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第4話 Last Kiss

1.



 朝日が差し込む研究室に、二度目の緊張感が漂っていた。メインコンピュータの前に座ったローザンは画面に表示された時計を見つめて、ロイドに告げる。
「ロイドさん、同期開始三十秒前です」
 それを聞いてロイドは、人捜しマシンの横にあるコントロールパネルを操作し始めた。
 ガラスの筒の天辺にある赤いランプが点灯する。転送機能オンの合図だ。
 結衣は邪魔にならないように、少し離れた場所から二人の様子を見ていた。
「二十秒前です」
 ロイドが操作するパネルの画面に、バラバラと文字が表示され、次々にスクロールしていく。
「十秒前です」
 ロイドが最後のキーを勢いよく叩き終わると、人捜しマシンがヴンと低いうなりを上げて作動した。
 パネルの上のボタンに手をかけたまま、ロイドはローザンのカウントダウンに耳を傾ける。
「五秒前……四……三……二……一……開始」
 合図と同時にロイドがボタンを押すと、マシンは一際高いうなりを上げて検索を開始した。
 ロイドの見つめる画面には王宮を中心とした世界地図が表示され、時間経過と共に白地図は、中心から同心円を描きながら、みるみる青く染め上げられていく。
 地図が一面真っ青に染まった後も、マシンは検索を止める事なく、そのまま動き続けた。検索が終了すれば、画面中央にメッセージウィンドウが開くという。
 固唾を飲んで画面を見つめる中、再びローザンのカウントダウンが始まった。
「同期終了五秒前……四……三……二……一……終了です」
 終了の声と共に、マシンはうなりを止め検索を停止した。画面の真ん中には、赤い文字の書かれたウィンドウが点滅している。
 ロイドはコントロールパネルの上で拳を握り、ガックリと項垂れた。
「くそっ……! また終了サインが出なかった」
 一気に緊張の糸が切れた結衣は、大きく息をついた。邪魔にならないように両手の中に閉じ込めていた小鳥を放ち、肩に留まらせる。
 ロイドは気怠げにマシンを停止させると、力なくローザンに命じた。
「ログを出してくれ」
「はい」
 人捜しマシンの起動停止時刻や、検索中の検索終了地域の座標や所要時間等の検索状況、エラーが発生した場合のメッセージやエラーの状態などは、接続されているメインコンピュータにログファイルとして出力される。
 言われた通り、ローザンが画面にログを表示すると、ロイドはそれを後ろから覗き込み、二人で検索結果の検証が始まった。
 見ていてもよくわからないので、結衣はその場を離れ、お茶を淹れるために給湯コーナーへ向かった。
 異世界の検索は予想以上に困難を極めていた。これで二回失敗したことになる。
 失敗しているので、対象範囲の規模が把握しきれていないという。
 七つの遺跡がいくつの異世界に通じているのか、あるいは通じていないものもあるのか、わかっていない。最多でこの世界も併せて八つの世界を検索しなければならない事になる。
 それだけで大変そうだということだけ、結衣にもわかった。
 ロイドは相変わらず、夜遅くまで研究室に詰めている。いつも忙しそうにしているので、結衣は関係ないことを話しかける事ができずにいた。
 勢いでうっかり告白してしまった事が、ロイドを余計に追い詰めてしまったような気がしてならない。
 最初は聞こえていないのかと思ったが、あの言葉はどう考えても聞こえていたとしか思えない。あの言葉の真意を確かめたいのに、あの言葉が歯止めとなって、ロイドに話しかけにくくなっていた。
 最初の異世界検索が中止になった夜、ロイドが最後に残した言葉。

――オレなんか、好きになるな――

 ロイドを好きになったら、言う事を聞かない結衣は、日本に帰らないと言い出すかもしれない。現に王子が見つからなかったら、一緒に逃げると言っている。それを承諾したのは、結衣を安心させるためだろう。
 ロイドの中では、結衣を日本に帰す事は、揺るぎない決定事項となっているようだ。昨日の実験からもそれは明らかだ。
 人捜しマシンの転送機能を拡張して、逆転送可能にする事は、ロイドにとって簡単な事だったようだ。すでにその機能は完成していて、昨日テストが行われた。
 ロイドはローザンに操作方法を教え、自らの身をもって実験を行った。
 研究室から科学技術局へ自分自身を転送してもらい、以前連絡のあった局長の仕事をこなし、局員に渇を入れ、三十分後にローザンの手により、研究室に転送されて帰ってきた。
 実験の成功にローザンは酷く興奮していたが、ロイドは平然としていた。元々、確実に成功するという自信があったのだろう。
 結衣を日本に帰す準備はすでに整ったという事だ。
 結衣は自分がどうしたいのか、よくわからなかった。
 日本には帰りたいと思う。
 クランベールにやってきて今日で十五日目だ。盆も夏期休暇もすでに終わっている。
 何の連絡もなく、エアコンも付けっぱなしで、部屋から忽然と姿を消していたら、親も会社も心配しているはずだ。
 けれど日本に帰ってしまえば、ロイドとはもう二度と会えないかもしれない。
 遺跡の活動期を利用すれば、三十年後には会える。それ以前にロイドが作ろうとしている時空移動装置が完成すれば、もっと早く会えるだろう。
 しかしロイドが、そうまでして自分に会いたいと思ってくれるかどうかは、わからない。そして何より、その事でロイドを自分に縛り付けたくはなかった。
 日本に帰るつもりなら、ロイドが言ったように、これ以上彼を好きにならない方がいいのかもしれない。だけど……。
 結衣は休憩コーナーにお茶を運ぶと、二人に声をかけた。
「ロイド、ローザン、お茶入ったよ」
 結衣の声に振り向いた二人は、話しながら揃ってこちらにやって来た。
「全世界の検索に二秒もかかるのは問題だな」
「そうですか? ぼくには充分速いと思えますけど」
「他がどれだけあるかわからないんだ。できれば一秒未満に抑えたい。ハードはこれ以上どうにもならないから、ソフトでなんとかするしかないな」
「ぼくにプログラミングの知識があれば、もう少しお手伝いできるんですけどね」
 三人で席に着くと、ローザンが笑顔で結衣に話しかけた。
「いつもありがとうございます」
 結衣も少し笑顔を作って答える。
「気にしないで。他にできる事ないし。三時にまたケーキ作ってくるから、楽しみにしててね」
「はい」
 ローザンは嬉しそうに一層微笑むと、カップを口へ運んだ。
 ロイドは砂糖十五杯入りの檄甘茶を黙々と飲んでいる。結衣はその横で机の上のカップを両手で包み、俯いてぼんやりしていた。
 少しして、黙り込む二人を不審に思ったのか、ローザンが尋ねた。
「ケンカでもしてるんですか?」
「いや、別に」
 同意を求めるようにこちらに視線を送るロイドと目が合い、結衣も頷いて答える。
「してないよ」
 ローザンは腑に落ちないといった表情で、首を傾げながら再び尋ねた。
「そうですか? ユイさん、元気がないですね。どこか具合が悪いんですか?」
 ローザンが心配してくれているのはわかるし、嫌な雰囲気を漂わせて申し訳ないとは思うが、少しうるさい。軽く苛ついた結衣は、笑顔で沈黙の呪文を唱えた。
「大丈夫、なんともないから。ちょっと生理痛なの」
「え……」
 案の定ローザンは、絶句して気まずそうに俯いた。
「すみません。詮索して……」
 お茶を飲みながらチラリと横目で様子を窺うと、ロイドが呆れたような表情で、こちらを見ていた。彼にはウソだとばれているようだ。
 そもそもロイドには、結衣が気落ちしている理由はわかっていると思う。
 お茶を飲み終わり、二人が仕事に戻ると、結衣はさっさと後片付けを済ませた。給湯コーナーから出て、すぐロイドに告げる。
「私、部屋に戻る」
 ロイドは振り返り、
「そうしろ。生理痛なら、しばらく寝とけ」
そう言いながら、こちらにやって来た。
 向こうでローザンが苦笑している。ウソだとわかっているくせに、イヤミな男だ。結衣はムッとして、眉を寄せるとロイドを睨んだ。
 ロイドはそれを無視してローザンに一声かけると、結衣と共に研究室を出た。
 一言も口をきかないまま王子の部屋にたどり着き、結衣が扉に手をかけるのを見届けて、ロイドは立ち去ろうとした。結衣は慌てて、それを引き止める。
「待って。一緒に来て」
 ロイドは怪訝な表情をしながらも、結衣の後について部屋に入った。
 部屋の中では三人の女の子が掃除の真っ最中で、ラクロット氏がそれを監督していた。
 部屋に入ってきた結衣を見て、ラクロット氏は驚いたような顔をした。いつも日中はロイドの研究室に入り浸っていて、夜にならないと部屋に戻らないからだ。
「殿下。いかがなさいましたか?」
 少し目を見開いて問いかけるラクロット氏に、結衣は王子になって命令する。
「ラクロット、悪いけど、彼女たちと一緒に外に出てくれないか?」
 ラクロット氏は結衣の後から入ってきたロイドに少し視線を送ると、
「かしこまりました」
と言って軽く頭を下げた。
 ラクロット氏が女の子を連れて部屋を出て行くと、結衣はまっすぐリビングに向かった。ロイドはリビングの入り口で立ち止まると、無表情のまま芝居がかった調子で結衣に問いかける。
「人払いまでなさって、私にどういった内密のご用件ですか? レフォール殿下」
「茶化さないで。こっちに来て」
 結衣が強い口調でそう言うと、ロイドは大股で結衣の目の前まで歩み寄った。威圧するように背筋を伸ばして、上から見下ろす。
「何の用だ」
 結衣も負けじと、睨み上げながら言う。
「あなた、私を連れて逃げるつもりないでしょう」
「当たり前だ」
 少しも言い淀む事なく即答するロイドに、思わずカッとなって結衣は怒鳴った。
「守るつもりのない約束なんて、しないでよ!」
 ロイドはひるむことなく持論を展開する。
「あんなものは最初から無意味だ。オレは必ず殿下を見つけ出すと言っただろう。見つからなかった時の約束なんか守るつもりはない」
「そんなの……!」
 結衣が反論しようとすると、ロイドはそれを遮るように言葉を続けた。
「詭弁だというのか? おまえの方こそ考えが矛盾しているじゃないか。オレには絶対できると言っておきながら、なぜ、できなかった時の事にこだわるんだ。あれは単なる気休めで、本当のところはできないと思っているのか? 侮辱するな」
 詭弁には間違いないが、ロイドの言う事はもっともで反論できない。結衣は項垂れて、もうひとつの疑問をぶつけた。
「好きになるなって、どういう意味?」
「そのままの意味だ」
 また、はぐらかそうとしている。結衣は顔を上げて再び怒鳴った。
「できるわけないじゃない! 好きなんだもの! あなたはできるの? 言われたからって気持ちを変えられるの? 私に好かれて困るんなら、優しくしないでよ! 抱きしめないでよ! キスなんかしないでよ!」
「そんなの、オレの勝手だ」
 怒ったようにそう言うと、ロイドはメガネを外しながら、片腕で結衣を強引に抱き寄せ、荒々しく口づけた。
「バカ! 大嫌い!」
 結衣はロイドを突き飛ばし、平手を振り下ろした。
 パンと派手な音がして、結衣は目を見開いたまま硬直した。いつもならヒョイと軽くよけられるのに、まともにヒットしてしまったようだ。
 ロイドは少し頬を撫でた後、メガネをかけ直し、結衣をまっすぐ見つめた。少し目を細め、口の端を片方持ち上げると、静かに言う。
「それでいい」
 そして背を向け、王子の部屋を出て行った。
 結衣は呆然とロイドの背中を見送ると、よろよろと移動してソファに座りポツリとつぶやいた。
「見え見えなのよ。そんなんじゃ、益々好きになっちゃう」
 ロイドはわざと結衣に嫌われようとしている。それは多分、結衣がクランベールに未練を残さないように。
 頑固者のロイドは何が何でも結衣を日本に帰すつもりだ。それならせめて、気持ちよく日本に帰れるように、なんとしても王子を見つけ出してほしい。
 結衣は少し微笑んで、ソファの背もたれに留まった小鳥に話しかけた。
「余計な事するなって言われてるけど、考えるだけなら、かまわないわよね」
 小鳥は結衣を見つめて、首を傾げる。
 結衣は王宮内の怪現象や遺跡の事、王子失踪の事について考えてみる事にした。
 その前に、三時のケーキを何にするか考えていなかった。
 結衣は内線電話でラクロット氏に掃除の続きを頼むと、材料になりそうなものを確認するため、厨房へ向かった。




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