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番外編・クランベールに降る雪 |
毎年この時期になると、ユイがおねだりする事がある。 「二十四日の夜は、早く帰ってきてね」 渋い顔をする副局長を尻目に「家事都合だ」と言い捨てて、言われた通りにとっとと帰る。 ユイのおねだりは貴重なのだ。 帰ってみると必ず、食卓の上にはいつもより豪勢な料理が並んでいた。真ん中に置かれた大きな白いケーキには、周りを取り囲むようにイチゴが並べられ、中央にチョコレートで何やら文字が書かれている。ユイの国の文字なのだろう。 部屋の隅には小さな木の鉢植えが飾り立てられ、電飾を明滅させている。 そしてケーキにローソクを立て、発泡性の白ぶどう酒を掲げ、意味不明の呪文と共に乾杯する。 誰かの誕生日や記念日というわけではない。 ユイが楽しそうにしているので、まぁいいかと思っていたが、少し気になったので尋ねてみた。 ユイの世界では、十二月二十五日はクリスマスという祭りで、二十四日はその前夜祭なのだという。 本来は宗教行事だが、ユイの国ニッポンでは、恋人たちや家族が絆を深めるためのイベントとしての意味合いが強いらしい。 クリスマスを大切な人と過ごせる事は、とても幸せな事だとユイは言った。 今年も十日ほど前から、娘のモエと二人がかりでおねだりをしていた。 今日はその二十四日だ。 朝出かけようとすると、キスと共にユイがまた同じ事を言った。抱き上げたモエも同じ事を言うのかと思ったら、なにやらムスッとした顔で睨んでいる。 何か機嫌が悪そうなので尋ねてみた。 「どうした?」 「パパ、ママにごめんなさいした?」 「なんの事だ?」 「昨日の夜、ママの上に乗っかって押し潰してたでしょ?」 「……」 ロイドが絶句していると、後ろからランシュが冷ややかにつぶやいた。 「子どもの前で何やってんですか」 ロイドは振り向いて、すかさず反論する。 「起きてるとは思わなかったんだ」 モエはなおも食い下がった。 「ねぇ、ごめんなさいは?」 「あれはいじめていたわけじゃない」 「ホント?」 「あぁ。その証拠にママは気持ちよさそうだっただろう?」 「ちょっと、ロイド!」 途端にユイが、背中を思い切り叩いた。 真っ赤になったユイは、ロイドの腕からモエを奪い取りせき立てる。 「変な事言ってないで、さっさと行かないと早く帰れなくなるわよ!」 クスクス笑うランシュと共に、ロイドは渋々玄関に向かう。家を出る間際、ロイドは振り返って告げた。 「今夜は王宮に招かれているから、何も用意しなくていいぞ」 「……え……」 ユイの表情が一瞬にして曇った。ロイドは口の端で少し笑いながら続けた。 「おまえもモエも一緒だ。陛下と殿下もご一緒だが、家族で王宮ディナーを頂こう」 「うん」 一変してユイが嬉しそうに笑った。 午後になり、ロイドはそうそうに仕事を切り上げ、副局長の目を盗んでランシュと共に王宮へ向かった。 ユイの憧れるクリスマスのために、色々と下準備や調整が必要なのだ。家でやるのは無理があったので、陛下にお願いして王宮で行う事にした。 陛下も殿下も、ロイドがやろうとしている事に興味を示し、快く了承してくださった。 夕方になりセッティングも終わり、日が沈んで薄暗くなり始めた頃、ロイドは王宮の屋根に設置したマシンを作動させた。王宮の前庭を徐々に冷たい空気が満たし始める。 これならうまくいきそうだ。 ロイドはランシュと顔を見合わせて、頷き合った。 すっかり日が沈んだ頃、結衣はモエの手を引いて、王宮へ続く長い上り坂を上っていた。ロイドが温かい格好をしてくるようにと言っていたが、坂道を上がっているうちになんだか暑くなってきた。汗をかいたらモエが風邪をひくのではないかと心配になってくる。 ところが王宮の正門が近付くにつれて、どういうわけか空気が冷たくなってきた。そして正門の前に厚手のコートを羽織ったロイドを見つけた時には、息も白くなるほど寒くなっていた。 ロイドのコートは以前冬の日本に里帰りした時、買ったものだ。温暖なクランベールでは、着る必要がない。 「どうしてこんなに寒いの?」 ロイドの元にたどり着き、開口一番尋ねた結衣の鼻先を、白いものがフワフワと通過した。 まさかと思い、結衣は空を見上げた。 広がる満天の星空。そこへ時折、フワフワと白いものが舞い飛ぶ。気のせいではない。 「……雪?」 どうしてクランベールに、と聞くまでもない。ロイドの仕業だろう。 「おまえが見たいと言っていたホワイトクリスマスだ」 このところ頻繁に蒼太の所へ行ったり、やり取りをしていたのはこのためだったのだろう。 なにしろ温暖なクランベールには雪など降らない。ロイドも雪を見たのは、初めて結衣の実家に行った時の一回だけなのだ。 雪がなんなのか、どうやって降るのか、それを調べて実現するのは大変だったはずだ。 なんでもない事のように言うロイドが、妻の欲目も上乗せされて、たまらなくかっこいい。 自分の何気ない一言を覚えてくれていたのも嬉しかった。 「ありがとう。あなたってやっぱりすごい」 結衣はロイドを抱きしめて、頬に感謝のキスを送る。 「中はもっとすごいよ」 正門の向こうから、ランシュが笑いながら手招きした。 少し着ぶくれた正門の衛視に、挨拶をして門をくぐる。 少し進むと、王宮の前庭は一面の銀世界へと変わっていた。庭の隅にある一番大きな木がクリスマスツリーに見立てられ、電飾でキラキラ光っている。 所々にある灯りが、雪に覆われた庭園を一層白く輝かせていた。そこへ空から粉雪が、絶え間なく静かに降り注いでいる。 「まっしろーっ!」 突然モエが結衣の手を離し、歓声を上げて走り出した。 「あ、モエ。走ったら危ないよ」 ランシュが慌ててその後を追う。だが捕まえる前に、ランシュの目の前で、モエは見事に顔面からバッタリと倒れた。 雪がそこそこ積もっていたので、大したケガはしていないはずだか、モエは倒れたまま動かない。 「あーあ。雪は滑りやすいんだ。痛いとこない?」 ランシュが抱き起こそうとすると、モエはそのまま転げ回った。 「ゆきーっ! これ、ゆきー? つめたーい。きゃあぁ」 奇声を上げて笑い転げるモエを、ランシュは慣れた様子で抱き起こし、服に付いた雪を払い除ける。 「はいはい。雪は溶けたら水になるんだよ。風邪ひいちゃうから、もうおしまい」 「ゆき、おいしそう。食べられる?」 「食べちゃダメ」 モエの手を引いて、ランシュは転ばないようにゆっくりと、王宮の入口に向かって歩き始めた。 二人のやり取りを微笑ましく思いながら、結衣もロイドと手を繋いで歩き始める。 娘のモエは、ロイドよりもランシュに懐いている。ロイドは忙しくて、帰りが遅い事も多いので、よく遊んでくれるランシュが気に入ったのだろう。 そのせいか、女の子なのに人形やぬいぐるみよりも、ランシュの作るロボットの方がお気に入りだ。 栗皮色の髪と瞳で、見た目は結衣の血を色濃く受け継いでいるが、中身は機械好きのロイドの血を引いているようだ。 結衣は機械が苦手で、未だに上手く扱えないのに、モエはパソコンの操作もお手の物なのだ。 結衣はふと空を見上げた。降りしきる雪の向こうに、満天の星空が輝いている。 不思議な光景に、しばし見とれて立ち止まる。まるで星のかけらが降っているようだ。 「きれい……」 思わずつぶやくと、後ろからロイドが抱きしめてきた。 「寒くないか?」 「大丈夫。あなたがあったかいから」 「そうか。雪なんか、最初は物珍しかったが、寒いだけで何がいいんだろうと不思議に思っていた。でも、案外いいな」 「そう? よかった」 結衣は肩越しにロイドを見つめて、互いに笑みを交わす。ロイドは結衣の頬に口づけて囁いた。 「ホワイトクリスマスが恋人たちに喜ばれる理由も分かった」 「何?」 「寒いから、ずっとくっついていられる口実になるだろう?」 「そうね」 ロイドの腕に手を添えてクスリと笑った時、二階のテラスから声が降ってきた。 「ロイドーっ、ユイーっ! そんなとこに立ってないで、あったかい室内から眺めた方がいいよーっ」 見上げると王子が、笑いながら手を振っていた。その隣では、今は王子の妃となったジレットが微笑んでいる。 雪は王宮の屋根から噴き出しているのが分かった。 結衣はロイドと共に返事をして、王宮の中へ入った。 雪は今夜半まで降り続くらしい。王宮ディナーの後に、充分ゆっくり眺められる。 今夜は家族で王宮に泊まる事になっていた。 食事の後、国王や王子と久しぶりに話をして、結衣たちは二階にある昔ロイドが住んでいた部屋に入った。 しばらくの間、モエはランシュと一緒にテラスに積もった雪で遊んでいたが、しゃがんだまま居眠りを始めたので、ランシュが抱き上げて部屋に戻ってきた。 少し寝ぼけたままのモエは「お兄ちゃんと一緒に寝る」と言って、ランシュにしがみついている。 ランシュは苦笑して「じゃあ、一緒に寝ようか」と言いながら、モエを抱いたまま向かいの客室に引き上げた。 元々ランシュだけ、客室に泊まるはずだった。ランシュがその方がいいと言っていたのだが、結衣は少し心苦しく思っていた。モエが一緒の方が彼も寂しくないだろう。 ランシュとモエを見送って部屋に戻ったロイドが心配そうにつぶやく。 「あいつ、モエに気に入られているのはいいが、あまり構い過ぎると益々女が縁遠くなるぞ」 確かにランシュの浮いた話は聞いた事がない。「恋人が出来たら紹介してね」と言っておいたが、紹介された事はない。隠しているわけでもなさそうだ。 家にいる時はロボットを作っているか、モエを構っているかどっちかだ。モエがまとわりついている、というのが正解だが。 「モエも学校に行くようになったら、ランシュばかりにつきまとわなくなるわよ」 結衣は笑ってそう言うと、ロイドを促してリビングに戻った。 並んでソファに座り、国王が寝酒にと持たせてくれた果実酒をグラスに注ぐ。赤くて甘い果実酒は、昔結衣が初めてこの部屋に来た時、ロイドが飲ませてくれたものと同じだった。 果実酒の味と共に、思い出が蘇る。 「なんか懐かしい。この味も、この部屋も」 ロイドはそっと結衣の肩を抱き寄せた。 「そうだな。ここにいたのは随分昔のような気がする」 ロイドの肩にもたれて、結衣は窓の外に目を移した。雪はまだ降り続いている。 明日の朝に、少しは雪が残っているだろうか。朝日に照り映える、雪化粧した庭を想像しながら、ふと気になったので尋ねてみた。 「ねえ、庭の植物たちは大丈夫なの?」 温暖なクランベールの植物は、寒さに弱いのではないだろうか。突然冷たい雪をかぶって、雪が溶けた後、庭が枯れ野原になっていたら、なんだか切ない。 ロイドは笑いながら結衣を抱きしめた。 「相変わらず変な事を気にする奴だな。大丈夫だ。庭師たちが一日かがりで念入りに防寒コーティングを施した」 それはランシュが、言葉巧みに誘導して、バイオ専門の副局長に作らせたものだという。 ランシュはロイドとは対照的に、副局長とは仲が良いらしい。時々結衣との話題にも上る。 「ランシュって副局長さんと仲良しなのね。もしかして好きなのかしら」 「あんな口うるさい嫁はごめんだぞ。家でまで小言を聞かされたら気の休まるヒマがない」 勝手に話を飛躍させて、ロイドが不愉快そうに吐き捨てる。 結衣は思わず吹き出した。 笑う結衣をロイドが強引に抱き寄せる。 「くだらない事を言って笑っている場合じゃない。せっかく久しぶりに二人きりなんだ。今夜は存分に楽しむぞ」 「え? 何を?」 キョトンとする結衣の額を、ロイドはペシッと叩いた。 「くっつきたくなるホワイトクリスマスだ。決まってるだろう」 ロイドはニヤリと笑い、結衣に顔を近付ける。 「望んだのはおまえだ」 囁くようにそう言って、ロイドは口づけた。 結衣は目を閉じて、ロイドに身を委ねる。 窓の外には、満天の星空のもと、静かに雪が降り続けているのだろう。 Happy, White Christmas. (完) |
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