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番外編・セレモニー




 両親から手渡された結婚写真を見て、結衣は苦笑する。
 洋装と和装をそれぞれ二枚ずつ、実家の近所の写真館で撮ってもらった。
 洋装の方は何の問題もない。結衣はウエディングドレスとカラードレス、ロイドはタキシードと、カッコよく決まっている。問題なのは和装の方だ。
 結衣は白無垢と色打掛で問題はない。ところがロイドは、二枚とも手に日本刀を持っているのだ。
 侍のフリをして、おどけているならまだいい。見せてもらったサンプル写真には、花嫁をお姫様だっこしているものや、満面の笑顔で抱き合っているものなど、様々なポーズで撮られた写真がたくさんあった。
 けれど結衣とロイドの写真は、二人とも直立不動で微かに笑みを浮かべている、絵に描いたような記念写真なのだ。
 元々、結衣もロイドも刀を持って写るつもりなどなかったのだが、ロイドが着物を着てスタジオに現れた途端、写真館のスタッフが、当たり前のようにロイドに刀を握らせた。
 理由を訊くと、外国人男性は着物を着ると、十中八九、刀はないのかと尋ねるらしい。
 どうも外国人には、日本というと侍の印象が根強く、和服には刀が付きものだと思っているようだ。それで写真館には、模造刀が常備されるようになったという。
 見るからに外国人のロイドは、きっと刀を持ちたがるだろうと予想して、言われる前に気を利かせたわけだ。
 諸外国の日本に対する印象など知る由もないロイドは、特に疑問にも思わず、言われるままに刀を持って写真に写った。
 結衣も特に反対はしなかった。なにしろ、和服も日本刀も珍しくて仕方がないロイドが、なんだか楽しそうだったからだ。
 結婚式は写真を撮る前日、近所の神社で行った。
 出席者は結衣の家族と、比較的近所に住んでいる親戚が数名だけだった。
 この親戚たちは、結衣が帰省するたびに見合い話を持ってくるので、結婚する事を見せつけておかなければならない。
 なにしろこれまでも、結衣の入れ知恵で、両親が「カレシがいるらしい」と言っても、体のいい断り文句だと思われて、信用してもらえなかったのだ。
 結婚の話を伝えると「本当にカレシがいたのか」と驚かれたらしい。
 親戚たちに、ロイドはクランベール人だと正直に伝えてあるという。ただ、クランベールがどこにあるのかは話していない。ヨーロッパ辺りだと適当に言ってあるらしい。
 ヘタにアメリカ人だのイギリス人だのと嘘をついたら、ロイドが話しかけられた時にボロが出る。
 親戚たちが世界中の国の名前を、全部把握しているはずがない。結衣だって、地球温暖化で問題になるまで、ツバルという国がある事を知らなかった。
 親戚たちにとってロイドは「どこか外国の人」でいいのだ。
 親戚とはいえ、結衣が直接付き合う事は、これまでもなかった。ましてや立川の家を出て、外国に行ってしまう結衣が、親密に付き合う事はこれからもないだろう。
 ロイド側の出席者は、ひとりもいない。
 ロイド側の人々は事情を知っているとはいえ、口裏を合わせるのが大変なので誰も呼ばなかった。
 国王と王子には、特に内緒にしてある。盛大な式にしようと勝手に盛り上がりかねないからだ。
 元々ロイドには親族がいない。海外から来てもらうのは大変だからという事にした。
 神社で式を挙げたのは、ロイドの希望だ。表向きは。
 結衣としては、ウエディングドレスを着てチャペルで挙式、というのにも憧れていた。だがチャペルウエディングには、誓いのキスがある。
 出席者は自分の家族と親戚だけだ。その前でキスをするのは、たとえ頬や額であっても充分照れくさい。
 ロイドの事だから、絶対唇にするはずだ。おまけに思う存分とかされたら、出席者の間で一生語り継がれるだろう。弟の蒼太なんか、顔を合わせるたびに、ひやかしかねない。
 そこで、ロイドも納得して決めたと両親に言うため、一計を案じてロイドに選ばせた。
「普通の結婚式と日本風の結婚式と、どっちがいい?」
 珍しいものや、おもしろいものが好きなロイドは、迷わず日本風を選んだ。
 結果的に神社の挙式は、ロイドにとって、かなり珍しかったらしく、充分満足してもらえた。
 そして、ちょっとした誤解を与えてしまったようだ。
 曰く、日本には細かい儀式やしきたりが多い。
 クランベールの結婚式はどんなものなのか尋ねたら、儀式というより報告会のようなものらしい。
 神に誓ったりはしない。出席者の前で結婚を宣言し、後はみんなで楽しくパーティをするという。
 結衣たちも一応、近所のレストランで披露宴を行った。
 これには親戚だけでなく、結衣の友人三名も出席した。小学生の時からの友人で、今後も付き合いが途絶える事はないだろうと思われる三名だ。彼女たちには、事情を全て話した。
 友人の一人が笑いながら言った。
「結衣は王子様を夢見ているような子だったけど、本当に王子様と結婚するとは思わなかった」
 正装してにこやかに笑っているロイドは、見た目だけなら王子様に見えなくもない。
 結婚式と写真撮影を終えると、ロイドは仕事の都合で一旦クランベールに戻った。
 以前住んでいたマンションは引き払ったので、今、クランベールと繋がる日本の座標は、結衣の実家の蒼太の部屋になっている。
 結婚したとはいえ、書類上は何もしていない。住民票を実家に移しただけだ。
 戸籍はそのままになっているので、両親と蒼太が同時に事故にでも遭って死亡したりしたら、厄介な事になりかねないが、籍を抜いても移す先がないので仕方ない。
 ロイドの自宅の改装は、ブラーヌの都合もあるので、まだ終わっていないらしい。しばらくは王宮内のロイドの部屋に、一緒に住む事になる。
 少しばかりの荷物は、すでにクランベールに持って行った。
 今日、ロイドが迎えに来たら、二人の新生活が始まる。
 新居での正式な結婚生活は、もう少し先になるが、両親へのけじめをつけるため、先に結婚式を行ったのだ。
 写真を眺めながら、数日前の出来事を反芻していると、母が声をかけた。
「結衣、ロイドさんが来たわよ」
 席を立って居間を出ると、二階から蒼太に続いて、ロイドが下りてくるところだった。
 ロイドは出迎えた両親に挨拶をする。結衣はロイドの側に行き、両親に軽く告げた。
「じゃあ、行くから」
「あぁ、元気でな」
 父も笑って軽く返し、母も微笑んで頷く。結衣がロイドの腕を取って促すと、ロイドは怪訝な表情で結衣を見つめた。
「儀式は、もう済んだのか?」
「儀式?」
「奥座敷で三つ指ついて、両親に”長い間お世話になりました”って挨拶するんだろう?」
 そこまで改まった事はしていないが、ゆうべの内に挨拶は済ませてある。
 第一、奥座敷など、結衣の実家にはない。
 両親の隣で、蒼太が笑いをかみ殺している。日本の儀式に興味津々のロイドに、誰が妙な事を吹き込んだのか、容易に想像がついた。
 結衣は軽く嘆息し、ロイドの背中を押した。
「挨拶なら、ゆうべ済ませたから」
「なんだ、そうか。見たかったのに」
 堪えきれずに笑い始めた蒼太と、微妙な表情で微笑む両親に手を振って、結衣はロイドと共にクランベールに飛んだ。
 あまりにあっさりとした別れをロイドは不服そうにしていたが、元々結衣は実家を出てから、盆と正月、大型連休くらいしか家に戻らない生活をしていた。
 両親にとっても、結衣の居場所が変わるだけで、これまでと大差ないのだ。両親の胸の内は分からないが、結衣が結婚を実感するのは、これからだろう。
 王宮内の研究室に着くと、以前より室内はガランとしていた。いずれ研究室も王宮内から科学技術局に移すため、少しずつ荷物の整理をしているらしい。
 またしばらくの間、王宮内に厄介になるので、まずは国王と王子に挨拶に行った。
 結婚式を日本で済ませた事を告げると、盛大な式を計画していた二人は残念そうにしながらも、ロイドと結衣の結婚を祝福してくれた。
 ローザンやパルメのところにも顔を出し、一通り報告と挨拶を済ませて、ロイドの部屋に入った。
 部屋に入った途端、ロイドは結衣を抱きしめた。
「やっと二人きりになれた」
 囁くようにそう言って、ロイドはメガネを外しポケットに収めた。
 結衣はロイドを見上げて微笑む。
「これからはずっと一緒よ」
「あぁ。国王陛下公認だからな。これで名実共におまえはオレだけのものだ」
「うん」
 結衣は頷いて静かに目を閉じる。
 ロイドの甘くて優しいキスが落ちてきた。
 これは誓いのキス。神にも誰にでもなく、互いに相手に誓うキス。
 二人は飽きることなく、何度もキスを繰り返した。



 夜、結衣が風呂から上がると、リビングの灯りは消え、ロイドの姿はなかった。
 寝室の扉を開けて、中を覗くと、ベッドの上にロイドはいた。
 布団の上にあぐらをかき、腕を組んで神妙な面持ちで座っている。
 結衣の姿を認めたロイドは、手招いた。
「こっちへ来て座れ」
 いつもと様子が違う事に首を傾げながら、結衣は言われるままに側に行き、ベッドの縁に腰掛けた。
 するとロイドは、眉をひそめて、自分の前、布団の上を指差す。
「そこじゃない。上に座れ。新婚初夜の儀式があるんだろう?」
 まだ何か、蒼太に吹き込まれていたらしい。
 結衣は苦笑して、ロイドに問い返す。
「ごめん。どんな儀式?」
 ロイドは呆れたように言う。
「ニッポン人のくせに知らないのか? 布団の上に三つ指ついて、挨拶するんだろう?」
 できちゃった結婚も珍しくない昨今、いったい何組の新婚夫婦が、こんな挨拶をしているのか、蒼太に訊いてみたい。
 結衣は大きくため息をついて、ロイドを横目で見つめた。
「見たいの?」
「あぁ」
 結衣は仕方なくベッドの上に上がり、ロイドの前に正座した。ロイドが言った通りに、三つ指ついて頭を下げる。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
 挨拶を終えて顔を上げると、ロイドは満足そうに頷いた。そしてニヤリと笑い、結衣を抱き寄せる。
「おまえがふつつか者な事は知っている」
「ちょっと! どういう意味?」
 ムッとして言い返す結衣に、ロイドは平然と答える。
「新婚初夜の床の上で言う言葉だ。そういう意味だろう?」
「……え……」
 エロ学者にかかれば「ふつつか者」もそういう意味で、行き届かない拙い者という解釈になってしまうようだ。
 ロイドは結衣をベッドに押し倒した。
「心配するな。これからは毎晩、おまえが行き届いた女になるように、オレが念入りにメンテナンスしてやる」
「……機械のように言わないで」
 すっかり脱力して、目を伏せた結衣の耳元にロイドは囁いた。
「ユイ、愛してる」
 その言葉と共に落ちてきた口づけで、結衣の胸は一気に高鳴る。
 妙な儀式は、おそらくこれで最後だろう。
 とろけるような甘い口づけに幸せを感じながら、結衣はロイドの温かい腕にその身を委ねた。



(完)




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