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番外編・里帰り


1.



 とうとう雪が降り始めた。結衣はマフラーの中に顔を半分埋めて家路を急ぐ。
 先週までは春のように暖かかったのに、今週に入って急に冬らしくなってきた。そして今日は、この冬一番の冷え込みだという。
 今日は仕事納めで、明日から冬期休暇に入る。
 結衣の勤める会社は仕事納めの日に忘年会を行うので、最近は付き合いが悪いと言われていた結衣も、久しぶりに会社の飲み会に参加した。
 なにしろ飲み会は、大概金曜日の夜に行われる。金曜日の夜にはロイドが迎えに来るのだ。
 一週間以上前から分かっていれば何とかなるが、突然誘われてもロイドに連絡の付けようがないので断るしかない。
 カレシと会う予定なので飲み会には行けません、と言っても却下されそうなので、習い事を始めた事にしてある。
 第一、連絡の付けられないカレシってどういう奴なんだ、と詮索されても説明に窮する。
 それに、あまり酒の飲めない結衣は、飲み会に行くより、早くロイドに会いたいというのが本音だった。
 普通のカップルは電話やメールで、いつでも連絡が取り合える。けれど結衣は、話をするのも会えるのも、週に一回だけなのだ。
 今日は帰りが遅くなるので、ロイドには明日の朝来てくれるように言ってある。明日になればロイドに会えると思うと、今からちょっとウキウキした。
 バス通りから車がやっとすれ違える程度の狭い路地に入り、少し歩くと結衣の住むマンションがある。ほんの少しの距離だが、街灯も少なく暗いので、結衣は自然に早足になった。
 あと少しでマンションの入口にたどり着くというところで、結衣はギクリとして立ち止まった。
 マンション横のコインパーキングに止まった車から、背の高い男が降りてきて結衣の行く手を遮るように立ちはだかった。
 結衣は二、三歩後ずさる。すると男は、こちらに向かって歩いてきた。
 結衣が背を向けて、バス通りの方へ駆け出そうとすると、男が後ろから声をかけてきた。
「なに逃げてんだよ」
 この声は知っている。結衣は立ち止まり振り返った。
蒼太(そうた)?」
 街灯の下に姿を現した男は、結衣の弟、立川蒼太(たちかわ そうた)だった。
「どうして、ここにいるの?」
 結衣が尋ねると、蒼太はうんざりしたように顔をしかめた。
「メール見てないのかよ。父さんと母さんに言われて迎えに来たんだよ」
 結衣は出社する時、朝から携帯電話をマナーモードにしてある。めったにメールも電話もないので、一日携帯電話を開かない事もよくある。
 そんな時に限ってメールが来てたりするのだが、今日もそうだったようだ。
「ごめん。見てなかった。でもなんで? 三十日の夜には帰るって言ってあるのに」
「姉ちゃん、盆に帰るって言っときながら帰らなかっただろ。正月ぐらいは意地でも帰らせるって、オレが連行しに来たわけ」
「あの時は急に友達の代わりで旅行に行く事になったのよ」
 結衣は苦笑しながら、両親に告げたのと同じウソをつく。
 本当はクランベールにとんぼ返りして、三日後に帰ってきたら、こちらでは五日経っていたのだ。
 実家に帰る予定だった翌日の朝で、案の定、固定電話や携帯電話に両親や蒼太のメッセージが何件も残されていた。
 遅れて帰っても言い訳が立たないので、友達が急病になったので代わりにツアー旅行に参加する事になったとウソをついた。
 あと一日でも遅れていたら、本当に騒ぎになっていたかもしれないと思うと、冷や汗ものだ。
 幸い時間のズレは、ロイドがすぐに改善してくれたので、それ以降ずれる事はなくなった。
「今度はちゃんと帰るから、そう言っといて。今から帰るわけにはいかないわよ。準備だってまだしてないんだし」
 結衣がマンションに向かって歩き始めると、蒼太が後ろからついてきた。
「じゃあ、待っててやるから、さっさと支度して」
「ダメよ。明日から予定があるんだから。三十日にしか帰れないの」
 階段を上がり二階にある結衣の部屋にたどり着いても、蒼太は帰ろうとしない。
「ちょっと、どこまでついてくるのよ」
「姉ちゃん連れて帰らないと、オレ家に入れてもらえねーし」
「だったら、車の中で寝たら?」
「ひっでーっ」
 鍵を開けて取っ手を引いた途端、結衣は硬直した。奥の部屋の灯りが点いているのだ。
 予感がした。
 奥にいるのは、空き巣や変質者じゃない。
 結衣は急いで靴を脱ぎ駆け込むと、奥の扉を開けた。
 部屋の中では、ベッドに腰掛けて頭から毛布をかぶったロイドが、驚いたようにこちらを向いた。
 結衣の姿を認めたロイドは、毛布をはねのけて、ブツブツ言いながら歩み寄って来た。
「なんでこんなに寒いんだ。ちょっと暖を取らせろ」
 そう言って、いきなり結衣を抱きしめた。しかし、すぐに慌てて離れる。
「おまえ、冷たいじゃないか」
 当たり前だ。雪をかぶったコートは、すっかり冷えきっている。
 ロイドは温暖なクランベールから、薄手のシャツの上に白衣を羽織っただけの、いつもの出で立ちでやって来た。日本のこの冬一番の冷え込みは、さぞや寒かった事だろう。
「どうして今日来たの? 明日でいいって言ったのに」
「明日まで待てるか。十時頃には帰るって言ってたから来た」
 腕時計を見ると、十時半を回っていた。ロイドは三十分くらい、この寒い部屋で待っていたようだ。
 灯りの点け方は分かったようだが、さすがにエアコンは分からなかったらしい。クランベールにはエアコンの必要がない。どうすれば部屋が暖かくなるのかは、分からなかったかもしれない。
「とりあえず上着を脱げ。直接抱かせろ。いや、いっそ全部脱がせてベッドに連れ込む方が手っ取り早いか。少し動けば身体も温まるし」
 そう言ってロイドは、結衣のコートのボタンを外し始めた。
「ちょっと……!」
 結衣がロイドの手を押さえて抵抗していると、後ろから間延びした声が聞こえた。
「ねぇ、取り込み中のとこ悪いんだけど、誰?」
 振り返ると、玄関に立った蒼太が、冷めた目でこちらを見つめていた。
 途端にロイドは、敵意を露わにして、蒼太を睨んだ。
「そっちこそ誰だ。ユイはオレのだぞ」
 蒼太はおもしろそうに笑いながら、相変わらず呑気に答える。
「そんな色気のない姉でよければ、熨斗(のし)付けて差し上げますけど。なぁーんだ、そういう事か。姉ちゃん、カレシとデートが忙しいから帰りたくないのか」
 一人で納得してクスクス笑う蒼太を見て、ロイドの表情が緩んだ。そして結衣に尋ねる。
「弟か?」
「うん。弟の蒼太」
 ロイドは結衣から離れ、先ほどとは打って変わって、穏やかな笑顔を湛え蒼太を見つめた。
 この表情は王宮でエライ人たちと対する時の顔だ。
「先ほどは大変失礼いたしました。改めてご挨拶申し上げます。私はクランベール王国科学技術局局長、ロイド=ヒューパックと申します。ユイさんとは結婚を前提にお付き合いさせて頂いております。以後お見知りおきくださいますよう、よろしくお願い申し上げます」
 そう言ってロイドは軽く頭を下げた。
 相変わらずの豹変ぶりに大きくため息をつきながら、結衣はロイドをひじで小突いた。
「そんなバカ丁寧な挨拶しなくていいのよ」
「そうか?」
 ふと見ると、蒼太は目を丸くしたまま、ずかずかと部屋に上がり込み、早足でロイドに歩み寄った。そして、不躾なほど間近で、ロイドの顔を見つめる。
「ロイドって……。もしかして外国人? この金髪、本物? 目もカラコンじゃないの?」
 ロイドは眉をひそめて顔を引いた。
「何を言っているんだ?」
 結衣は二人の間に割って入ると、蒼太をロイドから引き離した。
「ちょっと、蒼太。離れなさいよ。全部本物よ。ロイドは外国人なの」
「外国人のカレシ?」
 興奮したまま蒼太は結衣に尋ねる。結衣は少し躊躇した後、頷いた。
「そうよ」
「姉ちゃん、かっけーっ!」
 蒼太の感嘆の声を聞いて、ロイドが不思議そうに結衣に尋ねた。
「おまえ、脚気(かっけ)なのか?」
「ちがうわよ」
 わざわざ意味を説明して、妙なところで真似されても困るので、黙っておく事にする。
 結衣は気を取り直して蒼太に言う。
「とにかく、明日からロイドと予定があるから、三十日にならないと家には帰れないの。さっさと帰って」
 すると蒼太はサラリと、とんでもない事を提案する。
「じゃあ、ロイドさんも一緒に連れて帰れば?」
 結衣は思いきり動揺してわめいた。
「何言ってるのよ! 突然連れて行ったら、お父さんたちがビックリするでしょ? それにロイドだって心の準備が……」
 結衣の言葉を遮って、ロイドもサラリと言い放った。
「オレは別にかまわないぞ。おまえの両親には会っておきたいしな」
「……え……」
 結衣は一気に気を削がれた。
 そういえばローザンが、ロイドは社交的な人だと言っていた。普段、王族や貴族と接していると、結衣の両親のような庶民相手では、緊張しないのかもしれない。
 それとも何も考えてないのだろうか。
 クランベールでは異世界から人がやってくるのは珍しくないのかもしれないが、日本では絵空事だ。自分の事を何と説明するつもりなのだろう。
「今から行ったら泊まる事になるわよ。着替えとかどうするの? そのカッコじゃ絶対寒いし」
 結衣がため息混じりに言うと、かわりに蒼太が答えた。
「コンビニで下着だけ買えば、あとはオレのを貸すよ。じゃあ姉ちゃん、さっさと支度して」
 勝手に仕切る蒼太のペースに乗せられて、結衣は渋々大きめのトートバッグに下着や化粧品など、お泊まりセットを詰め込んだ。
 とりあえず一泊して、ロイドをクランベールに連れて帰った後、三十日に改めて里帰りすればいいだろう。
 バッグを持って立ち上がると、ロイドが思い出したようにつぶやいた。
「あぁ、外に出るなら、ちょっと靴を取りに行ってくる」
 そう言って、結衣と蒼太が見ている目の前で、光と共に姿を消した。
 結衣の部屋の中で、靴を履くなと言ってある。そのためロイドは迎えに来る時、靴を脱いでやって来る。
 時空移動が日本では怪異な事だと、話しておかなかった自分も悪いとは思う。だが、一言言ってから、行って欲しかった。案の定、蒼太は目を丸くして、声も出ないほど驚いている。
 少しして再び光と共に、靴を持ったロイドが現れた。
「なっ……!」
 蒼太はロイドを指差して、頭の天辺から素っ頓狂な声を上げる。
 結衣は蒼太の手を叩いて、二人を玄関へ促した。
「指差さないの。車の中で説明するから。あんたの上着、ロイドに貸してあげて。ロイド、暖かい国の人だから、寒いのに慣れてないのよ」
 未だに驚異の目でロイドを見つめながらも、蒼太は上着を脱いでロイドに渡す。ロイドは平然と礼を言って、それを受け取り羽織った。
 三人で外に出て階段を下りると、雪が激しさを増していた。人通りの少ないマンション前の道路には、うっすらと積もり始めている。
 ロイドは珍しそうに空を見上げたり、道路に積もった雪を踏んだりした。
 蒼太が駐車料金を支払って車を出してくると、ロイドの興味は車の方に移った。興奮したように仕組みについて訊かれたが、免許すら持っていない結衣にはよく分からない。
 明日蒼太に教えてもらうように言って、後部座席に乗せた。
 結衣が助手席に座ると、蒼太は車を発車させた。




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