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番外編・選択




 もしも――だったら、――じゃなかったら。
 誰しも一度や二度は考えた事があるだろう。
 オレの人生は、生まれた時から、それの連続だったような気がする。
 もしもオレが、愛し合う夫婦の間に、普通に生まれた子供だったら、オレの人生は今とは全く違うものになっていただろう。
 オレには両親がいない。
 卵子の提供者を母と呼ぶなら、顔を見た事もない彼女が母なのだろうか。
 だが、彼女の遺伝子をオレは受け継いでいない。遺伝子は彼女の夫から、丸ごと受け継いだ。
 彼は事故で亡くなったので、もうこの世にはいない。二人は夫婦だったので、彼がオレの父親なのか? しかし、全く同じ遺伝子の父親というのも、妙な話だ。
 彼女は夫の死を、受け入れられなかったのだろう。違法で不完全なクローン技術で、オレを作った。迷惑な話だ。
 おかげでオレの身体は、物心ついた頃からガタが来ている。
 もしもクローン技術が完全なものだったら、もしもオレが自然に生まれた子供だったら、子供の頃、何度考えたか分からない。
 過ぎ去った過去をいくら仮定しても、やり直せるわけはない。
 考えても無意味な事だと、考えるのを止めて、オレは妙に諦めの早い聞き分けのいい子供になった。
 遺伝子に欠陥を抱えていては、いつまで生きられるか分からない。
 先の事を考えるのも、オレにとっては意味のない事だった。
 過去も未来も考えず、今だけを見つめてオレは生きてきた。
 あれから二年が過ぎた。
 無意味だったはずの未来を、オレは手に入れた。
 血は争えないと、他人は言うかもしれない。血の繋がっていないはずのあの人と同じように、オレは法を犯して未来を手に入れた。
 今しか見ていなかったはずのオレが、なぜ未来を欲しくなったのか、免職になった後の記憶がないので分からない。
 人として生きた頃の晩年の記憶がないのは、ある意味、救いのような気がする。
 ジリジリと迫り来る死の恐怖に怯え、自分の運命を、世界の全てを呪い、きっと嫌な感情で胸の中は満たされていたのだろう。
 実際にオレは、先生に復讐を宣言していたらしい。
 免職になって、研究が続けられなくなったからだろう。実際にはコッソリ続けていたようだ。
 だから、今のオレがある。
 長年暮らしていれば、監視カメラの死角やセキュリティの穴も熟知している。欺くのはたやすい事だ。
 ”オレ”の指示に従い局を抜け出したオレは、ベルおばあちゃんという家族を得て、偶然、ユイに出会った。
 人だった頃には知らなかった感情が、オレの中に芽生えた。
 ユイに会うたびに、その感情は大きくなっていく。
 おばあちゃんを失って、また家族が欲しくなった。それがユイだったら、どんなにいいだろう。
 未来を手に入れたオレは、どんどん貪欲になっていく。気付けば、ユイの元を訪れていた。
 ユイは快く受け入れてくれたが、オレの想いはすでに手遅れなものだった。
 明日全てを失うかもしれない頃には、過去も未来も考えても仕方のない事だった。だから考えないようにしていた。
 けれど今、未来が考えられるようになったオレは、手遅れな自分の想いが悔しくて、ついつい過去も考えてしまう。
 諦めの早い聞き分けのいい子供だったオレの記憶を元に、今の感情は作られている。なのに、なんと諦めの悪い事だろう。そもそも恋愛感情なんか、記憶にないはずだ。
 思考エンジンの不具合かとも思ったが、オレは元々諦めの悪い奴だったのかもしれないとも思う。だからこそ、今のオレがあるのだろう。
 ユイは二年前、ちょうどオレが免職になって間もない頃、異世界からやってきて先生に出会った。
 もしもオレが免職になっていなかったら、オレは助手として王宮の研究室にいたかもしれない。以前は時々、手伝いに行っていたのだ。
 その時、先生より先に、オレがユイに出会っていたなら――?
「もしかしてユイは、先生よりオレを好きになってくれた?」
 尋ねるとユイは、無自覚に残酷な笑顔で、あっさりと肯定した。
「なってたかもしれないわね。ランシュは優しいし。私、ロイドの第一印象は最悪だったんだもの」
 いっその事、先生と結ばれるのは運命だったからと、全面否定してくれたら、潔く諦めもつくのに。
 思わず、言っても仕方のない、もしもが再び口をついて出た。
「じゃあ、二年前に戻りたいな。そしたら今頃、オレとユイがラブラブ夫婦だったかもしれないよ」
 ユイはまた、クスリと笑った。
「そうかもね。でもランシュ、本当に二年前に戻りたいの?」
「え?」
「二年前に戻るって事は、そこから今までの二年間を捨てちゃうって事よ」
 ユイの言葉にハッとした。
 そもそも免職にならなかったら、今のオレは存在していない。
 その時ユイに出会えて、想いを分かち合ったとしても、ユイとの未来などあるわけがない。
 だからあの頃、人に情を移さないようにしていた。あまり関わらないようにしていた。
 その人が気がかりで、安心して死ねないからだ。
 ユイは穏やかに微笑んで、言葉を続けた。
「あの時ああしてたらなぁって、私も後悔する事は時々あるけど、その時に戻りたいとは思わないの。その後に出会った人たちも出来事も、もしかしたら間違っていたかもしれない選択も、全部今の自分を作ってる大切なものだから、私は捨ててしまえないの。ランシュもおばあちゃんと出会えてよかったでしょ?」
「うん。そうだね。今のユイに出会えた事もね」
 ユイは嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。
 たとえ想いが報われなくても、この笑顔をずっと見ていられるなら、それだけでも幸せだと思える。
 自由と未来を手に入れた貪欲なオレは、また閉じ込められるために局に戻るつもりはない。
 もう先生を恨んでもいないし、復讐など考えてもいない。なにしろ宣言した事すら、記憶にないのだから。
 けれど復讐を盾に先生を脅してでも、ユイと共に暮らせる未来が欲しかった。
 この選択は間違っているのかもしれない。
 今は脅しに屈している先生にも、その内見破られて、また選択を迫られるかも。
 それはその時に考えればいい。
 今のオレには、永遠とも言える未来があるのだから。



(完)




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