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3.



 ユイと共に陛下との謁見を済ませると、ロイドはひとり研究室に戻った。ユイはこれから殿下になるために、殿下の部屋でラクロット氏にみっちり教育を受ける。
 言葉遣いが何とかなれば、正体がばれる事はまずない。
 殿下は普段、無邪気で奔放な少年を装っておいでだ。ユイが多少突飛な行動を取っても、怪しまれる事はないだろう。
 問題なのは、ロイドに対する反抗的な態度だ。王宮内では自由にしていいとは言ったが、あまり自由にされ過ぎても困る。
 ロイドの言う事に逆らい勝手な事をして、仕事を増やされては、殿下の捜索に支障を来しかねない。
 女の機嫌取りなど本意ではないが、多少は機嫌を取って手なずけておこうとロイドは思った。
 ふと机の上に置かれた、黄色い小鳥に目が止まった。殿下に差し上げるつもりで、数日前に完成し動作テストも完了している、人工知能搭載のロボットだ。
 以前差し上げた昆虫型ロボットより、格段に頭がいい。小鳥なら女でも嫌がらないだろう。
 ロイドは小鳥を手の平に乗せて持ち上げた。動かない小鳥を見つめて目を細める。
「あいつ、おまえを可愛がってくれるといいな」
 すぐに手が出る凶暴な女でも、ロボットとはいえ小鳥を投げつけたりはしない事を祈る。
 凶暴で反抗的で小骨が刺さる、好みから外れている女だが、ユイはおもしろい。
 謁見に向かう途中で、ユイが発案した五感伝達装置はおもしろそうだ。小児医療とかで役に立つかもしれない。今度、王宮医師のローザンに提案してみよう、とロイドは思った。
 そういうユニークな発想が、予想外の反応を生むのかもしれない。
 ロイドはユイに、強く興味を引かれた。その事は、どうやら陛下に見抜かれてしまったらしい。
(陛下も考えたな)
 ロイドは以前から何度か、貴族の娘との縁談を、陛下に勧められた事がある。その度に、身分が違いすぎるとか、年が離れすぎていてかわいそうだとか、適当な事を言って躱してきた。
 ロイドがユイに興味を持っている事に気付いた陛下は、ユイを養子にしようとした。そしてユイがそれを承諾したなら、ユイとの縁談を勧めるつもりだったのだろう。
 陛下の娘との縁談を、陛下自身に勧められて、ロイドが断れるわけがない。それにユイなら、身分違いも年の差も、断る口実にならない。
 どうしてそんなに結婚をさせたがるのかは不思議だが、ユイが養子の話を断ってくれて内心ホッとした。
 だが陛下は諦めていないようだ。ロイドに勧めても躱されるので、ユイに勧めていた。ユイも曖昧にごまかしていたが、ものすごく困った顔をしていた。おまけに「結婚するつもりはない」とロイドに直接宣言した。
 ロイドにもそのつもりはないが、露骨に嫌がられるのも、なんだか不愉快な気がする。
(まぁ、あいつと結婚したら、退屈はしないだろうけどな)
 おもしろい事を除けば、ことごとく好みから外れている女だが、ひとつだけロイドの目に焼き付いて消えないものがある。
 マイクロマシンを飲ませるためにユイを押さえ込んだ時、間近で見つめた彼女の唇が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
 体つきも顔も仕草も、色気のかけらもないのに、唇だけ妙になまめかしい。
 殿下の唇をまじまじと見つめた事はないが、あれだけそっくりだから殿下もそうだっただろうか。それは記憶にない。それとも女のユイ特有のものだろうか。
 化粧もしていないのに、ほんのり薄紅色に色づき、ふっくらとやわらかそうで、小さく引き締まっている。
「甘そうだな……」
 今まであんな唇の女に出会った事はない。あの唇を味わってみたいと思った。
 ロイドが吐き出したマイクロマシンを飲ませた時、口移しの方がいいと言っていた。
 キスをしたら、ユイはどんな予想外の反応をするんだろう。
 それは純粋に、単なる子供じみた好奇心だった。



 夜遅くまでロイドは、広域人物捜索装置の検索データや内蔵プログラムの解析を行ったが、誤動作の原因は掴めなかった。
 唯一不審な点といえば、ユイの検索結果が示す座標位置だけだ。この世界にはありえない座標にも拘わらず、エラーとして扱われていない。
 以前にもこんな事があったのかどうか把握していないので、過去のデータも解析してみる必要がある。その膨大な作業量を考えると、目眩がしそうだった。
 捜索隊からの報告も、これといって成果はない。一日目は無情に過ぎ去った。
 作業を切り上げて王宮内の自室に戻ると、部屋の前の廊下でラクロット氏に出くわした。ちょうどユイの教育が終わったところだと言う。
 まだ起きているのなら、ユイに用事がある。夜遅くに殿下の部屋を訪れるのはまずいので、ロイドは自室を素通りし、テラスからユイの元を訪ねた。
 外からガラス戸を叩いてみたが反応がない。試しに戸を引いてみると、あっさり開いた。カーテンをよけて中を覗くと、ソファにユイが突っ伏していた。
 寝ているのかと思ったら、頭が持ち上げられた。どうやら起きてはいるようだ。
「鍵が開いてたぞ。物騒だな」
 部屋の中に入って声をかけると、ユイは身体を起こしてロイドを睨んだ。
「だからって勝手に入ってこないでよ。私が裸だったらどうするの?」
「おまえの裸……?」
 わざわざ見たいような身体でもないが、だからといって外に面したリビングを、鍵もかけずに裸でうろつくような女なんだろうか。
 ロイドが眉をひそめて絶句していると、ユイが立ち上がり詰め寄ってきた。
「なんで黙るのよ! どうせ胸小さいし、背高いし、男の王子様と同じ体型だし、小骨は刺さるし……!」
 言うと怒るだろうと思って黙っていたのに、それでも怒られるとは思わなかった。
「わかった、わかった。おまえの裸を想像すると貧血になるほど鼻血吹きそうだ」
「バカにして……!」
 心にもない事を言ってなだめようとしたら、やはり殴られそうになった。咄嗟に手を掴んで、それを阻止する。ユイは諦めてロイドを睨んだ。
「とにかく出てって。これからお風呂に入って寝るんだから。あなたが見たくもない裸になるわよ」
「あぁ。オレは出て行こう。かわりにおまえが出て来い。用がある」
 ロイドは掴んだユイの手を引いて、テラスに連れ出した。中央くらいまで来て手を離すと、ユイは隣のロイドの部屋に目を向けた。そこにロイドが住んでいるのを知ると、少し驚いたようだった。
 ユイはロイドに向き直り尋ねる。
「何の用?」
「喉のマイクロマシンを機能停止させてやろうと思って。朝起動すれば今頃は停止してるはずなんだが、今日は午後からだったからな。寝てる間に声を変える必要はないし、強制終了させてやろう。少し上を向け」
 珍しく素直に、ユイはそれに従った。目を合わさないようにしているのか、ロイドの頭越しに空を見つめている。
 ロイドはユイの首にリモコンを近づけボタンを押した。反応音を確認すると、ロイドはリモコンをポケットに収め、ユイの側を離れた。
 手すりにもたれ腕を組んで、ユイの様子を窺う。少ししてユイが喉を押さえて咳き込むと、彼女の声は元に戻った。
 ユイはマイクロマシンが与える喉の違和感をぼやきながら、ロイドの隣に来て手すりにもたれた。何が珍しいのか、彼女は度々星空を見上げる。
 ユイに尋ねられ、ロイドは本日の殿下捜索の成果について話した。
 ユイはラクロット氏から、殿下を取り巻くお家事情を聞かされたようだ。国王陛下の弟君で、レフォール殿下の叔父上にあたるラフィット殿下を怪しんでいたが、その可能性は低い。
 陛下との謁見に向かう途中、偶然ラフィット殿下と鉢合わせしたが、あの方はユイをレフォール殿下だと思い込んでいた。ご自身がレフォール殿下の失踪に関わっているなら、ユイを見て少なからず動揺なさるはずだ。
 それを説明すると、ユイは自分も調べてみようかと物騒な事を言う。勝手な事をされて、面倒な事態を招かれては困るので、即座に釘を刺した。
 広域人物捜索装置の誤動作の原因も分かっていない事を告げると、ユイは身体を反転させて手すりに縋り、落胆したように大きくため息をついた。
 少しの間、二人ともそのままで、沈黙が続いた。
 ふとロイドは、ユイの言葉を思いだし、笑いがこみ上げてきた。
「何?」
 笑うロイドをユイが訝しげに見つめる。ロイドは尚も笑いを堪えながらユイに言った。
「おまえ、よっぽど背が高い事を気にしているんだな」
 ユイはふてくされたように顔を背けた。
「だって昔から、からかわれてうんざりなんだもん」
「オレも言われてうんざりしている事はある」
 ロイドがそう言うと、ユイは意外そうに目を見張った。
「え? そうなの?」
「学者のくせに無駄にいい身体をしていると、よく言われる」
 途端にユイは、うんざりしたようにため息をつく。
「なんなら脱いで見せようか? 向こうのベッドルームで」
 首を傾げて、羽織った白衣を広げてみせるロイドに、ユイは目を細くして追い払うように手を振った。
「抱き心地の悪い女にそんなサービスいらないわよ。ひとりでベッドルームに行って」
「おまえ、根に持つ奴だな」
 また「エロ学者」と罵りながら殴りかかってくるかと思ったら、案外上手い切り返しだ。
 やはりユイの反応は、予想外でおもしろい。思わず笑いが漏れる。
 そして昼間に湧いた、好奇心が頭をもたげた。
 テラスの淡い灯りに照らされて、ユイの唇が一層なまめかしさを増している。
 ユイの唇を味わってみたい。
 抗いがたい欲求に、上手い口実を思い付いた。
「じゃあ、根に持たれたら困るし、忘れる前に帳消しにしとくか」
 そうつぶやいてロイドは、メガネを外し胸ポケットに収めた。ユイの正面に立ち淡く微笑みながら、呆然と見上げる彼女の唇を見つめる。
 ユイがハッとしたように問いかけた。
「メガネなくて見えるの?」
「近付けば問題ない」
 言ったと同時にロイドは、ユイの腰に左腕を回し、強引に引き寄せた。自分の胸に倒れ込んできたユイは、逃れようと両手を突っ張りながらロイドを睨む。
「ちょっと! 何?」
 予想通り抵抗するユイを、ロイドはさらにきつく抱き寄せた。
「やはり、ちょうどいいな」
 ほんの少し顔を近づければ事足りる。背の高さはちょうどいい。
 密着した身体から伝わる、ユイの鼓動が次第に早くなる。
「……やっ……!」
 照れくさくなったのか、小さく声を上げて、ユイが真っ赤になった顔を背けようとした。ロイドはその後頭部に右手を添えて囁いた。
「黙ってろ」
 非難するようにロイドを睨んで、開きかけたユイの唇をロイドは唇で塞いだ。
 ピクリと一瞬震えた後、ユイの全身が一気に硬直する。
 思った以上にユイの唇は甘かった。その甘美な誘惑に、更に溺れようとした時、ユイが思い切りロイドを突き放した。
 間髪入れずにユイは、右手をロイドに振り下ろした。ロイドはそれを難なく受け止める。すると、左手も振り下ろしてきた。それも簡単に捕まえられた。
「何をする」
 両手首を掴んだまま尋ねると、ユイはヒステリックに怒鳴った。
「こっちのセリフよ! 帳消しって何? 意味わかんない!」
「オレの方こそ意味がわからない。オレとキスしたいと言ったのはおまえじゃないか」
 ロイドの言葉に、ユイは視線を外して考え込んだ。
 もちろんユイはそんな事を言っていない。
「マイクロマシンを飲ませた時、吐き出したものを飲むより口移しの方がいいって言っただろう」
 これは口実だ。ロイドは自分の好奇心を満たすため、ユイの言葉を利用したに過ぎない。だが、一度はいいと言った事を、これほど激しく怒る理由が、ロイドにはわからなかった。
 ユイが再び怒鳴った。
「学者のくせに、頭悪いんじゃないの?! どうしてくれるのよ! 初めてのキスなのに!」
「え?」
 ロイドは思わず、ユイの両手を離した。つまらない好奇心が、自分で自分の首を絞めたような気がして、一瞬頭が真っ白になった。
 すると怒っていたユイが、突然クスリと笑った。
「ウソよ。あなたでもうろたえる事あるのね」
 ぼやけた視界では、ユイの表情はよく見えない。そのため真意も測りかねる。ロイドは見極めようと、メガネをかけ直した。
「……からかったのか?」
「からかわれてばかりじゃ、シャクだもの」
 見極める前に、ユイはクルリと背中を向けた。
「オレをからかうとは、いい度胸だ」
 ロイドが後ろから両肩を掴み耳元で囁くと、ユイの身体がピクリと跳ねた。そして小刻みに震え始める。それを必死で堪えようとしているようだ。
 どうやら初めてのキスだというのは、ウソではないらしい。
 ロイドは肩から手を離し、頭をひと撫でして、ユイから離れた。
「悪かったな」
 ロイドは手すりにもたれて、空を見上げる。
「これでも責任は感じているんだ。うちの子が迷惑をかけて」
 ユイに視線を戻すと、こちらを向いて手すりにしがみついていた。その表情からは感情が読み取れない。ぼんやり見つめるユイに宣言する。
「今はまだ見当も付かないが、必ずおまえをニッポンに帰してやるからな。オレのプライドにかけて」
 言った事は出任せではないが、少しは喜ぶかと思ったら、ユイは相変わらず無表情のまま、抑揚のない声で返事をした。
 ロイドはポケットから小鳥ロボットを取り出し、ユイに差し出した。
 スイッチを入れると、小鳥は飛び立ち、ユイの肩に留まった。逃げたり、たたき落としたりしないところを見ると、ユイは小鳥が嫌いではないようだ。ひとまずロイドはホッとした。
 少し小鳥の説明をして、念のため好きかどうか訊いたら、好きだと答えた。
 ほんの少し、小鳥を見つめるユイの表情が和らいだのに気をよくして、ロイドは思わず顔がほころんだ。
 しかし、続けて小鳥の説明をしている内に、ユイの表情が再び硬くなっていくのが分かった。
 口をつぐみ黙って見つめると、ユイは俯いて目を逸らした。
 ユイが自分を拒絶しているのを悟り、ロイドはクルリと背を向けた。
「じゃあな。おやすみ」
「おやすみ」
 ユイの返事を背中に聞いて、ロイドは自室に戻った。




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