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番外編・セレモニー 後日談




 ロイドと結婚して約一ヶ月後、家の改装が完了し、二人は王宮を出る事になった。
 王宮内の研究室は、まだ完全に移転が終わっていないので、ロイドはもうしばらく王宮に通う事になる。
 人捜しマシンは、未だ王宮内にあった。大きいので、そう簡単に解体して運び出せないらしい。
 科学技術局内に移したら、一般人の結衣が使用するには、色々と手続きを踏まなければならないという。
 科学技術局には、研究室が並ぶ本館と、成果物の並ぶ別館とがある。
 本館は局員でさえ、担当分野ごとに厳しく出入りが制限されていて、当然ながら部外者は、たとえ国王であっても、事前申請と許可がなければ、立ち入る事はできない。
 一般人の立ち入りが許可される事は、まずないという。
 一方別館は見学コースにもなっていて、これまでの研究成果が並べられている。一般人でも申請して許可が下りれば、成果物を使用する事は可能だ。
 人捜しマシンは、今後この別館に並べられる事になる。
 実のところ、これまでは完成していたものの、臨床試験の状態だったらしい。
 国費を投じて研究開発を行ったものは、完成品として認定されれば、開発者のロイドでさえ、勝手に使っていいわけではない。
 もっとも、最終的に完成品の認定を下すのは、局長のロイドなのだが。
 王宮内にマシンがある内に、日本から持ってきたいものは持ってきておけと言われ、結衣は今後必要になるであろう、料理の本と日本の食材、味噌や醤油などの調味料を、実家から運び込んだ。
 マシンが科学技術局に行ってしまった後は、ロイドが個人的に、荷物用の時空移動装置を作ってくれると約束した。
 国王と王子、そして王宮の人々に挨拶をして、ロイドと結衣はラフルールにあるロイドの家に向かった。
 改装前には廃屋にしか見えなかった家が、どんな風に変わっているのかを思うと、結衣はワクワクした。
 家にたどり着くと、見違えるほどきれいになっていて驚いた。結衣は一声感嘆の声を漏らすと、呆気にとられて家を見上げる。
 薄汚れていた壁は白く塗り替えられ、磨りガラスのようだった窓もきれいに磨き上げられている。蝶番が外れていた雨戸も修理されていた。
 ロイドに促されて中に入ると、もっと驚いた。
 外観同様、蜘蛛の巣が張っていた壁は白くなり、足跡のついた砂まみれの床も光沢を放っている。
 一番大きな変化は、ブラーヌが所狭しと置いていた古代の遺物たちが全部撤去されていた事だ。
「やぁ、いらっしゃい。ユイさん」
 物音に気付いたのか、奥からブラーヌがニコニコしながら出てきた。
「こんにちは。ブラーヌさん」
 結衣が笑顔で挨拶をすると、ブラーヌは苦笑しながら頭をかいた。
「いらっしゃいは変だったな。これからはずっとここで暮らすわけだし。ようこそが正しかったか」
 長い間、実質的には一人暮らしだったブラーヌは、結衣がやって来た事に少し戸惑っているようだ。照れくさそうに頭をかく姿が、なんだか微笑ましかった。
 一階はこれまでと、ほとんど変わっていない。ロイドが王宮に住むようになって物置と化した後、開かずの間になっていた二階を大幅に改装したらしい。
 以前は古代の遺物で階段が塞がれていたので、結衣は元々の二階の様子を知らない。
 ブラーヌは翌日から、また王宮地下にこもるので、その準備のために席を外した。
 結衣はロイドに案内してもらって二階に上がる。
 二階には、元々ロイドが使っていた部屋と、夫婦の寝室と、空き部屋が二つあった。
 ブラーヌは妻と別れてから、二階の寝室は使わず、一階の自分の部屋で寝ていた。
 ロイドの部屋はそのままで、寝室は結衣とロイドが使う事になる。残る二つの空き部屋の内、一つが結衣の部屋となった。
 ロイドが言うには、以前はロイドの部屋以外は全部、ブラーヌの資料置き場になっていたらしい。各部屋の扉は開け放たれたまま、動かなくなっていたという。
 一通り案内してもらうと、後はそれぞれ自分の部屋に入り、すでに運び込まれていた荷物を片付けて、一日が終わった。



 翌日ロイドは、地下遺跡に潜るブラーヌと一緒に、仕事と研究室の片付けのために王宮へ向かった。結衣は一人で留守番となる。
 昨日来たばかりで、まだ自分の家だという実感が湧かないせいか、なんとなく落ち着かない。
 リビングから外を覗くと、小さな庭が雑草に覆われていた。庭に出てよく見ると、雑草の間にミントやローズマリーなどのハーブも生えている。
 他にする事もないので、結衣は庭の手入れをする事にした。
 木のようになったローズマリーはそのまま残し、雑草と同じ勢いではびこっているミントは、少しだけ残して庭を一掃する。
 庭が夕日に染まる頃、ようやく作業が終了した。
 雑草がなくなった空間に、ケーキにも使える木イチゴ類を色々植えてやろうと企みながら、ハタと気付いた。
「ご飯、作らなくちゃ!」
 ゆうべの内に料理の本に付箋紙を貼って、作るものは決めてある。昼に材料も買いそろえておいた。今夜はクリームシチューを作る事にした。
 結衣は料理が全くできないわけではないが、あまり得意ではない。
 以前ロイドが、クリームソースパスタを作る片手間に作っていたくらいだから、そんなに難しくはないだろうと思ったのが甘かった。
 ゆうべの内に本の内容を、しっかり確認しておくべきだったと後悔する。
「誰でも簡単! おいしい料理」というタイトルに惹かれて買った、初心者向けの料理本は電子レンジを使った料理がメインだった。
 ロイドの家に電子レンジはない。
 慌てて母のくれた昔の料理本を引っ張り出して、ホワイトソースの作り方を確認する。
 作り始めると、改めてロイドの料理の腕前を、まざまざと見せつけられたような気がした。
 バターを焦がしたり、小麦粉がダマになったり、失敗を繰り返している内に、時間だけが無情に過ぎていく。
 夜の九時を回った頃、何もできていないのに、ロイドが帰ってきた。
 結衣は慌ててキッチンから飛び出し、ロイドを出迎える。
「お、おかえり」
 無理に笑顔を作って挨拶をすると、ロイドは怪訝な表情で返事をした。
「あぁ。ただいま」
 そのまま口をつぐみ、じっと結衣の顔を見つめて立ち尽くしている。
 顔に小麦粉でもついているのかと、ロイドの様子を窺いながら頬を撫でてみるが、ロイドは動かない。しびれを切らして、結衣の方から尋ねた。
「何?」
「それだけか?」
「え?」
「儀式があるんだろう?」
 妙な儀式は、新婚初夜に終わったものだと思っていた。笑顔を引きつらせる結衣に、ロイドは大真面目で言う。
「新妻が夫を出迎える時の決まり文句があるんじゃないか?」
「……え……」
 一ヶ月前に、笑いをかみ殺していた蒼太の顔が脳裏に浮かぶ。それと同時に何の事だかピンと来た。
「……それ、儀式でもなんでもないから。どっちかっていうと、男のロマンの類よ」
「まぁ、そうかもしれないな」
 結衣の言葉に、ロイドは納得したように頷く。けれど、目には好奇の色を湛えたまま、結衣に尋ねた。
「で、やらないのか?」
 儀式だからというより、単に見てみたいだけのようだ。
 他に誰がいるわけでもない。結衣は諦めて、一言断りを入れる。
「……今日だけよ」
「わかった」
 ロイドの承諾を受け、結衣はやけくそになって、イタズラっぽく彼を見上げ、決まり文句を口にした。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも、あ・た・し?」
「もちろん、おまえだ」
 ロイドは嬉しそうに笑いながら、結衣を抱きしめた。
「――と言いたいところだが、腹が減った。メシにする」
 ロイドの言葉に、結衣の顔は再び引きつる。
「ごめん。まだ出来てないの」
「何を作ってるんだ?」
「クリームシチュー」
「まだ煮込んでいるのか? 少しくらい固くてもかまわないぞ」
「それが……ホワイトソースがうまくできなくて、まだ何も……」
 結衣が俯くと、ロイドは結衣から離れた。
「じゃあ、オレが何か適当に作ろう」
 そう言ってキッチンに向かおうとするロイドの腕を、結衣は掴んで引き止めた。
「イヤッ! 私が作るから!」
 ロイドは立ち止まり、結衣を見つめる。
「今からシチューなんか作ってたら、夜中になるぞ」
「何か別のものを、すぐに作るから」
 もっと早い段階でそうするべきだったと、今頃になって思う。
 ロイドはフッと笑い、結衣の頭を撫でた。
「わかった。ホワイトソースの作り方は今度教えてやる」
「うん」
「選択の余地がなくなったな。風呂に入ってくる」
 そんな事を言いながらも、ロイドは結衣を抱き寄せる。
「言ってる事とやってる事がかみ合ってないんだけど」
 結衣が指摘すると、ロイドはメガネを外しながら顔を近付けてきた。
「腹が減ってるんだ。少し補給させろ」
「だから、すぐに作るから」
「分かってないな。オレにとってはおまえの唇が一番のエネルギー源なんだ。つべこべ言うな」
 少し苛々したように早口でまくし立て、ロイドは強引に口づけた。
 少しの間結衣の唇を味わい、ロイドは風呂へ向かった。
 その隙に、結衣は代わりのものを作り始める。
 ボウルに小麦粉と卵を入れ、シチューに入れるはずだったキャベツと鶏肉を細かく切ってその中に放り込む。
 塩こしょうで味付けし、グルグルとかき混ぜてフライパンに広げて焼く。ひっくり返して両面に火が通ったらできあがりだ。
 二つめを焼いていると、風呂上がりのロイドが様子を見にやって来た。
 皿の上に乗った料理を、ロイドは珍しそうに見つめる。
「何だ? これは」
「お好み焼き」
(――のようなもの)
 結衣が時々作る、横着料理の一つだ。キャベツ以外の具は、その時々によって違う。
 出来上がったお好み焼きを食卓に運び、ソースをかけてロイドに差し出す。
 一口食べてロイドは感想を述べた。
「見た目はチープだが、案外美味いな」
「そう。よかった」
 結衣の横着料理が、「お好み焼き」だとロイドの中にインプットされてしまった。
 ホッと胸をなで下ろしながらも、結衣は心の中で「大阪の人ごめんなさい」と謝った。
「お腹減ってるのに、こんなものでごめんね。量は足りてる?」
 結衣が尋ねると、ロイドはニヤリと笑った。
「足りない分は、後でたっぷりと、おまえで補充するから大丈夫だ」



 数日後、ロイドはホワイトソースの作り方を披露してくれた。
 ところが、材料も火加減も調理時間も、全て目分量で、全く参考にならない。なのに出来上がったものは、驚くほどおいしくて、結衣は改めて敗北感を覚えた。



(完)




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