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9. 胸が圧迫されるような息苦しさを覚えて、結衣は目を覚ました。辺りは明るくなりかけている。 目を開くと、目の前の布団の上に、裸の腕が横たわっていた。息苦しさの原因はこれのようだ。 ギクリとして一気に目が覚め、結衣は恐る恐る腕の主へと視線を移す。 自分の隣に、裸のロイドがうつ伏せで眠っていた。 状況が飲み込めずに、結衣の心に動揺が広がっていく。 ロイドに運ばれて、ベッドに寝かされたまでは覚えている。その後すぐに眠ってしまったと思っていたが、実は泥酔して記憶が飛んでいるだけなのだろうか。 ロイドは裸だが、自分はきっちりパジャマを着込んでいる。ボタンのひとつも外れてはいない。 部屋の様子からして、とても几帳面とは言い難いロイドが、一度脱がせたものを、ここまできっちり着せたりするだろうか。それとも自分で着たのだろうか。 とにかくさっぱり記憶にない。 一度しかない初めての経験を、何ひとつ覚えていないというのは、一生の不覚ではないだろうか。 結衣はそっと布団をめくって中を覗いた。どうやら裸なのは上半身だけのようだ。なんとなくホッとしたが、不安は拭い去れない。 結衣がゴソゴソ動き回っている気配を感じたのか、ロイドが目を開いた。 目が合ったので、とりあえず挨拶してみる。 「お、おはよう」 まだねぼけているのか、少し間があった後、ロイドは答えた。 「おはよう。起きてたのか。何時だ?」 ロイドはひじを立てて上半身を浮かせ、枕元の時計を取ると、至近距離で凝視した。 布団が滑り落ち、露わになった裸の上半身を目の当たりにして、以前本人が言っていた『いい身体をしている』というのが本当だと分かった。 だが、いくら記憶をひっくり返しても、今初めて見たとしか思えない。 「寝るにも、起きるにも、中途半端な時間だな」 ブツクサ言いながらロイドは時計を元の位置に戻す。そして、横向きに転がって固まったまま、目だけをキョロキョロと動かしている結衣を不審に思ったのか、声をかけた。 「どうした?」 結衣は黙ってロイドを見つめる。あまりにも平然としている事に違和感を覚えるが、結衣にとっては一大イベントでも、ロイドにとっては大したことではないからかもしれない。 何も覚えてない以上、彼に聞いてみるのが手っ取り早い。 結衣は意を決して口を開いた。 「どうして一緒に寝ているの?」 するとロイドは不愉快そうに言う。 「オレのベッドにオレが寝て何が悪い」 「そうじゃなくて、私、ゆうべ……」 「ゆうべ?」 結衣が言い淀んでいると、ロイドはニヤリと笑い、顔を近づけて囁いた。 「最高だったぞ」 「さ、最高……? って……最低じゃない……私、何も覚えてない……」 目を見開いてロイドを見つめたまま、結衣は泣きそうな顔でつぶやいた。 少しの間、その様子をおもしろそうに見つめていたロイドは、突然吹き出した。そして、仰向けに転がって、大声で笑う。 「何がおかしいのよ!」 結衣がムッとして横から小突くと、ロイドはこちらに向いて転がり、尚も笑いを堪えながら答えた。 「安心しろ。何もしていない」 「へ?」 結衣は思わず、間抜けな声をもらす。ロイドは再びクスクス笑い始めた。 「気付かずに眠っていたと思っていたのか? いくらおまえが鈍くても、そんなわけないだろう。しかも、ニブイのは感情だけで、感度は良さそうだしな」 昨日くすぐられた時の事を言っているようだが、なんだか小馬鹿にされたような気がして、結衣は益々ムッとして叫んだ。 「からかったのね? もう! なんで裸なのよ、まぎらわしいったら!」 「おまえの体温が高いのが悪い。暑かったんだ」 「だったら離れて寝ればいいじゃない。だいたい何もしないって言ったら、普通、一緒に寝たりしないでしょ?」 今度はロイドがムッとした表情で、当然とばかりに言い返した。 「そんな事誰が決めた。オレは何もしなくても女を抱いて寝るのが好きなんだ。せっかくオレのベッドで女が寝てるんだから、抱いて寝たっていいだろう」 あまりにもキッパリと言い切られて、結衣は返す言葉を見失う。 「……エロ学者」 やっとの思いで言い返すと、すかさず額を叩かれた。 「エロじゃない。嗜好の問題だ」 ロイドは身体を起こして座ると、大きく伸びをした。 「やれやれ。おまえの勘違いのせいで、完全に目が覚めた。少し早いが起きるか」 誰のせいで勘違いしたと思っている、とは言っても無駄な気がするので、やめておいた。 軽くため息をついて自分も起きようと、結衣が身体を起こしかけた時、突然ロイドが、 「あ、そうだ」 と言って振り返った。 キョトンとして動きを止めた結衣に、 「昨日のノルマが、まだだった」 と言いながら、覆い被さるようにして、のしかかってくる。 結衣は慌てて、ロイドの両肩に手をついて押し止めた。 「ちょっとーっ! 何なのよ、唐突に! キスなら、無理矢理酒を飲ませた時にしたでしょ?」 「あれはキスじゃない。口移しだ」 「そんなの、屁理屈ーっ!」 結衣が尚も抵抗を続けていると、ロイドが不思議そうに尋ねた。 「なんで嫌がるんだ」 「この状況が、なんか落ち着かないのよ。ベッドの上に寝てるし、あなた裸だし」 「気にするな。些細な事だ」 「気にするーっ!」 結衣の抵抗を無視して、ロイドは両手首を掴みベッドに押しつけると、強引に口づけた。 やがて結衣が抵抗を諦めて身体の力を抜くと、ロイドは手首を掴んだ手を離した。手首を離れたロイドの両手は、そのままゆっくりと結衣の腕の上をたどり、肩に到達して止まった。 腕の上をすべるロイドの手の平の感触に、背筋がざわついて結衣は身を硬くする。 徐々に激しくなっていく口づけと共に、ロイドの手が再び動き始め、結衣はピクリと身体を震わせた。 その途端、ロイドがガバッと身体を起こした。結衣が驚いて目を開くと、思い詰めたような表情でロイドが見下ろしている。 「何?」 何事が起きたのか分からず問いかけると、ロイドは大きく息をついた。 「やばかった。そのまま、突っ走りそうになった」 「……え……」 朝っぱらから強引にキスをした挙げ句、なし崩し的に突っ走ってもらっては、ゆうべの宣言は何だったのかと言いたくなる。やはりベッドの上でのキスは危険だった。 ロイドは結衣から離れ、ベッドの縁に座った。結衣も今度こそ身体を起こす。 「おまえ、どうする? 研究室にいる必要もないが、来るか?」 「うん」 王子が戻ったからには、今まで以上に勝手に王宮内をうろつけない。かといって、ここにいてもヒマだ。 「そうか。じゃあ、もう少ししたら、今日明日のおまえの扱いについて、ラクロットさんと相談してみよう」 ロイドはベッドから下りると、頭をかきながら寝室を出て行った。 ロイドとラクロット氏の協議の結果、結衣の存在はこれまで通り、関係者以外には極秘扱いとなった。 王子の代わりにエライ人に会ったり、会食に出席したりはしなくてもよくなっただけで、今までと変わりない。 事情を知らない人に、うっかり声をかけられたりしてはいけないので、変声機を飲み、身なりも王子と同じに整える。 ただ、寝泊まりはロイドの部屋に移り、食事は王子が食べてしまうので、ラクロット氏がロイドの部屋まで運んでくれる事になった。ロイドがこっそり引き上げさせたブラーヌの分が流用されるらしい。 同じ場所で王子と二人同時にいるところを目撃されてはまずいので、連絡を取り合って、移動する時は居場所の確認を常に行う事とした。 作業開始時間に研究室にやってきたローザンは、ロイドと結衣から事の真相を告げられ、作業を打ち切り、通常業務に戻るため、医務室に引き上げていった。 彼は翌々日八時に、結衣が日本へ帰還する時、もう一度手伝いにやってくる。 王子の捜索隊も昨日中に解散したらしい。 結衣の周りの日常が、結衣のいなかった時へと、ゆっくり移行していく。 ロイドは午前中、残処理にバタバタ忙しく、その間結衣はいつものように、窓辺の椅子で絵本を見たり、小鳥を撫でたりしていた。 残作業が終わると、ロイドは報告書を持って王の元へ報告に行った。その後結衣も呼ばれて、王と謁見する事になった。 王は事件の顛末について、申し訳なさそうに詫びた後、またしてもロイドとの結婚について尋ねた。結衣は現在相談中という事にして言い逃れ、研究室に戻った。 明後日には日本に帰って、いつまたクランベールに来る事が出来るのか分からないのだ。ロイドとの結婚など夢でしかない。そもそもロイドが結婚を考えているのかも分からない。 ロイドは王に何も言われてないのだろうか。気になったので尋ねてみた。 「何度か言われたぞ。それどころじゃないとか、相談中ですって言い逃れた」 口裏を合わせたわけではないのに、全く同じ事を言っていた事が分かり、二人は顔を見合わせて吹き出した。これでは王も、出任せだとは思わなかっただろう。 王はロイドが結婚する時、盛大な結婚式を催してくれると言っているらしい。それが煩わしくて、ロイドはこれまで、何度か薦められた縁談を、のらりくらりと躱してきたらしい。 別に結衣との結婚が嫌なわけではないようなので、ホッとした。 「いつか、しよう」 「何を?」 あまりにサラリと告げられて、結衣は思わず問い返す。 ロイドは結衣の頬に手を添えて、少し笑った。 「結婚だ」 結衣も淡く微笑んで、小さく頷いた。 「うん」 ”いつか”なんて日は永遠に来ないと、何かで聞いた事がある。 明後日には日本に帰る自分にとって、当てのないプロポーズでも、ロイドの気持ちが嬉しかった。 「陛下には事後報告だな。盛大な式は肩が凝りそうだ」 「きっと残念がるわよ」 「盛大なのは、殿下の時があるから、大丈夫だろう」 「それもそうね」 二人は再び、顔を見合わせて笑った。 |
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