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番外編・甘い拷問 |
朝から何度目のあくびをかみ殺しただろう。 結衣は窓辺に置いた椅子に座り、手の平の小鳥の頭を撫でながらぼんやりしていた。 研究室にいろと言われ、それに従っているが、何もする事がないので退屈で仕方ない。 最初の二日間はそれでも、物珍しさと緊張感から何とか耐えていた。だが、三日目ともなると、すっかりだれてしまっている。 何か手伝う事はないかとロイドに尋ねてみたが、文字の読めない結衣に手伝える事は何もなかった。 結衣が穴に落ちた翌日から、王宮医師のローザンが、畑違いの助手としてロイドのデータ分析を手伝いに来ている。二人は時々言葉を交わしながら、忙しそうに作業に追われていた。 「あ〜っもう、たいくつ〜」 「うるさいぞ、おまえ。さっきから何度も!」 結衣がぼやくと、すかさずロイドの怒声が飛んできた。 「だって、たいくつなんだもん」 「たいくつがイヤなら、文字の勉強でもしろ」 「あなたが読んでる難しい文章を読めるようになるには、何年もかかるわよ。ここの文字が読めても、日本に帰って役に立つわけでなし……」 結衣が気怠げに反論すると、ロイドは苛々して隣に座ったローザンの背中を叩いた。 「ったく! おい、こいつに与えるおもちゃでもないのか!」 コンピュータに向かって、データ解析を行っていたローザンは、いきなり背中を強く叩かれ、画面に頭をぶつけそうになった。 「とんだ、とばっちりです。おもちゃはロイドさんの方が得意じゃないですか」 非難するように見上げたローザンの額を、ロイドはペチッと叩いた。 「どういう意味だ。オレは道具を使わない主義だぞ」 「そっちのおもちゃじゃ、ありません」 男同士のエロ漫才をぼんやり眺めながら、結衣はひとつため息をついた。 何かひとりで遊べるゲームでもあれば気も紛れるのに……と考えて、ふと閃いた。 「ねぇ、ロイド。私とゲームしない?」 結衣の提案にロイドは眉をひそめる。 「何を言っている。オレはそんなヒマ……」 「一回だけ勝負してくれたら、後はおとなしくするわ」 探るように見つめるロイドに、結衣はイタズラっぽく笑った。 もちろん、それなりの対価は支払ってもらうつもりだ。 「いいだろう。どんなゲームだ?」 「オセロゲーム。知ってる?」 裏表、白と黒に塗り分けられた石を使い、自分の石で相手の石を挟み、自分の色に塗り替えていく。最終的に自分の色が多い方が勝ちとなる、あの単純なゲームだ。 もちろんロイドは知らないと言った。 頭脳戦となるゲームで、学者のロイドより優位に立とうと思えば、ロイドの知らないゲームを選ばなければならない。 オセロゲームは勝つためのコツがある。結衣はそのコツを少しばかり知っていたので、オセロゲームは得意なのだ。 だが、単純なゲームだからこそ、ロイドには簡単にそのコツを見破られてしまうかもしれない。ロイドがコツに気付く前に、勝負は短期決戦一発勝負でなければ勝算はない。 結衣はルールの説明を後回しにして、ロイドから厚紙をもらい、ゲームの材料を先に作る事にした。 その間ロイドは通常業務に戻ったが、時々不思議そうに結衣を見つめた。結衣が何かを企んでいる事には気付いているのだろう。 やがて準備が整うと、ゲーム盤の乗った机を挟んで座り、結衣とロイドは対峙した。 結衣は机に頬杖をつくと、ロイドを見つめて微笑んだ。 「せっかくだから、賭けない?」 納得したように頷いて腕を組むと、ロイドは椅子の背にもたれた。 「そういう事か。何が望みだ?」 「私が勝ったら、あなたの嫌いなものをお腹いっぱい食べてもらうわ。あなたは?」 「そうだな。オレのいう事を一日素直に聞いてもらう」 ロイドがそう言うと、結衣は眉を寄せて睨みながら、却下した。 「そんな大雑把なのダメ! はっきりと何かひとつに決めて」 ロイドは面倒くさそうに嘆息すると、 「おまえの嫌がる事だろ?」 と言いながら、少し考えてニヤリと笑った。 「キス、三十秒でどうだ?」 「さ、三十秒?!」 結衣が思わず大声を上げると、同時にロイドの後ろでローザンが吹き出した。 「何がおかしい」 ロイドが振り向くと、ローザンはなおも笑いを堪えながら、ロイドに言う。 「だって、ロイドさん分かりやすすぎ……」 そう言って、クスクス笑うローザンに、ロイドと結衣は同時にツッコミを入れる。 「何がだ」 「何が?」 ロイドはともかく、結衣にまで突っ込まれたのが意外だったのか、ローザンは笑うのを止めて、目を丸くしたまま結衣に問いかけた。 「え? 分かってないんですか?」 「だから、何が?」 キョトンと首を傾げる結衣に、ローザンは大きくため息をついた。 「いえ……ぼくの口出しすることじゃありませんから」 そう言って、椅子を反転させると、コンピュータの画面に向き直った。 ローザンのいう事は意味深で気になるが、とりあえずは三十秒の方が問題だ。 実際にはどのくらいの長さなんだか、見当もつかない。 結衣は机にひじをついて身を乗り出すと、ロイドを手招いた。ロイドが同じようにひじをついて顔を近づけると、結衣は小声で問いかけた。 「最初のキスって何秒くらいだった?」 「三秒くらいじゃないか? おまえが途中で突き飛ばしたから」 「じ、じゃあ、この間のは?」 「五秒ってところだろう」 ロイドの答えを元に、結衣は三十秒の長さを計算する。最初の十倍でこの間の六倍。その計算結果に、結衣は頭をかかえて叫んだ。 「無理! そんな長い時間、窒息しちゃう!」 結衣の言葉にロイドは呆れたように、言い返した。 「するわけないだろう。もしかして息を止めてたのか? 人間には鼻という呼吸器官もあるんだぞ」 「だって、鼻息かかったら恥ずかしいじゃない」 「悪かったな。鼻息かけまくりで」 「お二人はすでに、そういう間柄なんですか?」 二人がコソコソ言い合っていると、いつの間にか側に来ていたローザンが、興味深そうに覗き込んでいた。 「どういう間柄だ」 ロイドが額を叩くと、ローザンは意外そうに目を見開いた。 「え? だって、キスしたんですよね?」 「こいつがしたいと言うからしたのに、殴られそうになったんだぞ」 憮然として訴えるロイドに、結衣は真っ赤になって憤慨する。 「言ってないわよ! ひとの言葉を曲解して、あなたが強引にしたんじゃないの! っていうか、そんな事ベラベラしゃべらないでよ!」 言い争う二人に、ローザンは苦笑すると、 「はいはい、仲がよろしい事で」 と、ため息混じりに言いながら、元の場所に戻った。 「どこが仲良く見えるっていうんだ」 怪訝な表情でローザンの背中を見送った後、ロイドは結衣に向き直った。 「で? 条件を飲むのか?」 「いいわよ。勝てば問題ないし」 笑顔を引きつらせながら承諾すると、結衣はルールを説明し、ロイド先攻でゲームを開始した。 数十分後、あっさり勝敗は決した。一面ほとんど真っ白に染まったゲーム盤を前に、結衣はニコニコとロイドを見つめた。 ロイドは同じゲーム盤を忌々しげに見つめて、眉間にしわを寄せる。 「で? 何を食えって?」 ロイドが不愉快そうに尋ねると、結衣は笑顔のまま告げた。 「三時のお茶と一緒に食べてもらうわ。お昼ご飯は控えめにね。私はこれから三時まで厨房にいるけど、いいでしょ?」 「かまわないが、おまえが作るのか?」 もの言いたげに見つめるロイドに、結衣は詰め寄る。 「何よ。言っとくけど、これに関してはプロ並みだって友達に言われてるんだから」 「身内の証言は当てにならない」 平然と否定するロイドを指差して、結衣は宣告した。 「言ったわね! もうイヤだって泣いて頼んでも、完食してもらうから!」 捨て台詞を残して、結衣はロイドの研究室を出ると、厨房に向かった。 ロイドの小馬鹿にしたような態度にムッとしたものの、その涼しげな表情が苦痛に歪むのを想像すると、結衣は思わず口元が緩んだ。 甘いものが苦手な人には、金平糖一粒でさえ拷問だと聞く。 結衣がこれから作ろうとしているのは、究極の激甘ケーキなのだ。 元々暇つぶしに作ろうと思っていたので、すでに厨房には話を通して、材料を用意してもらっている。 外国の文献においしそうなお菓子があったので作ってみたい、という理由も、好奇心旺盛で甘党の王子なら通用した。 結衣はもう一度クスリと笑うと、声をかけて厨房に足を踏み入れた。 午後三時の少し前、結衣の作った二つのケーキが完成した。 ひとつはロイドの拷問用で、砂糖が多めになっている。もうひとつは場所と材料を提供してくれた、厨房の人たちへのお礼だ。そのケーキを自分用に一欠片分けてもらい、大小二つの皿を持って、結衣はロイドの研究室に向かった。 究極の激甘ケーキはチョコレート尽くしだ。 製菓用の甘い酒を使ったシロップを、たっぷりと含ませたココア風味のスポンジと、生クリームを混ぜてホイップしたチョコレートクリームを交互に重ね合わせ、周りもチョコレートクリームでブロックしてある。 そして、仕上げは滑らかで艶のあるグラッサージュショコラで周りをコーティング。甘いだけでなく結構重量感もある。 冷えてもカチカチにならないチョコレートコーティング、グラッサージュショコラが気に入られ、結衣のケーキは厨房で好評を博した。 研究室に入り、先ほどゲームをした机の上にチョコレートケーキを置くと、結衣はにっこり笑ってロイドにフォークを差し出した。 「さぁ、召し上がれ」 机に向かって座ったロイドは、フォークを受け取り尋ねた。 「これを、食えばいいのか?」 「そうよ。さっきも言った通り、残さず食べてもらうわよ」 結衣が腰に手を当て、冷ややかに言い放つと、ロイドは顔をしかめてチョコレートケーキを見つめ、フォークを突き立てた。 そのまま一口分すくって、嫌そうに口に運ぶと、味を確かめるように斜め上を見上げながら、ゆっくりと口を動かした。 そしてロイドは、その後も一口ごとにケーキの中を確かめるように探りながら、次々に口へ運び、あっという間にワンホール食べきってしまった。 結衣は呆気にとられて絶句する。 「なんだ、普通の焼き菓子じゃないか。普通というより、うまかった。意外な才能があるもんだな」 フォークを置いて茶をすするロイドを見ながら、ローザンが驚いて問いかけた。 「えぇ?! 普通のお菓子だったんですか? ぼくはてっきり妙な香辛料が入ってたり、相性の悪そうな食材が練り込まれたりしてるのかと思ってました」 そう言った後、ローザンはガッカリしたように項垂れてつぶやいた。 「あーあ、普通のお菓子なら一口もらえばよかった。丁度甘いものが欲しかったのに」 「じゃあ、私の分あげる」 結衣が自分の分のケーキが乗った小皿を差し出すと、ローザンが受け取る前にロイドが素早く横取りした。 「ちょっと! ロイドさん!」 ローザンが手を伸ばすと、ロイドは皿を退いて屁理屈を捏ねる。 「だまれ。頭を使ってないおまえより、頭をフル稼働させているオレの方が糖分を必要としている」 「さっき丸々一個食べたじゃないですか」 子供のようにケーキを奪い合っている二人に苛ついて、結衣が怒鳴った。 「それはローザンにあげたの! 第一あなた、甘いもの苦手じゃなかったの?!」 その声に二人はピタリと動きを止め、同時に結衣を見つめた。 ロイドは渋々ローザンに皿を差し出しながら、結衣に尋ねた。 「誰から聞いたんだ? そんな嘘っぱち」 ローザンが皿を受け取り、結衣の方を向いた隙に、ロイドは素早くケーキを半分むしり取って口に放り込んだ。 「あっ! もう……」 何食わぬ顔で指についたチョコレートを舐めているロイドに苦笑すると、ローザンは結衣に言う。 「ご覧の通り、ロイドさんは甘いもの大好きですよ。時々スイッチが入って、尋常じゃないほど食べるんで、見てるこっちが胸焼けしそうなほどの超甘党です」 確かに先ほどの激甘ケーキワンホール完食は、充分に胸焼けものだ。 「じゃあ、どうして厨房の女の子のお菓子を断るの?」 結衣が尋ねると、ロイドは大真面目に力説した。 「オレの超優秀な頭脳は、人並み以上にエネルギーを必要とするんだ。あれっぽっちじゃ全然足りない。中途半端に食ってストレスになるより、いっそ食わない方がマシだから断るんだ」 「確かに脳のエネルギー源はブドウ糖ですけど、ロイドさんのは人並み以上過ぎなんですよ」 ローザンは残りを死守するため、ロイドに背中を向けてケーキをつつきながら指摘した。 まんまと騙された。ゲームに勝っても負けても、ロイドに有利だったのだ。 すっかり脱力して、結衣が大きくため息をつくと、ロイドが目を輝かせて提案した。 「おまえ、たいくつになったら、これを作ってろ。オレがいくらでも消費してやる」 それが、ひとにものを頼む時の態度か、と思ったが、反発して「キス三十秒」が再燃しても困るので、一応承諾した。 「わかった、そうする」 ロイドは満足そうに頷くと、 「ほら、エネルギー補給したら、さっさと仕事に戻れ。少しは頭も働くようになっただろう」 と言って、ローザンの腕を掴むと、コンピュータの前に引きずって行った。 「ぼくの事、サルのように言わないでくださいよ」 二人を眺めてクスリと笑うと、結衣は次に何を作ろうか考えていた。甘くて重量感があって、比較的簡単に作れるとなると、タルト系かなと思いながら、ハタと気がついた。 結局ロイドの思うツボにはまっている。 だが、あれだけきれいに完食されて、リクエストまで頂くと、作った者としては、かなり嬉しい。 この事に関しては、素直にいう事を聞いてやろうと、結衣は思った。 (完) |
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