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2.



 実家へは高速に乗れば、小一時間もあれば着く。ちらりと様子を見るとロイドは、外の景色が飛ぶように過ぎ去っていくのを、驚いたように見つめていた。
 結衣は車内でクランベールやロイドの事と、諸々の経緯を蒼太に話した。
 目の前でロイドが消えたり現れたりしたのを見たせいか、蒼太は一応納得したようだ。
「けど、その話、父さんたちは信じるかなぁ」
「そこなのよねぇ」
 結衣がため息をついていると、蒼太はルームミラー越しにロイドを見つめて声をかけた。
「すみません、ロイドさん。そこにいると後ろが見えないんで、後ろに座っててもらえますか?」
 振り返るとロイドが、座席の間から蒼太の手元を覗き込んでいた。よほど車が珍しいようだ。
「あぁ、すまない」
 そう言ってロイドは後ろに座り直した。
 そろそろ高速道路に入る。結衣は振り向いて、ロイドにシートベルトを締めるように言った。座席に縛り付けておけば、覗いて運転の邪魔をする事もないだろう。
 しばらくの間高速道路を走った後、最寄りのインターチェンジで降りて、近くのコンビニに寄った。
 ロイドの下着は蒼太に任せて、結衣はいつも発泡酒を飲んでいる父へのお土産に、ビールを六缶手に取った。
 ロイドは店内に並んだスナック菓子とカップ麺を珍しそうに眺めている。確かにクランベールでは見た事がない。
 結衣のお薦めをひとつずつと、ロイドの好きそうな甘いチョコレート菓子を買ってあげる事にした。
 蒼太と一緒に支払いをしている様子も、ロイドは珍しそうに見つめる。
 以前ラフルールの街を案内してもらった時に、クランベールでは貨幣が使われなくなって久しいと聞いた。国民の証であるIDカードが、電子マネーとして根付いているからだ。
 IDカードが電子マネー化されて、商店や個人を狙った強盗犯罪は激減したという。商店も個人も、足の付かない現金を手元に持っていないからだ。
 IDカードやその認証装置を偽造される事はないのか尋ねたところ、そんな天才がいるなら科学技術局にスカウトしたいと言われた。
 詳しい事は分からないが、開発段階から偽造が困難な製法と体制で作られているらしい。
 コンビニを出て少し車を走らせると、結衣の実家にたどり着いた。
 結衣の実家は閑静な住宅地にある、ごく普通の一戸建てだ。車一台分の車庫と小さな庭のある二階建てで、居住空間の床面積は王宮のロイドの部屋よりも、多分狭い。
 小さな庭の隅は、母の趣味で家庭菜園になっている。今の季節は毎年、ブロッコリーと白菜が少しずつ植わっていた。
 車を車庫に入れて全員が降りると、結衣の荷物をロイドが持ってくれようとしている隙に、蒼太は先に玄関に向かった。
「ただいまぁ」
 扉を開けて蒼太が声をかけると、奥から父の声が聞こえた。父は地声が大きい。
「遅かったじゃないか。結衣はどうした」
「連れてきたよ。なんと、金髪のカレシ付き」
 おどけたような蒼太の声に、父は更に大声で怒鳴る。
「金髪? そんなチャラチャラした不良は許さん! 連れてこい! 説教してやる!」
(お父さん、声大きい……。全部聞こえてるんだけど……)
 車庫から玄関へ向かいながら、結衣は大きくため息をつく。
「ちげーよ。本物だって。外国人」
 玄関に現れた結衣とロイドを見て、父はそのまま固まった。
「ただいま」
 結衣の声にハッとして、父は笑顔を引きつらせながら、ひっくり返った声でロイドに言う。
「あー。ハウアーユー?」
 結衣は額に手を当て、ガックリと肩を落とす。
「お父さん、それを言うなら、How do you do いきなり元気かどうか聞いて、どうすんのよ」
 ロイドは一連のやり取りを気にした風でもなく、例の笑顔で父に挨拶をした。
「はじめまして。ロイド=ヒューパックと申します。ユイさんとは縁あって、お付き合いをさせて頂いております。ご両親へのご挨拶が遅れました事は、誠に申し訳ありませんでした」
 見るからに外国人然としたロイドの、流暢(りゅうちょう)で丁寧な日本語に父は目を白黒させる。
 もっとも、ロイドにしてみれば、日本語をしゃべっている意識はないのだろうが。
 ポカンとしている父に、結衣は笑顔で、コンビニのレジ袋からビールを出して渡した。
「はい、お父さん。お土産」
「あ、あぁ、すまんな」
 父が呆然としたままビールを受け取っていると、奥から母が出てきた。
「ちょっと、お父さん。いつまで玄関にいるの」
 父に文句を言った後、母の視線はロイドを捉える。そして嬉しそうに目を細めた。
「こちらが結衣の金髪のカレシ? 初めまして、結衣の母です。ハリウッドスターかと思っちゃったわ」
 ロイドは笑顔で挨拶を繰り返した。母に促され、家に入る。廊下を歩きながら、ロイドが結衣に小声で問いかけた。
「ハリウッドスターって何だ?」
「外国の映画俳優の事よ」
「オレはそいつに似てるのか?」
「そうじゃなくて、それくらいカッコイイって褒め言葉よ」
「ふーん」
 ロイドは自分の容姿を、特にカッコイイとは思っていないようだ。
 母に風呂に入れと言われ、ロイドに尋ねると済ませてきたという。だったら下着の替えはいらなかったんじゃないかと思ったが、日本のお土産として持って帰ってもらおう。
 結衣が風呂から上がると、居間から父の笑い声が聞こえてきた。
 覗きに行くと、蒼太の服に着替えたロイドが父と蒼太と共に、結衣の買ってきたビールを飲みながら談笑していた。
 黒いタートルネックのセーターにジーンズをはいて畳にあぐらをかいたロイドは、なんだか新鮮で、ちょっとドキドキした。
 蒼太のジーンズはロイドには少し丈が短いようで、裾から靴下がかなり見えていた。
 父は毎日のように飲む割には、あまり酒に強くない。すでにいい色に顔を染めて笑っていた。
 何の話をしていたのか分からないが、わずかの間にかなり打ち解けている。結衣に気付いた父が上機嫌で呼んだ。
 結衣はコンビニで買ってきたお茶を持って、ロイドの隣に座った。
 少しして客間の用意をしていた母がやって来た。部屋が冷えきっていたので、暖まるまでもう少し待って欲しいと言いながら父の隣に座る。
 母はニコニコ笑いながら、ロイドを見つめた。
「ホント、ロイドさんって男前よね。結衣がこんなに面食いだとは知らなかったわ」
「別に顔だけ気に入ったわけじゃないわよ」
 結衣が口をとがらせて反論するが、母はかまわず続けた。
「これじゃ、雅くんがふられるのも頷けるわ」
「へ?」
 何の事だか身に覚えのない話に、結衣は間の抜けた声を上げた。ロイドが横から興味津々で問いかける。
「マサくんって誰だ?」
「三軒向こうに住んでる同級生。杉田雅史(すぎた まさし)くん。幼稚園から高校まで同じ学校に通ってたの」
「そいつをふったのか?」
「覚えがない」
 結衣が頭を抱えて考え込むと、向こうから蒼太が呆れたように話に割って入った。
「なに言ってんだよ。十八年の片思いが一言で却下されたって、雅兄、未だに引きずってんだぜ」
「何の事? いつ?」
 全く思い出せない結衣は、思い切り焦る。
「姉ちゃん、去年高校の同窓会に行っただろ? その時、ずっと一緒にいたいって言ったら、そんなの絶対無理、って断られたって言ってた」
 確かにそんな事があったような気がする。
 雅史とは何度も同じクラスになった事がある。家も近いので、ずっと一緒に学校に通っていた。
 蒼太と同じ兄弟のようなもので、仲の良い友達だと思っていた。それ以上意識した事はない。
 同窓会の時にも散々昔話をして、それまで当たり前のようにいつも一緒にいた結衣がいなくなって寂しいと言われた。結衣も同じだと答えた。
 そして、またずっと一緒にいたいと言うので、お互い別々の会社に就職し、住むところも離れたから、そんなの絶対無理と答えたのだ。
「あれって、そういう意味だったの?」
 結衣が頭の天辺から声を上げると、隣でロイドが吹き出した。
「おまえらしい話だな」
「なによ」
 結衣がムッとして問うと、ロイドは尚もクスクス笑いながら答える。
「おまえ、男に縁がなかったって言ってたが、ニブすぎて気付いてないだけだろう。今の話がいい例だ」
「悪かったわね」
「まぁ、オレには好都合だけどな。もっとも、そいつの話をおまえが受けていたとしても、オレが絶対奪ってやる」
 家族の前で堂々と言ってのけるロイドに、どう反応していいか分からず、結衣はどきまぎして視線を泳がせた。
 見ると父は少し飲み過ぎたようで、居眠りを始めていた。その身体を支えて、母が口に一本指を当てて「しーっ」と言いながら笑っている。蒼太は大袈裟にため息をついて立ち上がった。
「オレ、暑くなってきたから、もう寝るわ。ロイドさん、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
 ロイドの返事に軽く手を振って、蒼太は二階に上がっていった。
 母は父を起こした。そのまま寝るから灯りだけ消してくれれば、後片付けはしなくていいと言い残して、父の身体を支えながら寝室に引き上げた。
 二人きりになった居間で、ロイドは手にした缶ビールの残りを一気に飲み干した。
「いい家族だな。おまえがここで幸せに暮らしていた事がよくわかる」
「うん」
 結衣が笑って頷くと、ロイドは肩を抱き寄せた。
「オレは家族の温もりを知らないし、今まで家族を欲しいと思った事もない。けど、気が変わった。おまえと一緒に家族を作りたい。そして、ここで感じていた以上に、おまえを幸せにしてみたい」
 そう言ってロイドは結衣を両腕で抱きしめた。
「おまえの両親には了解を得た。結婚しよう、ユイ」
「うん」
 二度目のプロポーズに、結衣はロイドの腕の中で何度も頷いた。



 翌日ロイドは早速、気になっていた車を見に、蒼太と一緒に車庫へ向かった。
 蒼太は大学の工学部で、コンピュータやロボットの研究をしているので、ロイドとは気が合いそうだ。
 結衣は興味がないし、見ていても分からないので、居間で新聞を見ていた。
 すると父がやってきて、隣に座り話しかけてきた。
「おまえ、いい人を見つけたな」
 ロイドの事を言っているようだ。結衣は新聞を畳んで頷いた。
「うん。結婚してもいい?」
 結衣が尋ねると、父は少し寂しそうに笑って言う。
「おまえが、そうしたいなら、反対はしない。昨日話してみて、ロイドくんがいかにおまえを大切に思っているか分かったからな。正直言って最初、外国人だっていうのは抵抗あったんだが」
 そして今度は照れくさそうに笑った。
「いやぁ、外国人だからストレートだな。おまえを愛してるって何度も言うんだよ。父さんの方が照れくさくなって、ついつい飲み過ぎちまった」
 それですっかり出来上がっていたわけだ。結衣はクスリと笑って進言した。
「お父さんも、たまにはお母さんに言ってあげたら?」
「言えるか、そんな事。母さんは分かってる」
 そう言って、父は気まずそうに顔を背けた。



 夕方になって、ロイドをクランベールに連れて帰るため、蒼太の運転する車で、結衣のマンションまで送ってもらった。
 家に帰った途端、ロイドが高熱を出して倒れた。やはり日本の寒さが、こたえたようだ。
 インフルエンザだったらまずい。クランベールに未知のウイルスを持ち込んで蔓延したら、紛れもなくバイオハザードだ。
 ロイドは保険証がないので、病院へ行ったら実費がかかる。ロイドにリモコンを借りて、結衣だけクランベールに行った。
 人捜しマシンの筒の中から、通信機でローザンを呼び出す。事情を説明して、扉の隙間からロイドの鼻水の付いた綿棒を渡し、調べてもらった。
 幸いにもウイルスは検出されず、どうやらただの風邪らしい。
 結衣は日本に戻って、両親に電話で伝えた。三十日に帰れないかもしれない。
 両親は「しっかり看病してあげなさい」と言って笑った。
 まだ寒さが続くという日本にいても病気が悪化しそうなので、ローザンにもらった解熱剤で一気に熱だけ下げて、その隙にロイドをクランベールに連れ帰った。
 解熱剤の効果が切れると、熱は再び上がり始めた。ローザンが打ってくれた注射のおかげで、先ほどよりは幾分マシになったようだ。
 ベッドで眠るロイドの横で床に座り、結衣は帰りにコンビニで買ったおにぎりを食べた。
 ゴミを片付けて戻ってくると、ロイドが目を覚ましていた。
「水飲む? それとも何か食べる?」
 結衣が尋ねると、ロイドは天井を見つめたまま真顔で言う。
「おまえが食べたい」
「却下」
「じゃあ、水」
 結衣はコップに水を汲んできて、ロイドに差し出した。ロイドは身体を起こして、それを受け取り一気に飲み干す。
 ベッドの縁に座り、結衣はロイドの額に手を当てた。
「まだ熱はあるけど、少しは元気になったみたいね」
 コップを枕元の棚に置き、ロイドは結衣を抱きしめた。
「おまえの身体の方が冷たいって、なんか不思議な感じだ」
 結衣は父が照れながら言っていた事を思い出した。
 ロイドは自分の気持ちを明かした後、数え切れないほど結衣に愛してると言った。
 キスをする時には必ず言う。
「初めて」の夜にも、結衣を抱きしめ、何度も愛してるを繰り返した。言葉の熱に心が痺れて、緊張も恐れもどこかに飛んでいき、とろけるような幸せだけを感じた。
 結衣が笑いながら父が照れていた事を話すと、ロイドはフッと笑った。
「おまえ、ニブイからな。はっきり言っとかないと」
「お父さんとお母さんは言わなくても通じ合ってるみたいよ」
「オレは言いたいんだ。ユイ、愛してる」
 そう言ってロイドは、顔を近づけてきた。唇が触れ合いそうになる間際、ロイドが動きを止めた。
(うつ)してもいいか?」
 こんな時に病気の事を気にしているのがおかしくて、結衣はクスリと笑った。
「私、めったに風邪ひかないの。染せるもんなら、染してみれば?」
「望むところだ」
 ロイドはニヤリと笑い、思う存分口づけた。



 結局、結衣は風邪をひく事もなく、ロイドも驚異の快復力で、翌日には熱も下がり普通に動けるようになった。そのため結衣は心置きなく、予定通りに三十日の夜に実家へ帰った。
 後で聞いたが、ロイドは両親にクランベールの事を話していたらしい。それでもなお、ロイドを信用した両親の懐の深さに、結衣は感服した。
 そして、そうさせてしまうロイドの人柄と魅力にも、改めて感心した。



(完)



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