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2.



 装置の中に戻ってみると、女は未だ呆然とした様子で座り込んでいた。ロイドの姿をぼんやり見つめ、抑揚のない声で問いかける。
「私、ニッポンに帰れるの?」
 ロイドはありのままを女に伝える。
「現時点では、何とも言えない」
「やけに冷静なのね。この国ではよくある事なの?」
「過去に何度かあったらしい。それにオレの研究課題のひとつでもあるしな。おまえにはしばらくの間協力してもらう」
 そう前置きしてロイドは、ラクロット氏に話したように、正規版の装置を使わなければ、とにかく時間がかかる事を女にも告げた。
「そこでだ。殿下が見つかるまでの間、瓜二つのおまえに身代わりを演じてもらいたい」
 ロイドがそう言うと、女はなぜかムッとした表情で、間髪入れずに拒否する。
「無理よ! 王子様って男でしょ? 私は女なのよ」
「確かにそのようだな……」
 ロイドは彼女の胸の辺りに目をやった。薄っぺらい胸は、寝ていた時よりは多少盛り上がりを見せているようだが――。
「体型的には大して問題ないと思うが……」
 つい手を伸ばして、指先で凹凸を確かめる。すると女は、胸を押さえて、わめきながら殴りかかってきた。
「触らないでよ、エロ学者!」
 動きが遅いので簡単によけられたが、危ないところだった。表面を撫でただけだ。触った内には入らない。
 女はロイドを睨んで、更にわめく。
「どうせ胸小さいし、背高いし、男と変わらないわよ! 昔から、何食べてそんなに大きくなったの? とか、毎日牛乳飲んでるの? とか、聞き飽きてるわよ! 牛乳なんて大嫌いよ!」
 あまりの剣幕に、ロイドは呆気にとられた。
「話が飛躍しすぎてるぞ」
 だが、どうやら背が高い事をやたらと気にしているらしい。それがなんだかおかしくて思わずクスリと笑う。
「そうか、背が高い事を気にしているのか。殿下と同じなら、オレにはちょうどいいけどな。あんまり小さいとキスをするのも一苦労だ」
 女は途端に肩を落とした。
「あなたの女の好みなんて、どうだっていいわよ」
 こちらこそ、そんなつもりで言ったわけじゃない。さっきまで怒っていたのに、切り替えの早い奴だ。
 そんな事より、本題に入る事にする。
「まぁ、体型はともかく、その声は何とかしないとな」
「だから、無理だって言ってるでしょ?」
「オレにかかれば無理ではない」
 ロイドはニヤリと笑い、ポケットからピルケースを取り出した。フタを開け、中から銀色のマイクロマシンをつまみ、女の目の前に差し出す。
「こいつを飲め」
 女は珍しそうに顔を近づけて、ロイドの指先を凝視した。
「何? これ」
「声帯の振動を制御するものだ」
 このマイクロマシンを、ロイドは自分以外の人間に、試してみたかったのだ。女は顔を上げ腕を組むと、不愉快そうに言う。
「学者語でしゃべらないで。わかるように説明して」
 話の流れから想像がつきそうなものだが、仕方がないので説明する。
「これを飲めば、女の声が男の声に変わるんだ。わかったらさっさと飲め」
 そう言って、マイクロマシンを鼻先に突きつけると、女はロイドの手をはたいて睨んだ。
「イヤよ! あなたの作ったものなんて信用できない!」
「誰に向かって言っている」
 ロイドはムッとして、即座に言い返した。
 自分は科学者として、一流の部類に入ると自負している。科学技術局のトップだと名乗ったのだから、そのくらい分かりそうなものだ。
 そもそも、ついさっき出会ったばかりの者に、ロイドの作った物の善し悪しなど分かるはずがない。にもかかわらず、”あなたの作ったもの”と限定して、けなされた事にムカついた。
 ロイドが睨みつけると、女はたじろいだ様子で、両手を広げ反論する。
「だって、この機械だって壊れてたじゃない」
 一体何を聞いていたんだ、と一気に脱力する。ロイドは額に手を当て、目を伏せた。
「壊れてたわけじゃない。誤動作は想定外の外的要因によるものだ。オレが欠陥品を作ったのでも、今日初めて動かしたのでもない。これまでは正常に作動して、それなりの実績もある。でなければ、大切な殿下の御身の捜索に、この装置を使用する事を陛下がお許しになるわけないだろう」
 そして、再びマイクロマシンを差し出した。
「こいつも、一年かけてオレが自分の身体で臨床試験を行っている。人体への実害も常用による弊害もない事は立証済みだ。安心して飲んでいい」
 ここまで細かく諭すと、さすがに彼女も安心したようだ。ホッとした途端、つい口が滑った。
「もっとも、オレが試したのは男用だから女用のサンプルは欲しかったところだ」
 思わず本音を口走ったのがまずかった。ロイドがいくら取り繕っても「絶対イヤだ」と頑なに拒否する。
 この女を実験サンプルにするのが、本来の目的ではない。これ以上押し問答を続けても、時間の無駄だ。
 ロイドは軽く苛ついて舌打ちすると、口で説得するのを放棄し、実力行使に出た。
 肩を掴んで押し倒すと、女は小さな悲鳴を上げて、抗うように腕を伸ばした。その両手首を捕まえ、身体の上に自分の身体を乗り上げる。
 細い身体は思った以上に非力で、体重をかけただけで容易に押さえ込む事が出来た。
 捕まえた両手首を頭の上で床に押しつけると、女がもがきながら泣きそうな顔でわめいた。
「イヤッ! 放して!」
 それでも気丈に睨みつける女の鼻先に、マイクロマシンを突きつける。
「口を開けろ」
 女はマイクロマシンに一瞥をくれて、すぐに目と口を固く閉ざし横を向いた。
 この状況で尚も強情を張る、意味が分からない。毒を飲まそうとしているわけではない。マシンの安全性も説明してある。
 ロイドは益々苛ついて、再び舌打ちすると、マシンを自分の口の中に放り込んだ。
 あごを掴み、無理矢理正面を向かせると、女が目を開いた。
「なんとしても、飲んでもらう」
 女は不安そうな顔でロイドを見つめる。ロイドは少し意地悪く笑う。
「両手がふさがってるからな。口移しだ」
 舌先に乗せたマイクロマシンを見せつけると、女が必死でもがき始めた。
 逃がすわけにはいかないし、さっさと女の口に移してしまわなければマズイ。
 マイクロマシンは体温と湿度を感知して、数秒後に作動する。自分の口の中で作動させるわけには、いかないのだ。
 ロイドが顔を近づけると、女が目を閉じ、大きく口を開いて叫んだ。
「イヤ――――ッ!」
 ちょうどいい! 咄嗟にロイドは、開いた女の口目がけて、マイクロマシンを吐き出した。
 女の目が驚愕に見開かれた。頭を持ち上げようとしたので、手で口を塞いで床に押しつける。苦労して飲ませたものを、吐き出されては困る。
 マイクロマシンが喉の奥へ移動するまでの間、ロイドはそのまま、うなる女を見下ろした。
「そろそろいいか」
 頃合いを見計らって、ロイドは女の拘束を解き、床に座った。
「ったく、手間を取らせるな」
 起き上がり、首を押さえて咳き込む女を見つめて言うと、彼女は涙目で睨んだ。
「なんて事するのよ! ひとの口の中に!」
「おまえが口移しはイヤだと言うからだ」
 女は拳を握り、ひざ立ちで怒鳴る。
「あなたの唾液まみれのものを放り込まれたら口移しと変わらないじゃないの! っていうか、吐き出したもの飲まされるくらいなら口移しの方がマシよ!」
 全身で抵抗するから、よほどイヤなのかと思ったら、口移しの方がよかったとは驚いた。
 ロイドは思わずニヤニヤ笑う。
「なんだ、オレとキスしたかったのか。それは悪い事をしたな」
「どういう思考回路してるのよ!」
「超優秀な思考回路だ。丁重に扱えよ」
 そう言って自分の額を指先でコツコツ叩くと、何が気に入らないのか、またしても殴られそうになった。凶暴な女だ。
「もぉ〜。なんか喉に引っかかってるしぃ〜」
「それは好都合だ。その感覚を覚えておけ。飲み下さずに喉に引っかけるんだ」
 首を押さえて恨み言を言う女に、マイクロマシンを飲む時のコツを説明する。
 すると突然、女の声が変わった。マシンが作動したようだ。
「えー? 声がヘン。何? これ」
 彼女も気付いたようだ。その声を聞いて、ロイドは目を見張った。
「驚いたな。声まで殿下にそっくりだ。骨格が似てるからかな」
「王子様ってこんな声なの?」
「あぁ。立ってみろ」
 そう言ってロイドが立ち上がると、今度は女も素直に立ち上がった。
 改めて頭の天辺から足先まで眺める。これほどそっくりな身代わりは、他にいないだろう。
「声も顔も背格好も、ほぼ見分けが付かない。おまえの方がかなり細いが、服を着たらわからないだろう。おまえ、もう少し太れ」
 ロイドの言葉に、女は不愉快そうに眉を寄せ腕を組む。
「どうして私が王子様の体型に合わせなきゃならないのよ」
 別に殿下の体型に合わせろ、と言っているわけではない。客観的に見て、この女は痩せすぎだ。
「抱き心地が悪すぎる。小骨が刺さってしょうがない」
 そう言うと、女は真っ赤になって怒鳴った。
「あなたに抱かれるつもりないから! ひとの事をイワシの煮付けのように言わないで!」
 イワシの煮付けがどんなものかは知らないが、こちらこそ、そんなつもりは毛頭ない。一般論を言ったまでだ。
 凶暴な女も、いちいち反抗する女も、小骨が刺さる女も、ロイドの好みからは大きく外れている。ちょうどいいのは、背の高さくらいだろうか。
 そんな事より問題なのは、この言葉の方だ。ロイドは額に手を当て嘆息した。
「その声で女言葉はよせ。殿下がご乱心あそばされたかと思われるだろう」
「この薬、効果はどのくらい続くの? 毎日飲んでたら効かなくなるんじゃない?」
「それは薬じゃない。人の話は真剣に聞け。薬が都合よく移動したりするわけないだろう。声帯に取り付いて声帯の振動を制御するマイクロマシンだ」
 丁寧に説明したにも拘わらず、女は無言のまま不愉快そうにロイドを睨む。どうやら言った事が分かっていないようだ。
「声帯に取り付ける、ものすごく小さい変声機だ。作動時間は約十五時間」
 子供にも分かるように言い換えると、女はようやく納得し、問いかけてきた。
「どうして、こんなもの作ったの?」
「男が女の声になったらおもしろいと思わないか?」
 女は絶句し、白い目でロイドを見つめる。自分の作ったマシンに対して、こういう反応が返ってくる事はよくあるので、ロイドはいちいち気にしていない。
 少しして大きくため息をつくと、女は再び反抗した。
「言っとくけど私、王子様の身代わりをするとは言ってないわよ」
 ロイドは女のあごを掴んで上向かせ、その顔を覗き込んだ。
「おまえに選択の権利などない。拒否するなら監禁するぞ。この顔で国内を自由にうろつかれては困るからな」
 少し脅してやる。また泣きそうな顔になるかと思ったら、意外にも女は不敵な笑みを見せた。
「別にそれでもいいわよ。ご飯は食べさせてくれるんでしょ?」
 同じ事を何度も説明させるから、頭が悪いのかと思ったら、案外、回転は速いようだ。
 少し感心したが、ここで折れるわけにはいかない。もう一押し脅してみる。
「タダ飯食えると思うなよ。生体実験のサンプルくらいは覚悟しとけ。だが、夜にはかわいがってやろう」
 そう言って、女の髪をひとつかみ持ち上げ、肩の上にパラパラと落とす。
「この、エロ学者!」
 女はわめきながら、ロイドの腕を振りほどいて逃れた。ロイドは勝利を確信し、腕を組んで笑みを浮かべる。
「殿下の身代わりを演じるなら、王宮内でのおまえの自由は保証しよう。何が得策か、バカじゃなければわかるだろう?」
 女はふてくされたような表情で、上目遣いにロイドを見上げた。
「わかったわよ」
 無駄に時間がかかったが、女が承諾したので、身代わりを演じる上での注意事項などを説明する。話が終わり、女が髪を束ねていると、ラクロット氏が殿下の服を持って戻って来た。
 女の姿を間近で見て、ラクロット氏は目を見張った。声を聞かせると、さらに驚き、これなら殿下の身代わりとして申し分ないと判断したようだ。
 彼は笑顔で女に挨拶をし、名前を尋ねた。それでロイドも、ふと気が付いた。
「そういえば、名前を聞いてなかったな。何という?」
 女は憮然として名乗った。
「ユイよ。ユイ=タチカワ」




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