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番外編・神竜祭り


1.



 夕日に染まる研究室で、ロイドは名残惜しそうに結衣を抱きしめていた。
「あぁ、もう。なんで、おまえといると時間の経つのが早いんだろうな」
 ブツブツ言いながら、額や頬や鼻先に、何度もキスを繰り返す。
 結衣は首をすくめて、少し笑った。
「五日後には、また来るから」
「また五日も会えないじゃないか」
 ふてくされたように、そう言って、ロイドは結衣をきつく抱きしめた。
 ロイドは毎週金曜日の夜に結衣を迎えに来て、土曜日の夕方に送って帰る。結衣の休みに合わせているので、結衣がクランベールに来た時、必ずしもロイドが休みとは限らない。
 研究室で仕事をしていたり、時には会議や来客で科学技術局に行く事もある。
 局長のロイドは休みが変則的なので、定期的に会おうとすれば、結衣の休みに合わせる方が楽だったのだ。
 ロイドが研究室で仕事をしている時は、王子を捜していた時と同じように、結衣も研究室でおとなしくしている。けれどロイドが出かけた時、結衣は王宮内にひとりで待っていなければならない。
 始めの頃は、ロイドの部屋で絵本を見ながら過ごしていたが、ロイドの外出が長引いたりすると、それも退屈になり始めた。
 厨房でパルメと話をしながらお菓子を作ったり、研究室でローザンに文字の勉強を見てもらったりする事にした。
 研究室にローザンと二人でいると、必ずといっていいほど王子がやって来て、一緒に勉強を見てくれる。
 あまりにタイミングよくやってくるので不思議に思っていると、王子が笑いながらこっそりと教えてくれた。
「ユイとローザンが二人きりで仲良くしてるのが気に入らないみたいで、ロイドがヤキモチ焼いてたから」
 ロイドが頼んだわけではなさそうだが、王子が気を利かせたらしい。
 そんな風に二人きりになれる時間が少ないと、結衣の帰り際にロイドは子供のように駄々を捏ねる。
 結衣は子供をあやすように、ロイドの背中をポンポン叩いた。
「あと十日経ったら、ずっと一緒にいられるから」
「あぁ」
 ロイドは結衣の頬をひと撫でし、あごに手を添えて上向かせると優しく口づけた。
 結衣は今月一杯で会社を辞める。丁度いいので、今住んでいるマンションも引き払って、来月からロイドと一緒に住む事にした。
 結婚はロイドのスケジュールを調整して、もう少し先の事になるので、しばらくは王宮のロイドの部屋に居候する事になる。
 そのための引っ越しや荷物の整理があるので、有給休暇の消化も兼ねて、今月の終わり頃は会社を休む。あと一週間くらいしか、会社に行かないのだ。
 結婚退職となると色々面倒なので、会社には家の都合で実家に帰らなければならないという事にした。そうしておけば、年賀状も連絡も実家に来るだろう。
 下手に「結婚します」と言って、新居の住所や結婚式場を聞かれても困るのだ。
「じゃあ、五日後にまた迎えに行く。今度はオレも休みだ」
「うん」
 ロイドが解放してくれたので、結衣は荷物を持って人捜しマシンの方へ向かった。ガラスの筒の中に入ろうとした時、ふと思い出してロイドを振り返った。
「あ、そうだ。蒼太がクランベールに来たいって言ってるんだけど、次の時、連れて来ちゃダメ?」
「次の時?」
 ロイドは不服そうに眉を寄せる。
 せっかくロイドが休みなのに、蒼太がいてはまた二人きりになれないので、機嫌が悪くなるのは分かる。だがこの先、引っ越しなどで忙しくなるし、結婚したらロイドは王宮を出るつもりらしい。
 そうなると王宮内の見学や、国王や王子への謁見も難しくなる。
 それを諭すと、ロイドは渋々了承した。
 ロイドは不愉快そうな表情のまま、結衣に尋ねる。
「おまえ、今日帰ったら何か用事はあるのか?」
「別にないけど」
 結衣の返事に頷いて、ロイドはニヤリと笑った。
「よし。部屋に戻るぞ」
「え? なんで?」
「ソータがいたら二人きりになれないだろう? 次の時の分まで、おまえを味わっておくんだ」
「えぇ?!」
 いきなりの展開に混乱する結衣を引っ張って、ロイドは研究室を出ると自室へ向かった。



 五日後の夜、ロイドはいつものように、結衣の部屋に現れた。結衣が蒼太に連絡するため、携帯電話を取り出すと、ロイドはその手を掴んで引き寄せた。
 結衣を腕の中に捕まえて、ロイドは素早くメガネを外す。
「ちょっと! 蒼太に連絡しないと!」
「後にしろ」
 抵抗する結衣に有無も言わさず、ロイドは強引に口づけた。
 しばらくの間、思う存分キスをすると、ロイドはようやく結衣を解放した。結衣はロイドの胸を叩いて、身体を離す。
「もう! いつも唐突で強引なんだから!」
 結衣が睨むと、ロイドは余裕の笑みを浮かべて見下ろす。
「そんな顔して、口先だけで怒っても説得力ないぞ」
 結衣は咄嗟に両手で頬を押さえた。以前にもそんな事を言われたが、いったいどんな顔なんだか気になる。思い切って尋ねてみた。
「そんな顔って、どんな顔?」
「オレを誘う顔だ」
 全く要領を得ない。元々、結衣にはそんなつもりは毛頭ない。
 結衣が大きくため息をつくと、ロイドが再び抱きついてきた。
「ヤバイ。またキスしたくなった」
「ダメ! お預け!」
 結衣はロイドを振りほどき、素早く蒼太に電話をかける。
「もしもし、蒼太?」
 結衣が呼びかけると、背後でロイドの舌打ちが聞こえた。
 蒼太に連絡を終え、結衣はロイドと共にクランベールへ移動する。研究室に戻ったロイドは早速、蒼太のデータを人捜しマシンに入力し始めた。
 蒼太の転送は、王子の異世界検索と同じ要領だ。時空移動機能で時空に穴を開け、人捜し機能で検索し、転送する。
 ただ、車に乗って高速移動していると捕捉が困難なので、結衣が連絡して実家でおとなしくしてもらったのだ。
 入力を終えたロイドは慣れた手つきで、マシンを作動させる。少ししてガラスの筒の中が、眩しい光で満たされた。
 マシンが停止し光が収束すると、中には両手で荷物を抱えてあぐらをかいた蒼太が、呆然とした表情で現れた。
 結衣が手を振ると、蒼太はおもむろに立ち上がって叫んだ。
「すっげーっ!」
 ロイドは少し笑って、ガラスの筒の出入口を開ける。
「こっちだ」
ロイドに促されて外に出てきた蒼太は、物珍しそうに研究室の中を見回した。そして、ふと結衣の胸元に目を留めた。
「あれ? 姉ちゃん、胸大きくなった?」
「え?」
 結衣は慌てて胸を押さえる。蒼太はニヤニヤ笑いながら、ロイドの横腹をひじでつついた。
「ロイドさん、やるじゃないですか」
 するとロイドは、全く動じることなく、真顔で答えた。
「いや、オレは実体を知っているが、こいつの胸は本人以上に頑固だ。オレの努力を嘲笑うかのように、全く成長しない。これは間違いなくニセ胸だ。何を詰めている?」
 そう言って、結衣の胸を指差す。
「詰めてないわよ! ただ、このブラ、ちょっとカップが厚手だから……って、どうだっていいでしょ?!」
 結衣が怒鳴ると、蒼太はしげしげと結衣の胸を見つめる。
「へぇ、ブラでそんなに変わるもんなんだ。騙されないようにしよっと」
 結衣は羽織ったシャツの前を合わせて、胸を隠した。
「あんた、大きい胸が好きなの?」
 結衣の問いかけに、蒼太は照れくさそうに笑いながら言う。
「そりゃあ、大は小を兼ねるとか、大きい胸は七難隠すって言うし」
 七難隠すのは色白ではなかっただろうか。
「それに、自分にないものへの憧れとか? 第一、大きい胸は男のロマンだし」
「だよな」
 蒼太の力説に、横でロイドが、すかさず相槌を打った。
 自分にないものへの憧れは結衣にもあるし、結衣にとってもロマンではある。妙なところで意気投合する男たちに、結衣は大きくため息をついた。
 夜も遅いので、国王と王子への挨拶は明日に回して、結衣とロイドは蒼太と共に二階へ上がった。
 寝具を借りてロイドの部屋に泊まってもらうつもりでいたら、王子が客室を手配してくれたという。結衣は客室に蒼太を案内し、鍵を渡した。そしてイタズラっぽく笑う。
「その部屋、幽霊騒動があった部屋なの」
「え? マジ?」
 うろたえる蒼太がおかしくて、もう一言付け加える。
「誰も使っていないのに、お風呂場から点々と濡れた足跡が、部屋を歩き回ってたんだって」
「えぇ?!」
 結衣は思わず吹き出して、種明かしをした。
「犯人は王子様だったんだけどね」
「なんだ、そういうオチかよ」
 ホッと息をつく蒼太に、結衣は笑いながら忠告する。
「まぁ、他にも幽霊話はあるらしいから、絶対出ないって保証はないわよ」
「えーっ? なんか、やだなぁ」
 ブツブツ言いながらロイドに挨拶をして、蒼太は客室に入っていった。
 扉が閉じられた途端、中で蒼太の「うわっ!」という声が聞こえた。多分、部屋の広さに驚いたのだろう。結衣はクスクス笑いながら、ロイドと共にロイドの部屋に向かった。
 部屋に入って並んでソファに座ると、結衣は荷物の中から紙袋を出してロイドに渡した。
「はい、お土産」
「ん? なんだ?」
 ロイドは早速紙袋を開けて中を覗く。そして嬉しそうに目を細めた。
 どうやら気に入ってもらえたようだ。紙袋の中には、大量のチョコチップクッキーが入っている。
 先週不機嫌だったので、ご機嫌取りのために焼いてきたのだ。
「うまそうだな。明日頂こう。ありがとう」
 紙袋を閉じて、ロイドは結衣の頭を撫でた。さすがにロイドも寝る前に甘いものを大量に食べたりはしないようだ。
 いつも金曜日の夜は遅くにやって来るので、食事も風呂も済ませて来る。一緒に酒を飲んだり、一週間の出来事を話したりして、後は寝るだけだ。
「明日の予定は?」
「ソータにマシンを見せてやる事になってる。他は特にないが、王宮内の見学くらいかな」
「そうね。街に出るのは明後日の方がいいわね。あの子、遺跡を見たがってたから」
「じゃあ、地下のも見せてやるか」
 そう言った後ロイドは、おもむろにメガネを外してテーブルに置くと、結衣を抱きしめた。
「明日の予定より、オレには今夜これからの予定の方が重要だ」
「ちょっと、待って」
 抵抗する結衣を、ロイドはソファの上に押し倒す。
「待てない。二人でいられる貴重な時間は有効に使わないとな。まずは、お預け分を取り返して、後は、そのニセ胸を取っ払ってやる」
「分かったから、待ってよ! 私、お風呂に入ってないの。入らせて!」
 首筋に口づけていたロイドが、顔を上げて結衣を見つめた。
「入って来なかったのか?」
「クッキー焼いてたら時間がなくて」
 結衣が苦笑すると、ロイドは身体を起こして、大きくため息をついた。
「ったく。五分で済ませろ」
「無理!」
 結衣は着替えを持って、浴室に駆けて行った。




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