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初夢




 朝からなんとなく、ユイの機嫌が悪い。怒らせるような事をした覚えはない。
 ロイドは恐る恐るユイに尋ねた。
「何かイヤな事でもあったのか?」
 ユイはチラリとロイドに視線を送り、不機嫌そうに口先でポツリと問い返した。
「どんな夢見てたの?」
「夢? 覚えてないが……」
 何か変な寝言でも言ったのだろうか。そう考えていると、案の定、ユイが指摘した。
「女の人の名前を呼んでたの。そんなに怒ったら美人が台無しだぞ、って」
「女?!」
 全く身に覚えがない。寝言で呼ぶような女など、さっぱり思い当たらない。こちらこそ寝耳に水だ。
 ロイドがうろたえていると、後ろからランシュが腕を強く引っ張った。
「見損ないました、先生。あなたはユイを大切にしてくれていると思っていたのに」
「ちょっと待て。オレには心当たりがない」
 ランシュはロイドを一睨みして、そばにいたモエを笑顔で抱き上げる。
「モエ、オレがパパになったら嬉しい?」
 ロイドはランシュの肩を掴み、ムッとして問いかけた。
「こら。おまえ、まだ諦めてなかったのか」
「あなたがユイを泣かせるような事をするなら、話は別です」
 ロイドを冷たくあしらった後、ランシュは再びモエに笑顔を向ける。
「ねぇ? モエ」
 モエはキョトンとした表情でランシュを見つめた。
「おにいちゃんがパパになるの?」
「そうだよ」
 途端にモエは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、モエがママになる!」
「いや、そうじゃなくて……」
 ガックリと項垂れたランシュを横目に、ロイドはユイの様子を窺う。ユイはふてくされたようにロイドを追及した。
「どんな美人の夢を見てたのよ」
「おまえの事じゃないのか?」
「絶対違う。あなた私の事を美人だなんて言った事ないもの」
「まぁ、おまえは美人とは違うからな」
「悪かったわねぇ! 夢に見るほどの美人じゃなくて」
 うっかり本音を口走ったら、ユイは益々むくれた。そもそも美人かどうかという基準で惚れたわけじゃないんだからいいじゃないか、と言ったところで収まりそうにない。
 途方に暮れているところを、横からランシュがたたみかけた。
「いったいどこで、夢に見るほどの美人と付き合ってたんですか」
「オレの方が聞きたい! 毎日家と局とを往復しているだけだ。いったいどこにそんな美人に出会えるヒマがあるんだ。オレの周りにいる美人なんか口うるさいフェティくらいのもんだぞ」
「副局長?」
「当然ながら、あいつと付き合ったりなんかしてないぞ。頼まれてもごめんだ」
 ロイドが顔をしかめて吐き捨てるように言うと、突然ユイが「あぁーっ!」と声を発した。
 まだ何かあるのかと、ビクビクしながらユイを見つめる。
「どこかで聞いた事ある名前だと思ったら、副局長さんだったのね」
 そう言ってひとり納得したように頷きながら、ユイはクスクス笑い始めた。
「あなた、夢の中でも副局長さんに怒られてたみたいね」
「なんだ、そういうことか」
 そんな夢、覚えてなくてよかったとホッと胸をなで下ろす。横でランシュが笑い始めた。
「なんだ」
「気付くの遅すぎますよ。オレは”怒ったら美人が台無し”って聞いただけでピンときましたよ」
 どうやらランシュは、分かっていながらユイを煽ったりロイドを動揺させたりして、からかっていたようだ。
 ユイは相変わらずクスクス笑いながら、意味不明な事を言う。
「初夢が浮気だなんて縁起悪いと思ったけど、全然大丈夫だったわね。よかった」
「初夢?」
「ゆうべ見た夢のこと。今年になって初めて見た夢でしょう? 初夢は正夢になるっていうのよ」
 ニッポンではそういう言い伝えがあるらしい。
 という事は、自分は今年も副局長に怒られるということなのか。
 そんな言い伝え聞くんじゃなかった、とロイドは大きくため息をついた。



(完)




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