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10. 午後になり、結衣がいつものように厨房でケーキを仕込んで、研究室に戻ると、レフォール王子がジレットを伴い訪れていた。 結衣は扉を閉めるなり、つかつかと王子に歩み寄る。 「ちょっと、レフォール! 移動する時は連絡する約束でしょ?」 「おまえ! 何、呼び捨てにしてるんだ!」 すかさずロイドがやって来て、結衣の腕を引いた。結衣は平然と釈明する。 「名前でいいって本人に言われたのよ。自分自身に殿下って呼ばれてるようで気持ち悪いって」 「たとえ、そうでも……!」 ロイドが反論しようとすると、王子が笑いながら遮った。 「いいんだよ、ロイド。ユイにはいっぱい借りがあるしね。でも僕の声で女言葉は止めて欲しいな」 「あなたのフリをしてる時は、ちゃんとやってたわよ。誰にもばれてないんだから、区別つかなくなるわよ。いいの?」 「……わかったよ」 ジレットが王子の横でクスクス笑った。 現役復帰した王子は、早速秘密を教えるために、ジレットを呼んだらしい。ラクロット氏と三人で地下遺跡を見学した後、ロイドのマシンを見に研究室にやって来たという。 結衣が戻った時、部外者が入ってきたら困るので、研究室の入口には「危険! 立ち入り禁止」の貼り紙をしてあったらしいが、文字の読めない結衣は眼中になかった。 「何が危険なの? って疑問に思わない?」 結衣が問いかけると、王子はイタズラっぽく笑った。 「ロイドは時々、妙なものを作って驚かせるから、みんな納得すると思うよ」 結衣も思いきり納得した。気を取り直してジレットに尋ねる。 「ジレット、時間ある?」 「ええ」 「よかった。もうすぐケーキが出来るから、食べていって」 「はい」 ジレットと会うのは誘拐未遂事件の日以来だ。帰るまでに、もう一度会いたいと思っていたので、ちょうどよかった。 結衣が再び厨房にケーキの様子を見に行こうとした時、扉がノックされ、ローザンの声が聞こえた。 「ロイドさん。今、入ってもいいですか?」 貼り紙の効果があったらしい。 「おまえひとりなら、いいぞ」 ロイドが答えると、扉がそっと開かれ、ローザンが恐る恐る顔を覗かせた。そして、結衣と王子に目を留め、納得したようにホッと息をついた。 「殿下がこちらにいらしたんですか」 ローザンは王子と結衣を見比べ、結衣に向かってにっこり笑う。 「いやぁ、こうしてお二人同時に見比べても、やはりよく似てますよね。でも、若干ユイさんの方が女性っぽいですけどね」 白々しいセリフと若干という言葉に引っかかりを覚えて、結衣はつい意地悪をしてみたくなった。 「ボク、レフォールだよ」 「え?」 途端にローザンは困惑した表情で、むこうにいる王子に視線を移した。 王子は結衣に合わせて、腕を組みながら、ふくれっ面をしてみせる。 「申し訳ありません。殿下」 ローザンが慌てて結衣に頭を下げると、むこうで王子が吹き出した。隣でジレットもクスクス笑う。 ローザンは益々困惑したように、周りをキョロキョロ見回した。 見かねたロイドが、横から結衣の肩を叩いた。 「あんまり、からかうな」 しばらく呆けていたローザンが、やっと状況を理解してわめいた。 「ひどいじゃないですか、ユイさん! お茶とお菓子をご馳走してくれるって言うから来たのに、本当はぼくをからかうのが目的だったんですか?」 「ごめんごめん。お茶とお菓子の方が本当よ。取りに行ってくるから、少し待ってて」 結衣は苦笑してローザンをなだめると、研究室を出て厨房へ向かった。 出来上がったケーキをワゴンに乗せて研究室に戻ると、ロイドとローザンが机と椅子をセッティングしておいてくれた。 今日のケーキはアップルパイにした。まずは人数分のお茶を淹れ、続いていつものように丸ごと一個のアップルパイをロイドの前に置くと、ジレットが目を丸くして尋ねた。 「ヒューパック様、それ、全部お一人で召し上がるんですか?」 「はい」 と大真面目に答えるロイドを見つめ、ジレットは驚いて息を飲む。 見慣れない者が驚くのは無理もない。見慣れていても胸焼けがしそうなのだ。 「あまり見ない方がいいわよ。気持ち悪くなるから」 結衣はジレットに忠告を与え、全員にパイを配り終えると席に着いた。 今までは王子捜索の合間の息抜きだったお茶の時間が、今日はのんびり、ゆったりとした気分で過ごせて、なんだか至福の時のように思えた。 しばらくの間、パイを食べながらお茶を飲んでおしゃべりをした後、結衣とロイドを残して、皆は研究室を後にした。 ジレットは明後日、結衣の日本帰還をわざわざ見送りに来てくれると約束した。 あっという間に一日が過ぎ去った。 真夜中のテラスで、結衣はロイドと並んで手すりに縋り、クランベールの夜景を眺めた。 見下ろすラフルールの街中には、真夜中にも拘わらず、ちらほらと人の姿が見える。よく見ると、中央の広場には、かなりの人が集まっていた。夜に同期を迎えるのは今日が最後だと、街の人たちも知っているのだろう。 ロイドが腕時計を見て、静かに告げた。 「始まるぞ」 直後、遺跡が派手に光の柱を立ち上らせた。同時にラフルールの街から、歓声と拍手がわき起こる。 結衣はチラリとロイドに視線を向けた。 以前、一緒に見た時は忌々しいと言っていたが、今は違うようだ。穏やかな表情で、目を細めている。 結衣はホッとして、遺跡に視線を戻した。 改めて、幻想的な光の柱に目を奪われる。思えばこの光は、自分とロイドを繋いでくれた奇跡の光なのだ。 やがて光が収束すると、ラフルールの街から「あー」というため息のような声が響いた。広場に集まる人々も、三々五々と家路につく。 結衣とロイドはどちらからともなく、顔を見合わせて笑みを交わした。 「次に見られるのは、三十年後だな」 「その時も、あなたと一緒に見られたらいいな」 「あぁ」 ロイドは結衣の肩を、そっと抱き寄せた。 扉がノックされる音で、結衣は目を覚ました。すでに日は高く昇っているようだ。 隣にはまたしても、裸のロイドが眠っている。結衣は横からロイドを揺すった。 「ロイド、誰か来たわよ。起きて」 ロイドは目も開けず、面倒くさそうに結衣の手を叩いて命令する。 「ラクロットさんだろ。おまえが出ろ」 「んもぉ!」 結衣はベッドから飛び出すと、走って入口へ向かった。 扉を開けると、ロイドが言った通り、ラクロット氏が立っていた。 「おはようございます。朝食をお持ちしました。まだ、お休みでしたか?」 パジャマ姿の結衣を見て、ラクロット氏が尋ねた。結衣は苦笑して答える。 「いえ、起きました」 「お邪魔して申し訳ありません。今日はお休みだと伺いましたので、ヒューパック様の分もお持ちしました」 そう言ってラクロット氏は、二人分の食事が乗ったワゴンを部屋の中に入れると、頭を下げて帰って行った。 結衣はワゴンを転がしてリビングに運ぶと、寝室の扉を勢いよく開いた。 「朝食が来たわよ!」 「怒鳴らなくても、聞こえる」 てっきり、まだ寝ていると思ったら、ロイドはベッドの縁に座り、眠そうな顔でぼんやりしていた。 「あなた、今日休みなの?」 「あぁ。一ヶ月休んでないから、陛下から休めって言われた」 結衣は納得してため息をついた。 「それで、ゆうべ夜更かししてたのね」 ゆうべ午前二時に遺跡の同期を見物した後、ロイドは結衣を寝室に追いやって、自分は書斎にこもった。 ヒマになった途端、機械いじりをしたくなったのか、結衣が寝る前に覗いた時は、パソコンに向かって図面を描いたりしていた。 ロイドが、いつベッドに潜り込んだのか、結衣は知らない。 「もう少し寝てる?」 結衣が尋ねると、ロイドは枕元のメガネを取って、気怠げに立ち上がった。 「いや、起きる」 目をこすりながらロイドは、のろのろと結衣のいる入口に向かって歩いて来る。 「だって眠そうだし」 「血糖値が下がってるからだ。食えば目も覚める。――というわけで、少し補給させろ」 入口にたどり着いた途端、ロイドはいきなり結衣を抱きしめてキスをした。 ほんの数秒後に、結衣はロイドを突き飛ばした。 「だったら、ごはんを食べなさいよ!」 ロイドはメガネをかけながら、不思議そうに首を傾げる。 「なんか昨日から、やけに嫌がるな」 結衣はクルリと背を向けて、リビングに向かった。 「脈絡がなくて、唐突だからよ」 ソファに座るとローテーブルは低すぎるので、二人は床に座って朝食を摂った。食事をしながら今日の予定について話す。 「休みの日って、いつもは何してるの?」 「大概は何か作ってるな。朝から始めて、気が付いたら夜になってる」 結衣は思わず苦笑する。仕事の日とあまり変わりがないのではないだろうか。 「じゃあ、今日も何か作るの?」 「それじゃ、おまえが退屈だろう。何がしたい?」 王宮内で出来る事など、限られている。結衣は少し笑って答えた。 「特に何も。あなたと一緒にいられるならば、それでいい。何もしないで、ぼんやり座ってるだけでも」 「それもいいかもな」 そう言ってロイドは微笑んだ。 最後の一日は、ゆったりと過ぎていく。 ソファに座って他愛もない話をしたり、地下の遺跡をもう一度見に行ったり、以前ロイドに教えたオセロゲームで遊んだりした。そして時々キスを交わした。 やがて夕日が沈む頃になると、結衣は途端に寂しさを感じた。 かつて、途方に暮れたロイドがつぶやいた言葉を、自分も思わずにはいられない。 『どうして一日は、二十四時間しかないんだろう』 |
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