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番外編・大志を抱け




 優しくて可愛らしい、笑顔の副局長。ランシュは本当に、そんなフェティを知っている。
 あれはまだ、ランシュが子どもで、フェティが副局長ではなく入局して間もない新人局員だった頃の事だ。
 病弱であまり騒ぐ事もなく、お行儀よくて聞き分けのいいランシュは、局内の女性たちに可愛がられていた。
 ちょうどそういう年頃だったのかもしれない。優しくされたり、かまわれたりするのがランシュには少しうっとうしかった。
 長くは生きられないという、自分の運命はすでに知っていた。彼女たちの優しさが、かわいそうな子どもに対する憐れみのような気がして、なおさら心は冷めてしまう。
 表には出さなかったが、ランシュは内心かわい気のない子どもだった。
 ランシュの部屋は研究室の並ぶ一角にあった。部屋の外をうろついていると、必ずと言っていいほど、女性研究者にかまわれる。
 今日も局内の図書室で、若い女性局員にお気に入りの本をお薦めされた。
 礼を言って薦められた本を手に取る。
 彼女が子どもの頃に夢中になったというその本は、弱虫だった少年が不思議な縁と運命に導かれ、やがては世界を救う勇者へと成長していくという、冒険ファンタジーだった。
 ランシュはその場でパラパラとページをめくり、お薦めした彼女がいない事を確認して、本を棚に戻した。
 興味ない。こんな子供騙しの絵空事。現実から目を背け、夢の世界に遊べとでも言うのか。
 フンと鼻を鳴らして本棚に背を向けた時、背後でクスリと笑い声が聞こえた。
「いい性格してるのね、あなた」
 振り返ると、ブロンドの美女がいた。
 口元に微かな笑みを湛え、ガラス玉のように澄んだブルーの瞳がランシュの心の奥を見透かしたかのように、真っ直ぐこちらを見据えている。
 白衣を羽織っているという事は、研究者なのだろう。
 やたらと女性にかまわれるし、あまり数もいないので、ほとんどの女性局員の顔は把握しているつもりだった。けれど彼女には見覚えがない。
 彼女は側まで来ると、ランシュが戻した本を手に取り、表紙を眺めてすぐ棚に戻した。
「冒険物語には興味ないの?」
「そういう作り話には興味ない。オレにとっては現実の方がよっぽど作り話みたいだもの」
「ふーん。冷めてるのね。普段の人当たりがいい、いい子チャンは演技だったの?」
「別に……。反抗したりするの、面倒なだけ」
 人付き合いに限らず、ランシュは何もかもが面倒だと思っていた。
 彼女の方はランシュの事を知っているようだ。それも当然と言えば当然だろう。一般人が立ち入れない領域を、うろついている子どもなど、目立ってしょうがない。
 誰なのか尋ねると、彼女は今年入局したバイオ科学者で、フェティ=クリネと名乗った。
 局内をうろついている子どもが珍しくて、ずっとランシュを観察していたらしい。バイオ科学者なら、なおさらランシュの事は興味深かっただろう。
 ランシュはニヤリと笑い、フェティに尋ねた。
「何かおもしろい発見でもあった?」
「なんの事?」
 彼女は訝しげに眉をひそめる。
「だってオレは、この世でたったひとりしかいない体細胞クローンの生きたサンプルだよ。何か訊きたいから声をかけたんじゃないの?」
 フェティの目が少し見開かれ、形のいい眉が一瞬ピクリとつり上がった。てっきり怒り出すものと思ったら、彼女はフッと笑った。
「そうね。あなたは確かに興味深いわ。だから一言言ってやりたかったの」
 フェティはランシュの鼻先に、ビシリと人差し指を突きつけた。
「子どものくせに覇気がない」
「えぇ?」
 思いも寄らない事を言われ、ランシュは空気が漏れたような声を上げた。覇気なんかどうやったら持てるのか、こちらが聞きたいくらいだ。
「おとなしくて人当たりがよくて、いう事をよく聞くいい子だけど、あなた誰にも、何にも興味持ってないでしょ。食べる事すらどうでもよさそうだもの」
 なるほど、よく観察している。さすがは研究者と言うべきか。
「あなた、自分のいる環境を理解しているの?」
「してるよ」
 ここは研究施設で、自分は出来そこないの実験サンプルだ。
「だったら、どうしてそんなに無気力なのよ。私なんて毎日ワクワクしてしかたないのに」
「へ?」
 どこにそんなテンションの上がる要素があるのか、ランシュには理解できなかった。
 フェティは目を輝かせて、興奮したようにまくし立てる。
「ここはそう簡単に入る事の出来ない場所なのよ。そこに二十四時間いられるあなたは恵まれているわ。周りは超一流の科学者ばかりで、学べる事はたくさんあるでしょ?」
 確かにフェティにとってはそうだろう。科学技術局の入局試験は超難関だと聞いている。知識や技術以外に、人格や素行も評価の対象になるらしい。
 その難関を突破して入ってきたばかりの彼女が、やる気に溢れているのは納得できる。
 だが自分は――。
「学んでもオレにはそれを活かせないよ。二十歳まで生きられるかどうか分からないって言われてる。あと十年もないんだよ」
 俯くランシュの頭を、フェティがサラリと撫でた。顔を上げると、見下ろす優しい眼差しと視線がぶつかった。
 フワリと花のような笑みを浮かべ、けれどキッパリとした口調でフェティは言う。
「だったら、やっぱり学びなさい。失うのが惜しいと思われるような、一角の人物になってやりなさいよ。あなたが学んで得た知識や残した功績は、あなた自身に活かす事が出来なかったとしても、ここにいる超優秀な科学者たちが存分に活かしてくれるわ」
 どちらにせよ、とにかく学べと言うフェティがおかしくて、ランシュは声を上げて笑った。
 彼女の言葉に憐れみは感じられない。純粋な励ましが嬉しくて、かつて経験した事がないほど気持ちが昂ぶり笑いが止まらない。
「そんな風に笑うとこ初めて見たわ。何がおかしいの?」
 呆れたようにつぶやくフェティに、ようやく笑いの収まったランシュは告げた。
「オレ、機械が好きなんだ。機械の事、もっと色々知りたい」
「そう」
 フェティは満足げに目を細めた。
「ありがとう。フェティ」
 腕を伸ばしてフェティの首に回し、思い切り背伸びをして、ランシュは彼女の頬にキスをした。
 少し驚いたように目をしばたたいた後、フェティは「どういたしまして」と言いながら、照れくさそうに笑った。
 少し頬を染めた少女のような愛らしい笑顔が、ランシュの胸に焼き付いた。



(完)




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