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番外編・観察記録




 クランベール王国王宮医師である、ぼくローザン=セグラが王宮内にある機械工学の研究室で、助手を務めるようになって八日目となった。
 この研究室の主ロイドさんは、とにかく強引な人で、ぼくが畑違いの助手をしているのは、この人に押し切られたからに他ならない。
 ロイドさんは色々と便利な機械を作ってくれるし、親切なので王宮内の使用人たちには評判がいい。その反面、何の役に立つのかわからない妙な機械もたくさん作って驚かせるので、変わり者としても有名だ。
 いつだったか、新しいマシンの臨床試験だとかで、一年くらい女性の声で生活していた事がある。あのマシンが役立つ日が来るのだろうかと思っていたが、今役立っているようだ。
 ロイドさんと初めて話をしたのは、医療機器の開発で意見を聞きたいと、やって来た時だったと思う。
 その後もマシンが暴走してケガをしたとか、甘いものを食べすぎて胸焼けがするとか、度々医務室にやって来て、気がついたら、なんだか彼の子分のようになっていた。
 ロイドさんは背が高くて体型も顔の造作も整っているし、見た目は充分男前なんだけど、その変わり者ぶりと時々下ネタの冗談を言うので、女の子の受けはあまりよくない。
 ところが、この変わり者に、ひるまない女性が現れた。
「ロイド、ローザン、お茶にしよう」
「はい」
 ぼくは振り返って返事をすると、席を立った。
 笑顔で手招きする、レフォール殿下にそっくりなこの女性ユイさんは、異世界からやって来たという。
 研究室の隅にある休憩コーナーにやって来たぼくは、机の上に並べられたお菓子を見て思わず歓声を上げた。
「わぁ、おいしそうですね。今日のは何ですか?」
 ユイさんは得意げに説明してくれる。
「クリームパイよ。パイ生地にカスタードクリームを乗せて、その上に生クリームを乗せたの。仕上げはメレンゲでフタをして、デコレーションした上を軽くバーナーで焦がしてあるの」
「甘そうですね」
「そんなに甘くはないけど、食べ過ぎると重いかもね。焼き型が小さかったから重量感ないと、この人が足りなくて、また他人のを横取りするといけないし」
 そう言ってユイさんは、側に来たロイドさんを指差した。
 三人で机を囲んで席につくと、ユイさんは丸ごと一個のクリームパイをロイドさんの前に置き、ぼくと自分には切り分けられたものを配った。残りは厨房の人にあげたのだろう。そして、それぞれにお茶を配り、彼女も席につく。
 ユイさんはお菓子作りが得意で、ロイドさんが甘い物好きだと知ってからは、時々異世界の珍しいお菓子を作ってくれる。
 いつも絶妙のタイミングでお茶を淹れてくれたり、よく気が利く可愛らしい人だ。
 だけど、どこかズレているというか、天然というか、思いも寄らない反応を返す事がある。それに、とにかくニブイ。
 おまけに変わり者のロイドさんの言動に動じることなく、下ネタも軽く受け流す強者だ。
『おもしろいもの』に興味を引かれるロイドさんは、彼女のそんなところに惹かれたのだろう。
 ぼくが初めてユイさんに会った時、ロイドさんは酷く機嫌が悪かった。後で聞いたら、ユイさんに八つ当たりされたという。訳もわからず怒られて、どうやらすねていたらしいと分かり、なんだかおかしかった。
 国家の重要機密をぼくにバラしてでも、ユイさんのケガを診て欲しかったほど、彼女を気に入ってしまったらしい。
 人嫌いではないし、むしろ社交的な方だけど、あまり人に執着しないロイドさんにしては珍しい。
 まぁ、その機密を知ってしまったせいで、ぼくはここで強制的に畑違いな事を手伝わされてるわけだけど。
「ちょっと、口の横にクリームついてるわよ」
 ユイさんがロイドさんを横目で見ながら指摘した。ロイドさんはそのまま平然とクリームパイを食べ続ける。
「知ってる。どうせまたつくから、後でまとめて片付ける」
「目障りなのよ。気になるじゃない」
「オレは気にならない。気になるおまえが舐め取ってくれたらいいだろう」
「イヤよ。ひとの食べかけなんて」
「だったら、こっちを見るな」
 ぼくは見ないふりをして、一心不乱にお菓子を食べ続ける。頼むから、そういうじゃれ合いは、ぼくのいないところでやって欲しい。
 ユイさんは感情が顔に出る人なので、ロイドさんを好きなのはすぐに分かった。
 ぼくの目には仲の良い恋人同士に見えるのに、二人はキスまで交わしておきながら、互いを恋人とは認識していないらしい。
 顔に出るユイさんと態度に表れるロイドさん、こんなに分かりやすい二人なのに。
 ロイドさんがユイさんの気持ちに気付いているのかどうかは分からないけれど、ユイさんはとにかくニブイので、さっぱり気付いていないようだ。
 楽しい(?)休憩時間が終わり、ぼくらはそれぞれ自分の使った食器を持って、給湯コーナーの流しに向かった。
 運ぶだけ運ぶと、いつもユイさんがヒマだからという理由で、後片付けはしてくれる。今日もぼくとロイドさんは食器を運んで、ユイさんに礼を言うと、仕事に戻ろうとしていた。
 すると、後ろで小さな声がした。
「いたっ……!」
「どうかしましたか?」
 ぼくは振り向くと、ユイさんの側へ様子を見に行った。洗剤にまみれた手の指先で泡が赤く染まっている。
「お皿の底が欠けてたみたい」
「とりあえず泡を洗い流してください」
 ぼくの指示通りに、泡を洗い流した彼女の手を取り、間近で傷口を確かめる。指先が、ほんの少し切れて血が滲んでいた。
「少し切れてますね。絆創膏を貼っておきましょう。洗い物は、ぼくが替わりますよ」
「え、いいよ。大したことないし」
 白衣のポケットに絆創膏が入っていたはず、と思い探ろうとしたら、頭の上に影が差した。なんとなく予感はしたので、恐る恐る振り返ると、ロイドさんがものすごい形相でぼくを睨みつけていた。
「何をやっている」
「えーと、ユイさんがケガをしたので、絆創膏を貼ろうと……」
 ぼくは苦笑してありのままを伝える。決してロイドさんの目を盗んで、ユイさんの手を握っていたわけではない。ぼくの職業、知っているだろうに。
「本当よ。ローザンは、さぼってたわけじゃないから」
 ユイさんの援護は的を外している。ロイドさんが怒ってるのは、そこじゃないから。
 ロイドさんはもう一度ぼくを睨んだ後、ぼくの手からユイさんの手をもぎ取った。
「かせ! こんなもの舐めときゃ治る」
 言ったが早いか、ロイドさんはユイさんの指を自分の口にくわえた。
「舐めないでよ! っていうか吸ってるし!」
 ユイさんは困惑した表情で、ぼくとロイドさんを交互に見つめながら、みるみる顔を赤くする。
 ぼくがよっぽど呆れた顔をしていたからか、恥ずかしさが極限に達したらしく、ユイさんはロイドさんの腕を叩いて、自分の手を奪い返した。
「もう! 何考えてんのよ! ローザンが呆れてるでしょ? あなた吸血鬼?」
 怒鳴るユイさんにロイドさんは平然と言う。
「吸った方が、早く血が止まるぞ」
 そんな話は聞いた事がない。ぼくは思わずため息をついた。
「ロイドさん、口の中は雑菌だらけなんですよ」
「え?!」
 派手に驚きの声を上げたのは、ユイさんの方だった。ロイドさんは憮然として、ぼくを見つめている。
 ユイさんの不安そうな表情がおもしろくて、つい意地悪をしたくなった。
「知ってますか? キスで約二億個の細菌が行き来するんですよ」
「二億?!」
 案の定ユイさんは、驚愕の表情でぼくを見た後、一歩退いてロイドさんを不安げに凝視した。
 ロイドさんは不愉快そうに眉間にしわを寄せると、ぼくとユイさんの額を次々に叩いた。
「ひとの事をバイ菌扱いするな。常在菌(じょうざいきん)の事ならオレも知っている。それがいるから人は健康を保っていられるんだろう」
「え?」
 額を押さえて不思議そうな顔をするユイさんに、ロイドさんは説明する。
「人の口の中や腸内、手の平には、常に細菌が存在するんだ。こいつらは人に害を与える事はない。でなきゃ、唾液を飲み下すたびに腹が痛くなるはずだろう? それどころか、こいつらは人に害を与える菌から守ってくれている。人は菌と共生しているんだ」
「へえぇ」
 ユイさんは目を見開いて、心底感心したように声を上げた。ロイドさんはそれに気をよくして、ニヤリと笑うと余計な事をお勧めする。
「オレの菌は特に優秀だから、時々分けてやろう」
「いい。自分ので間に合ってるから」
 だから、そういうやり取りは、ぼくのいないところでやってくれないかな。
 ぼくは再びため息をついて、ユイさんに絆創膏を差し出した。ユイさんは絆創膏を受け取り、自分の指先を見つめた。
「あ、血が止まってる。吸ったら本当に早く止まるのね」
 そんなわけはない。大した傷じゃなかったから、時間が経って止まっただけだ。
 絆創膏を貼るユイさんを見つめて、ロイドさんがポツリとつぶやいた。
「他人の血を舐めたのは初めてだが、おまえのは甘いな」
「え?!」
 思わずユイさんと同時に問い返してしまった。思い切り顔が引きつる。何度も言うけど、そういう事は本当にぼくのいないところで……。
 ぼくの方がドキドキしていたら、ユイさんは全く違う事でドキドキしていたらしい。思い切り不安そうな顔でぼくに詰め寄る。
「ローザン! 血が甘いって、もしかして……! 今すぐ糖尿病の検査して!」
 またしても的外れな見解に、ぼくは一気に脱力して、がっくり肩を落とした。
「いえ、その必要はないと思います」
「どうして? だって、このところロイドに付き合って甘いものいっぱい食べてたし」
 尚も食い下がるユイさんに、ぼくは、ちょっとくらい分かってもらえるかなと思って、ロイドさんを援護してみた。
「大丈夫です。ユイさんの血を甘いなんて思うのは、ロイドさんだけですから」
 ぼくがにっこり笑ってみせると、ユイさんはホッとしたように少し微笑んだ。
「そう、なんだ」
 分かってもらえたのかな。少し期待しつつ、その後を見守っていると、ユイさんはロイドさんを呆れたような表情で見上げた。
「あなた、味覚大丈夫?」
 だめだ。どこまでニブイ人なんだろう。



(完)




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