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8.



 結局、二日後の二十時までに装置の改造は間に合わなかった。
 異世界検索の際は、ローザンがタイムキーパーを務める事になっていたが、中止となったため帰された。
 次の同期は二日後の午前二時。ローザンは昼までで一旦休み、真夜中に再び来て貰う事になっている。その間もロイドはローザンの分まで作業を行うらしい。
 ロイドはあれから夜遅くまで研究室に詰めている。夕食までは結衣も研究室にいるが、結衣が起きている間に部屋に戻ってきた気配はない。
 寝てないのではないかと思い尋ねてみたら、眠らないと頭が働くわけはないからちゃんと寝ていると言う。
 結衣は他にできる事がないので、毎日ケーキを作る事にした。
 今日行われるはずだった初めての異世界検索は中止になったので、遺跡が光るところを見ようと、結衣は夜のテラスに出た。
 前に見た時は、ほんの一、二秒だったので一瞬で終わったが、同期時は十秒間発光するという。
 この先は検索に忙しくて、見る事はできないかもしれない。三十年に一度の珍しい光景を、目に焼き付けておきたかった。
 テラスに漂う甘い香りに、結衣はロイドの部屋の方に視線を向けた。手すりにもたれ、灰皿を持ってタバコを吹かしているロイドの姿がそこにあった。
 ロイドは結衣に気付いてこちらを向くと、タバコをもみ消した。
「おまえも見に来たのか?」
 そう言いながら、自室前に置かれた机に灰皿を置くと、再び手すりの側に戻って来た。
「うん」
 結衣は答えて、ロイドの側に歩み寄った。二人は並んで手すりに縋る。少し後、ロイドが腕時計を見てつぶやいた。
「始まるぞ」
 その声を合図に、街の外の遺跡に目を向けた時、青白い光が天に向かって放たれた。
 時間が長いせいか、以前見たものとは比べものにならないほど、太く明るい光の柱は、天を焦がさんばかりに高く立ち上る。
 幻想的な光景に圧倒されて見入る結衣の隣で、ロイドが低くつぶやいた。
「こんな時でなければ美しい光景なんだろうが、一回無駄にしたかと思うと忌々しい」
 やがて光が収束し、結衣はロイドに視線を向けた。ロイドは少し肩をすくめて、天を指差した。
「大陸全土を見渡せる上空から見たら、壮観だろうな。全遺跡が一斉に光る様は」
 黙って見つめていると、おどけたようなロイドの笑顔が、次第に真顔に変わっていった。
 そして、ロイドはいきなり結衣を抱きしめた。
「何?」
 驚いて結衣が尋ねると、ロイドはさらにきつく抱きしめて絞り出すように言う。
「少し、黙ってろ」
 言われるままに黙って、しばらくじっとしていると、ロイドの腕が少し緩んだ。
「おまえを抱いていると、気持ちが落ち着く」
 耳元でつぶやくロイドの声に謎が解けた気がして、結衣は思わずクスリと笑った。
(だから、ロイドはドキドキしないんだ)
 結衣はロイドの背中に腕を回して、抱きしめ返した。
「つらいの?」
 結衣の問いかけに、ロイドは腕をほどき、両肩に手を置いて、結衣の身体をゆっくりと突き放した。
「……大丈夫だ」
 ロイドは俯いて少し笑顔を作ってみせると、結衣の頭をひと撫でし、背を向ける。
「もう少し高速化のロジックを考えてみる。おまえはもう寝ろ」
 そう言って自室に向かい歩き始めた。
 遠ざかっていくロイドの背中が、どこか儚げで、結衣は思わず名を呼んで駆け寄った。
「ロイド!」
 振り向いたロイドの胸に飛び込んで、結衣はしがみついた。
「一緒に連れて逃げて。王子様が見つからなかったら。私、あなたについて行く」
 ロイドはそっと結衣を抱きしめ、静かに答えた。
「あぁ。だがそれは最後の手段だ。最後まで最善を尽くそう」
「うん」
 結衣が笑って頷くと、ロイドは一変してイタズラっぽい笑みを浮かべ問いかけた。
「じゃあ、殿下が見つかった時は、どんなご褒美を貰えるんだ?」
「え? それは王様から出るんじゃないの?」
 思いも寄らない質問に、結衣が戸惑いながら答えると、ロイドは不服そうに見つめる。
「おまえからは何もないのか? オレについて来るって事は、人生をオレに預けるって事だろう? 見つからなかった方がご褒美を貰えるってのは、おかしくないか?」
「そう言われても……」
 結衣が苦笑して言い淀んでいると、ロイドは何かを思い付いたらしく、大きく頷いた。
「よし。見つかった時は、おまえを頂くとしよう」
「い、頂くって何?」
 思い切りうろたえて、結衣が腕の中から逃れようとすると、ロイドは身体を引き寄せ耳元で囁いた。
「子供じゃないんだ。わかるだろう?」
「えーと、そう言う意味じゃ、私、子供だから」
 声を上ずらせて、乾いた笑いを漏らす結衣を、ロイドは少し目を見開いて見つめた。
「そうなのか? そういえば、キスも初めてだって言ってたな」
「……え……」
 どうやらウソだとウソをついた事が、ばれていたらしい。
 ロイドは改めて結衣を抱きしめると、楽しそうに笑った。
「まあいい。それはそれで楽しみだ」
「え? 男の人って、初物は引くんじゃないの?」
 結衣が意外そうに見上げると、ロイドはニヤリと笑った。
「オレは気にしない。初物には初物の良さがある。オレ好みにカスタマイズ自在って事だからな」
「機械のように言わないで」
 結衣は思いきり脱力して、大きくため息をついた。
「とりあえず今は、前金を頂いておくとしよう」
 そう言いながらロイドは、メガネを外してポケットに収めた。結衣は再び焦って、逃れようと腕を突っ張る。
「そういう前金なら、充分に支払ってるでしょう?」
 抵抗する結衣を少し強引に引き寄せ、ロイドは真顔で問いかけた。
「イヤなのか?」
 髪と同じ金のまつげに縁取られた濃い緑の瞳に間近で射すくめられ、結衣の身体から抵抗の意志が抜け落ちていく。
「……訊かないでよ」
 力なく言い捨てて目を逸らそうとすると、ロイドが指先であごを掴み、顔を上向かせた。結衣は少しロイドを見つめた後、観念し目を閉じた。
 唇に優しいキスが落ちてきた。
 いつの間にか、ロイドのキスを心地よく感じるようになっていた自分に気付いた。
 少ししてロイドが唇を離すと、結衣はロイドの胸に顔を伏せて小さく告げた。
「……好き……」
「ん? 何か言ったか?」
 ロイドはメガネをかけて、結衣の顔を覗き込む。
 勢いに任せて告白した事が途端に照れくさくなり、もう一度告げる勇気はなかった。
「なんでもない」
 ロイドは結衣から離れると、耳元で一言囁いた。
「――――」
 そして、そのまま背を向けると自室の中に消えていった。
 最後の一言で結衣は悟った。ロイドは結衣を連れて逃げる気なんかない。
 結衣は両手の拳を握りしめ、顔を歪めて叫んだ。
「この、頑固者……!」
 薄暗いテラスに、結衣の叫びが空しく響く。
 結衣はしばらくの間、夜風に髪をなびかせて、ぼんやりテラスに佇んでいた。



(第3話 完)




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