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終章 |
周りから音と光が消えている事に気が付いて、結衣は顔を覆っていた手を外した。 ゆっくりと辺りを見回し、見慣れた光景にホッと息をつく。日本の自分の部屋に無事帰ってきたようだ。 足元には一ヶ月前に寝転んでいたお昼寝マットが敷かれている。その上に土足で乗っている事に気付いて、思わずわめいた。 「あーっ! 靴脱いで来ればよかった!」 慌てて靴を脱ぎながら、クランベールよりもひんやりした空気に、ひとつくしゃみをして、窓際の天井付近を見上げ、ガックリと項垂れた。 「やっぱ、エアコンつけっぱなし……」 だが、ふと違和感を覚えた。一ヶ月も行方不明になっていたのに、部屋の様子が変わっていない。誰かが捜しに来たなら、エアコンがついているのも妙だ。扇風機は止まっている。 外は日が傾き始めていた。いったい、今はいつなんだろう。 結衣は床に転がしておいた携帯電話を拾って開いた。バッテリが切れていない。 そして、待ち受け画面に表示された日付を見て驚いた。結衣がクランベールに転送された日だったのだ。時間が三時間経過しているだけだ。 狐につままれたような気分になって、結衣が呆然と座り込んでいると、背後で耳慣れた声が聞こえた。 「ふーん。ここがニッポンか」 振り返ると、先ほど結衣が現れた場所に、ロイドが立っていた。 「ロイド?」 結衣が立ち上がると、ロイドは嬉しそうに笑いながら歩み寄って来た。 「待たせたな。迎えに来たぞ」 結衣は慌てて、ロイドを押し止める。 「キャーッ! 靴のまま歩き回らないで! 靴脱いで!」 「なぜだ」 ロイドは立ち止まり、不思議そうに首を傾げる。 「一般的な日本家屋は、九十九パーセント土足禁止なのよ」 「面倒だな」 ブツブツ言いながら、靴を脱ぐロイドに結衣は言い返す。 「私にしてみれば、家の中で靴を履いてる外国人の方が不思議だわよ」 靴を脱いで、結衣の広げた新聞紙の上に置くと、ロイドは部屋の中を見回してぼやいた。 「なんで、この狭い部屋に何もかも詰め込んでるんだ。少し他の部屋に移せばいいのに」 「私の部屋は、ここしかないのよ。王宮と一緒にしないでちょうだい」 結衣が腕を組んで苛々したように言うと、ロイドはそれを無視して、いきなり結衣を抱きしめた。 「会いたかった」 相変わらず、唐突で脈絡がない。結衣は諦めたように、軽くため息をついた。 突然ロイドが身体を離し、結衣の両肩を掴んで、睨みつけた。 「おい。どこのどいつだ」 「は?」 何を怒っているのか分からず問い返す。するとロイドは声を荒げた。 「おまえの首筋に、こんな跡をつけた奴だ」 「えぇ?!」 結衣は慌ててロイドを振りほどき、洋服ダンスの横にある姿見を覗き込んだ。 確かに左の首筋に、赤紫の跡がある。それで王子もローザンも、エロい想像をしたのだと悟った。 「あーっ! もう、こんな目立つところに!」 「だから、誰なんだ!」 結衣の後ろに立ったロイドが、鏡の中の結衣を睨む。結衣も鏡の中のロイドを見て尋ねた。 「知ってどうするの?」 「決まってるだろう。一発殴ってやらないと気が済まない。そして、そいつの前で、おまえはオレのものだと見せつけてやる」 「そう。じゃあ、教えてあげる。そこにいるわよ」 結衣は鏡の中のロイドを指差した。しかしロイドは、動じることなく言い返す。 「ふざけるな。オレのわけないだろう。あれから三ヶ月経ってるんだ」 結衣は振り返って叫んだ。 「私はさっき帰ってきたのよ! でなきゃ、三ヶ月も王子様の服を着てるわけないでしょ?」 ロイドは黙って結衣の姿を見つめた後、表情を緩めた。 「そうか。オレか。時間がずれてたみたいだな。検討事項に上げておこう」 そう言ってロイドは、メガネを外しながら結衣を抱き寄せた。 「ちょっと! いきなり何?」 結衣が抵抗すると、ロイドは鏡の中の自分を見つめてニヤリと笑った。 「もちろん。見せつけてやるんだ」 そして結衣に口づけた。 少ししてロイドが唇を解放すると、結衣は大きくため息をついた。 「なんか、こんなに早く会えるんだったら、ゆうべ泣いて損した気分」 「気にするな。今夜改めて泣かせてやる。オレの寝室で」 ロイドは耳元に顔を近づけ、囁いた。 「この間の続きだ」 結衣は背筋がゾクリとして、思わず平手を振り下ろした。 「この、エロ学者!」 パンと派手な音がした。てっきり避けると思ったのに、またしてもヒットしてしまった。 「あ、ごめん」 痛そうに顔を歪めたロイドの頬に、結衣はうろたえながら手を添えた。ロイドはムッとした表情で、その手首を掴む。 「本気で泣かせてやりたくなった。来い! 帰ったら寝室直行だ」 結衣の手を引いて、ロイドは現れた場所に戻り、ポケットからリモコンのようなものを取り出した。 「あ、ちょっと待って!」 結衣はロイドに手を掴まれたまま、床に転がったリモコンを拾い、エアコンの電源を切った。 「逃げないから、ちょっと離して」 ロイドが手を離すと、部屋の隅に避けられていたテーブルの上で置き手紙を書き、携帯電話を重し代わりに置いた。 「なんだ?」 「帰ってくる時、また時間がずれてたら、みんなが心配するから」 結衣は二人分の靴を持って、元の場所に戻り、ロイドの腕に掴まった。 「行くぞ」 ロイドがリモコンのスイッチを押すと、二人の身体は光に包まれ、すぐに忽然と部屋から消えた。 誰もいなくなった結衣の部屋に、レースのカーテンの隙間から西日が差し込む。 オレンジ色の夕日が、テーブルの上に置かれた結衣の手紙に、スポットライトを当てた。 ”クランベールに行ってきます” (完) |
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