなくて迫力がない。背が高くてよかったと初めて思った。
 結衣が更に笑うと、ロイドは益々不愉快そうに顔をしかめた。
 ひとしきり笑った後で、結衣はロイドに声をかけた。
「ねぇ」
「何だ」
 ロイドはまだ半分ケンカ腰に返事をする。結衣は苦笑しながら問いかけた。
「こんな薄暗いところで何してたの?」
 途端にロイドの口調は暗く沈む。
「別に……。そいつを直した後、ぼんやり考えてた」
「何を?」
「どうして一日は、二十四時間しかないんだろうと」
「は?」
 一瞬からかわれたのかと思って、結衣は眉をひそめた。しかし、ロイドの深刻そうな表情から、そうでない事はすぐにわかった。ロイドは少し俯いて話を続ける。
「ローザンに調べて貰った結果から、あまり時間がない事が分かった。あいつには感謝している。あいつが遺跡の事を指摘してくれなかったら、オレは今も見当違いな事をしていたかもしれない」
「でもまだ王子様が異世界に飛ばされたって、決まった訳じゃないんでしょ?」
「あぁ。だが可能性が高い上に期間が限られている以上、優先する必要がある。遺跡の同期間隔は三十時間だとわかった。明日十四時に最初の同期が取れる。それには、どうしたって間に合わない。それ以降、活動期が終わるまでに十六回しかない。おまけに稼働時間は最短で十秒だ」
 ロイドは俯いたまま、額に手を当てた。
「考えなきゃならない事や、やらなきゃならない事が山積しているのに、何から手をつけたらいいのか、頭が働かない」
 何をどうやって、異世界に行ってしまった王子を捜そうとしているのか、結衣には見当もつかない。だが、いつもは強気で自信満々のロイドが、気弱になっているところを見ると、大変な労力が必要なのだろう。
 おまけにおそらく、これまで通りの捜索も同時に行わなければならないはずだ。何も手伝う事ができないのが、ひどくもどかしかった。
 せめて少しでも気持ちを楽にしてあげようと、努めて明るく話しかけた。
「じゃあ、頭が働くように甘いもの食べる? 明日、さっきのお礼も兼ねてケーキを作ってあげる。何がいい?」
 ロイドは顔を上げ、少し笑みを浮かべて答えた。
「今朝の奴」
「わかった。シュークリーム二十個ね。とりあえず今は、甘いお茶を淹れてあげる」
 結衣が背中を向けてお茶を淹れに行こうとすると、後ろでロイドがつぶやいた。
「なるほど」
 そう言いながらロイドは、振り返ろうとした結衣の手首を掴んで引き寄せた。後ろへ引かれバランスを崩した結衣は、フラつきながら二、三歩後ずさり、そのままロイドのひざの上に尻餅をついた。
「ちょっと、何なの!」
 わめきながら立ち上がろうとする結衣を、ロイドは片手で捕まえて、もう片方の手でメガネを外しながら顔を覗き込んだ。
「確かに、エネルギーの補給は必要だ」
「何、メガネ外してるの! だから、ゲロ甘茶を淹れてあげるって言ってるでしょ?」
 メガネを外したという事は、キスが来る。そう思った途端、結衣の鼓動は早くなる。やはり冷静でいられない。
 ロイドはメガネを机の上に置くと、もがく結衣を両腕で抱きすくめた。
「そんなものより、おまえの唇の方が何倍も甘い」
 歯が浮くようなセリフに結衣が硬直した隙を突いて、ロイドは素早く口づけた。
 唇に伝わるロイドの感触に、結衣の鼓動は益々高鳴る。
 少しの間、結衣の唇を味わうと、ロイドは顔を離してニッと笑った。
「エネルギー充填、百二十パーセントだ」
 百二十パーセントって、溢れてると思う。心の中でツッコミを入れながら、結衣は身体を突き放すと、ロイドを軽く睨んだ。
「バカ……! 人が来たらどうするのよ」
「おまえが言ってた、殿下との禁断の恋か?」
 ロイドは少し声を上げて笑った。そして、目を伏せると、皮肉な笑みを浮かべ投げやりに言う。
「それで投獄されるなら、その方がいい」
 なんだか様子がおかしい。
「ロイド?」
 探るように見つめると、ロイドはいきなり荒々しく結衣を抱きしめた。
「無能な学者として投獄されるより、遙かにマシだ」
 そう言ってロイドは、再び口づけた。
 らしからぬ言動、投獄って何? 訊きたい事は色々あるのに、きつく抱きしめられていて逃れられない。叩きつけるような激しい感情とキスに、軽い恐怖と目眩のようなものを感じる。
「……やっ……!」
 ようやく少し顔を背ける事に成功し、話しかけようとしたが、ロイドはそれを許さなかった。
「まだだ」
 頭に手を添え、抱きしめる腕に力を加えると、更に深く口づける。
 今までにない激しく濃厚で長い口づけが、次第に結衣の全身から力を奪い、身体の芯が痺れてくるような感覚を覚えた。
 しばらくして解放された時には、まるで熱に浮かされたように、頭の中は真っ白で、目の焦点は合わないほど、結衣の意識は朦朧としていた。実際に全身が熱い。
 すっかり放心しきった結衣の耳元で、ロイドが囁いた。
「感じたのか?」
 その声にハッとして我に返った結衣は、思い切りロイドを突き放した。
「違うわよ!」
 否定したものの、本当のところはよくわからない。頬を膨らませる結衣を見て、ロイドはおもしろそうにクスクス笑う。
「キスで放心するほど感じてるようじゃ、先が思いやられるな」
「だから違うってば! 先って何よ!」
 わめく結衣の耳元で、再びロイドが囁いた。
「知りたければ教えてやる。今からオレの部屋に行くか?」
 いつもの軽口とは少し違うような気がして、背筋がゾクリとした。真面目に反応してはいけないと思い、精一杯冗談として受け流す。
「行かないって前に言ったでしょ? この、エロ学者!」
『エロガクシャ』
 別の場所から聞こえた結衣の声に驚いて、二人同時にそちらを向くと、机の上で小鳥がロイドのメガネをつつきながら、首を傾げていた。
 ロイドは目を細くして、結衣を見つめると額を叩いた。
「音声多重で言うな」
 いつものロイドに戻った事にホッとして、結衣はひざの上から立ち上がった。振り向くと、来た時と同じように、少し俯いてぼんやりしたロイドの姿があった。
 詳しい事はよく分からないが、時間がないのにやる事がたくさんあって、少し混乱しているようだ。結衣の知る限り、この十日間、王子の捜索に関して成果も上がっていない。それで心に余裕をなくしているのだろう。
 大きなロイドが、途方に暮れる小さな子供のように見えた。
 結衣は側に寄ると、ロイドの頭を腕の中にそっと抱きかかえた。
「エネルギー充填、百二十パーセントなんでしょ? あなたの超優秀な頭脳を存分に働かせて。あなたなら絶対できるから」
 ロイドは結衣の手をそっと握ると、静かに返事をした。
「あぁ……」




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