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番外編・地に堕とされた竜の話




 昔々、地上にまだ何もなかった頃、天には神様がおりました。
 神様は一匹の竜を飼っていました。竜は賢く、神様のいう事をよく聞くので、神様は竜をとても可愛がっていました。
 神様は何もなかった地上に、大地を作りました。そこに木や草花を植え、動物たちを住まわせました。
 そして地上の大地と、そこにいる全ての生き物を、見守り育てていくために、人を作りました。
 作られたばかりの人は、まだ知恵も幼く、神様のように上手に地上を育てる事は出来ません。けれど日が経つごとに、少しずつ知恵を手に入れ、地上はみるみる育っていきました。
 人の数も増え、村や畑がそこかしこに作られていきます。
 その様子を、神様は竜の背に乗って、毎日天から見守っていました。
 神様と一緒に地上を眺めている内に、竜は地上に降りてみたくなりました。
 地上に降りてもいいかと神様に尋ねたら、神様はダメだと言いました。
「人はまだ、おまえに比べると知恵が足りない。いろんな事を自分で見て、聞いて、考えて、学ばなければ、人の知恵は育たない。おまえに会って簡単に知恵を手に入れたら、人も地上も上手に育たない」
 神様はそう言って、竜が地上に降りる事を禁じました。
 ところが禁じられた事によって、竜は益々地上に降りたくて仕方がありません。
「人に会わなければ、かまわないだろう」
 とうとう気持ちを抑えられなくなった竜は、神様の目を盗んで、こっそり地上に降りてしまいました。
 竜は人に会わないようにするため、大きな森の中に隠れました。森の木々の上から、ちょっとだけ顔を覗かせて、辺りを眺めます。
 目の前に広がる地上の様子は、天から見ていた時よりも、ずっと素晴らしいものに見えました。
 自分では上手に隠れていたつもりでしたが、大きくて青白く輝く竜の身体は、暗い森の中で遠くからでも分かるほど、目立っていました。
 そのため、あっさりと人に見つかってしまったのです。
 見た事もない大きくて美しい生き物を見ようと、次々に人が集まり、竜が気付いた時には、大勢の人々が周りを取り囲んでいました。
 驚いた竜は、森を揺さぶりながら、慌てて逃げ出しました。
 地上にいたのは、ほんの少しの時間です。人には見つかってしまったけど、話はしていないし、何も与えてはいません。
 きっと神様が心配したような事は、何も起こらないはずだと、竜は自分に言い聞かせました。
 ところが少しして、仲良く平和に暮らしていた地上の人々の間で、争いが起こりました。
 竜が慌てて逃げ出した時、しっぽの先を枝に引っかけて、数枚の鱗を落としていったからです。
 見た事もない生き物が落としていった珍しくて美しい鱗は、それまで人の心の中に眠っていた”欲”を、必要以上に呼び覚ましてしまったのです。
 ”欲”は人の知恵や心を育てるのに、なくてはなりません。けれど多すぎる”欲”は、人の心を歪めてしまうのです。
 誰が鱗の持ち主になるのかを巡って、人々は争うようになりました。
 やがて地上の争いが神様の目に留まり、それが竜の鱗のせいだと知られてしまいました。
 言いつけを守らなかった竜を、神様は大層怒りました。
「そんなに地上に降りたいなら、ずっと地上にいるがいい」
 そう言って神様は、竜が二度と人に余計な力を与えないよう、竜の力を封じました。
 力を封じるため、竜はその身を八つに裂かれ、頭は一番大きな大陸の小高い丘の上に埋められ、残る七つの身体は大陸を取り囲むように、七ヶ所に鎖で繋ぎ止められました。
 竜は泣いて許しを請いましたが、神様は決して許す事はありませんでした。
 竜によって”欲”を呼び覚まされた人は、めまぐるしい早さで成長しましたが、その身から争う心が決して消える事はなかったからです。
 今でも竜は、身体を大地に繋ぎ止める鎖を引き千切ろうと、天に向かって時々、その青白い身体を真っ直ぐに伸ばしているのでした。

おしまい。



 ベッドに腹ばいになって絵本を読んでいた結衣は、寝室の扉が開け閉めされる音に気付いて、首だけで後ろを振り向いた。
 風呂上がりのロイドが、パジャマの上衣を羽織りながらこちらに歩いてくる。
 ロイドはベッドの縁に腰掛け、結衣の読んでいる絵本を覗き込んだ。
「おまえ、その本好きだな。前からよく見てたよな」
「うん。この絵、きれいで好きだから」
「少しは読めるようになったのか?」
「このくらいはね」
 結衣は笑ってロイドを見上げた。
「文字の勉強を嫌がってたくせに、どういう心境の変化だ?」
「だって、あなたと結婚したら、クランベールに住む事になるんでしょう? 文字が読めないと、買い物だって困るし」
「それもそうだな」
 結衣はさっき読んだ絵本の内容が気になって、ロイドに尋ねた。
「ねぇ。この絵本の内容知ってる?」
「あぁ。クランベールでは有名な昔話だ」
「じゃあ、この竜って遺跡の事よね?」
「だろうな。遺跡が光るところが、昔の人には竜が天に昇ろうとしているように見えたんだろう」
「だったら、どうしてあなたは気付かなかったの?」
「何が?」
 結衣の問いかけに、ロイドは不思議そうに問い返す。
「だって、竜は身体を八つに裂かれたのよ。遺跡の数と合わないじゃない。王宮以外の遺跡は七つでしょ? これは身体の事よね? 竜の頭が埋められたのは、大陸の小高い丘の上。つまり王宮のある場所なんじゃないの? 王宮にもう一つ遺跡がある事を、昔話が示してたのに」
「あぁ、そうか!」
 ロイドは驚きの声を上げた後、覆い被さるようにして、結衣の頭を撫でた。
「おまえ、ホント、こういう事には鋭いな」
「あーっもう。あの頃、嫌がらずに文字の勉強してればよかった。この本、何度も見てたのに」
 結衣がぼやくと、ロイドはクスクス笑いながらベッドに上がり、結衣の隣に寝そべった。
 ふと、ロイドがパジャマの前ボタンを、留めてない事が気になった。
「ねぇ、どうしてボタン留めないの?」
「どうせすぐに脱ぐからだ」
「え?」
 一瞬ドキリとして絶句すると、ロイドは平然と言葉を続けた。
「おまえと一緒に寝ると、暑いからな」
「あ、あぁ、そういう事……。だから、離れて寝ればいいじゃない」
 ちょっと勘違いした事が気恥ずかしくて、結衣はロイドを睨んだ。するとロイドは見透かしたようにニヤリと笑い、顔を近付けてきた。
「おまえ、今違う事考えただろう?」
「何の事?」
 とぼけて苦笑する結衣を抱き寄せながら、ロイドはメガネを外し、枕元の棚に置いた。
「心配するな。そっちの期待にもちゃんと応えてやる」
「だから、何の事?」
 結衣は絵本を抱きしめ、ロイドとの間に壁を作る。
 ロイドは絵本を取り上げ、メガネの横に置いた。
「文字の勉強は昼間にしろ」
「なんで?」
「夜の時間は、オレが独占する事に決まっているからだ」
 そう言ってニヤリと笑うと、ロイドは灯りを消した。
 暗闇の中、ロイドが耳元で囁いた。
「ユイ、愛してる」



(完)




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