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5.



 朝食を終えてすぐに、ロイドは研究室に向かった。三十分遅れで食事を終えたら、ユイが研究室にやってくる。それまでに研究室の入室を許可するよう、ユイの生体情報を登録しておかなければならない。
 昨日、退室の際はセキュリティ装置を停止して対応した。入室の記録がないのに退室の記録があると、セキュリティ装置に不審人物としてマークされてしまうからだ。
 王宮内とはいえ、ロイドの研究室は科学技術局の一部だ。そのためセキュリティは厳しく、ロイドの許可した者しか入室できないようになっている。
 出入口の外には監視カメラが設置され、何の変哲もないように見える扉は、触れただけで生体認証装置が作動する。
 ロイドが許可していない者が、出入口から一定距離以上中に入ると、たちまち派手なアラームが鳴り響き、天井と床からせり出す檻が侵入者を捕獲する。
 現在入室を許可されているのは、ロイド本人の他に、国王陛下、レフォール殿下、ラクロット氏のみである。
 扉の横に注意書きがあるので、許可がないのに入ってくる、うっかり者はまずいないが、異世界人のユイは文字が読めない。
 だが、ユイの入退室の度に、セキュリティ装置を停止させるのも面倒だ。それにユイは、レフォール殿下だ。許可しないわけにはいかない。
 本来なら本人の承諾を得た上で、生体情報を提供してもらうのが筋だが、ユイはとにかくロイドのいう事を聞かない。マイクロマシンの時みたいに、無駄に労力と時間を使いたくないので、コッソリ拝借する事にした。
 茶でも飲ませて唾液から採取しようと思ったが、幸いにも髪を触った時、抜け毛が指に絡まったので、それを利用する。
 ロイドはユイの髪の毛を、分析装置にセットした。抽出された生体情報を、そのまま認証装置に登録する。これでユイが研究室に出入りしても、アラームは鳴らない。
 最優先の作業を終えて時計を見ると、研究室にやって来て一時間近く経っていた。殿下の部屋を出てからだと、もっと経っている。
 いくら三十分遅れで朝食を摂っても、さすがにもう済んでいるはずだ。
 早速反抗されたかと思うと、少し苛ついた。
 ロイドは電話の前に座り、殿下の部屋の発信ボタンを押した。少ししてユイが応答した。
 ロイドは苛立つ気持ちそのままに、ユイを呼びつける。
「何をやってる。後で来いと言っただろう。さっさと来い。いつまで待たせる気だ」
「……ごめん、すぐ行く」
 ユイはしおらしく返事をすると、電話を切った。あまりの素直さに拍子抜けする。だが、反抗されるよりは断然いい。
 すっかり気をよくしている自分に、ハタと気付いた。別に好かれている訳じゃないのに、ユイの態度が少し好転しただけでこの様だ。
(まるでガキじゃないか。それどころじゃないっていうのに)
 ロイドは頭をかきむしりながら、おもむろに立ち上がった。
「あーっ! 畜生!」
 雑念を振り払うために一声わめいて、メインコンピュータの前に移動する。そこにはラクロット氏から渡された、捜索隊の報告書が置かれていた。
 椅子に座りひと息つくと、報告書を手に取った。内容に目を通し始めると、自然に頭はそちらに没頭していった。



 ふと、背後に人の気配を感じて振り返る。いつの間に来たのか、小鳥を肩に乗せたユイが立っていた。
「やっと来たか。待ちくたびれて、じじぃになるかと思ったぞ」
 ロイドがそう言うと、ユイは早速憎まれ口を叩く。
「元々じじぃなんじゃないの?」
「黙れ」
 小憎たらしいので、思わず額を叩いた。
 年を訊かれ三十前後だと答えると、ユイは怪訝な表情をする。拾われっ子だから正確な年が分からないと説明すると、今度は深刻そうな表情になった。
 よく見ると、分かりやすい奴だ。ユイは感情が顔に出る。
 二十七年前、遺跡で考古学者に拾われた事や、遺跡にある機械装置の話をすると、ユイがクスリと笑って突飛な事をいう。
「もしかして、あなたはその機械から生まれたのかもよ。だから機械が大好きなのよ」
 いくら出自が不明でも、そこまで奇抜なわけはない。ユイの表情から、からかっている事が丸わかりだったので、ロイドはすかさず額を叩いた。
「ふざけるな」
 少しムッとした顔で額を押さえた後、ユイはコロッと話題を変えた。相変わらず切り替えの早い奴だ。
 どうやら飛空艇が珍しくて、見とれていたようだ。ニッポンにはないという。代わりに垂直には飛べない、ニッポンの空飛ぶ乗り物を教えてくれた。その乗り物は、クランベールには向いていない。
 クランベール大陸の各地には、機能が停止していない謎の機械装置を有する、古代遺跡が点在している。
 壊すとどうなるかわからない遺跡を保護するため、新たな道路や建築物を造るには、国の定めた厳しい基準と審査を通過しなければならない。
 ニッポンの乗り物がどのくらいの大きさなのかユイの絵からは分からないが、飛空艇と同じくらいの大きさなら、かなりの広さと長さの道路が必要になる。遺跡を避けてそれだけの敷地を、新たにいくつも確保するのは難しい。
 そもそも遺跡の装置が何なのか不明なので、その影響力も影響範囲も未知数で、クランベールの各街は、古代からその広さがほとんど変わっていないのだ。
 ユイは遺跡に興味を持ったらしく、見てみたいと言った。
「街の外にしかない。諦めろ」
 そう言うとあっさり引き下がった。そしてロイドに尋ねる。
「私に渡したいものって何?」
 ロイドは本来の目的を思い出し、白衣のポケットから黒い板状の通信機を取り出し、ユイに渡した。ユイはそれを裏返したりしながら、珍しそうに眺め問いかけた。
「何? これ」
 ロイドはポケットからもうひとつの通信機を取り出し、ユイに見せながら機能と使い方を説明した。ユイは納得して通信機をポケットにしまう。
「あぁ、ケータイみたいなものね」
 耳慣れない単語に、ロイドは食いついた。
「ケータイって何だ?」
 ユイは平然と説明する。
「携帯電話。持ち歩ける電話よ。クランベールにはないの?」
 ニッポンには普通にありふれた物のようだ。どんなものなのか興味が湧いたので、少し突っ込んで訊いてみる。
「ない。どういう仕組みだ?」
「……え……」
 途端にユイは絶句した。ありふれた物でも、仕組みまでは知らないようだ。
 先ほどの乗り物といい、ニッポンにはクランベールとは違う科学文化があるらしい。ユイの住んでいた世界を見てみたい、とロイドは思った。
 ユイに渡した通信機は、あくまで緊急用の物だ。ニッポンにありふれたケータイの感覚で、気軽に使ってもらっては困る。そこでロイドは、忠告を与えた。
「いいか、わかっているだろうが、オレはヒマじゃない。くだらない用事や、イタズラでそのボタンを押してみろ。二度とそんな事をする気にならないような、お仕置きが待っていると思え」
「はいはい」
 投げやりに返事をすると、ユイは背を向けた。
「じゃあ、探検に行ってきます」
 立ち去ろうとするユイに、ロイドはもうひとつ忠告を与える。
「洗濯物置き場や、食料庫は覗かない方がいいぞ」
「なんで?」
 ユイが振り返って不思議そうに尋ねる。ロイドはニヤリと笑った。
「そういう人気のない狭い場所は、職場恋愛の巣窟になっているからだ。鉢合わせしたらお互い気まずいだろう」
 実際、茶に入れる砂糖をもらいに行って、見かけた事が何度かある。自分の下ネタジョークを本気にして、部屋に忍んできた子に鉢合わせした時は、酷く気まずかった。
 それが、冗談だと言い聞かせて、追い返した翌日だったのにも驚いたが。
「……ったく、仕事しろっての!」
 吐き捨てるようにそう言って、ユイは足音も荒く出口へ向かう。その背中にロイドは再び声をかけた。
「そういう場所への呼び出しなら応じてやろう」
「絶対、呼ばない!」
 振り向きもせずに叫んで、ユイは研究室を出て行った。
 これだけ言っておけば、無意味に通信機のボタンを押す事もないだろう。
 ユイと怒鳴り合いでも駆け引きでもなく、普通に会話できた事が何だか不思議だ。
 そしてそれが少し楽しくて、ロイドは思わずクスクス笑った。



 広域人物捜索装置は、五年前に完成した。現在までに処理速度の向上や、捜索範囲の拡張、設定できる検索条件の追加などで、二十数回バージョンアップを行っている。直近のバージョンアップが昨年だ。
 とりあえずは、そこまで遡ってデータの解析を行うが、不審な点が見つからなければ、五年前まで遡る事になる。最悪の場合は、それ以前のテスト期間まで、見る事になるかもしれない。
 装置の使用頻度は、多くて月に五回程度だが、それでも五年分となると、かなりな回数になる。おまけにバージョンアップの度に、数十回テストを行っている。考えただけで、気が遠くなりそうだった。
 律儀に大昔のテスト結果まで、残しておくんじゃなかったと、ロイドは後悔した。
 昨日から作動し続けていた機能縮小版の捜索装置が、結果を返してきた。それを確認し、新たに範囲を変更して作動させる。
 後はメインコンピュータに向かい、正規版装置のデータ解析を行っていると、午前中はあっという間に過ぎ去った。
 そろそろ昼食時だという頃、ユイが研究室に戻ってきた。
 声をかけられたが、数を数えていたので返事が出来ずにいると、何を思ったのか、途中から足音を忍ばせて近寄ってきた。
 振り向かなくても、近付けば机の横にある戸棚のガラスに姿が映って、丸見えな事をユイは気付いていないようだ。
 イタズラっぽい表情で手を伸ばしてきたので、椅子を反転させてその手を掴む。そのまま掴んだ手を引くと、ユイはバランスを崩して、ロイドのひざの上に倒れ込んだ。
「何の真似だ」
 そう言って尻をピシャリと叩くと、ユイは小さく悲鳴を上げて、尻を押さえながら慌てて起き上がった。
「変なとこ叩かないでよ、エロ学者! 気付いてたんなら返事くらいしたら?」
 顔を赤くして怒鳴るユイに、ロイドは憮然として言い返す。
「オレはヒマじゃないと言っただろう。殿下の件に関しては極秘だから、助手が使えない。データの分析から全部ひとりでしなければならないんだ。おまえの悪ふざけに付き合っているヒマはない」
 少し頬を膨らませてロイドを睨んだ後、ユイはまたしても平然と話題を変えた。
「お昼ご飯まで、ここにいていい?」
「邪魔するなよ」
 一言釘を刺して、ロイドは再びコンピュータ画面に向かった。ユイはロイドの肩越しに画面を覗いたが、すぐ興味なさそうに離れていった。
 ユイが倒れた時、机の上に移動していた小鳥ロボットが、ユイの後を追って飛び立った。ずっと連れ歩いているところを見ると、結構可愛がってくれているようだ。そう思うと嬉しくて、ロイドは密かに目を細めた。
 解析作業に戻ったものの、ユイがうろうろしている足音が気になって集中できない。戸棚のガラス越しに様子を窺うと、どうやら室内に置かれたマシンをひとつずつ巡りながら眺めているようだ。
 室内のマシンにも、セキュリティ機能が施してある。ロイド以外の人間が起動させようとすると、うるさいアラームが鳴るのだ。そうなると面倒なので、忠告した。
「触るなよ」
 ユイは顔を上げて、こちらを見た。
「わかってるわよ」
 一通り見て回ると満足したのか、ユイは窓辺に縋った。ぼんやりと外を眺めながら、小鳥の頭を撫で始めた。
 ロイドも安心して解析作業に戻った。
 少しして、作業が一段落した。振り返るとユイは、まだ外を眺めてぼんやりしている。
 ロイドは席を立ち、部屋の隅にある給湯コーナーへ向かった。二つのカップに茶を淹れ、自分の分には砂糖を十五杯入れかき混ぜた。
 二つのカップを持って側に行くと、ユイが気付いてこちらを向いた。ロイドは砂糖なしの茶を、ユイに差し出す。ユイは手の平の小鳥を肩に移し、両手でカップを受け取った。
「ありがとう。もう、すんだの?」
「いや、キリが悪くなるから休憩。もうすぐ昼だしな。探検はすんだのか?」
「うん、だいたい。午後は外に出てみるつもり」
「そうか」
 熱い茶を一口飲んで、ユイは使用人から聞いたという客室の幽霊の話をした。
 その類の話はこれまでにも何度か聞いた。どれも真相はわからないまま、噂話の域を出ていない。
 相槌だけ打って聞いていると、ユイが尋ねた。
「幽霊っていると思う?」
「だから、それについては議論しない事にしている」
 ロイドは幽霊を見た事がない。だが、見たと言っている者を、否定するつもりもない。
 人が脳で物を見ている限り、他人と同じものを見る事は出来ない。だから幽霊がいるかいないか判断は出来ない。
 それを説明すると、ユイは納得したようなしないような、曖昧な返事をした。そしてユイは、目を輝かせて得意げに提案した。
「じゃあ、全く同じものが見えるようになる機械を作ったら? 直接脳に映像を送るとか」
 おもしろいアイデアだが、難がある。
「そんなものは永遠に作れないだろうな。脳に直接映像を送る事は可能だが、それを判断するのは脳だ。人から主観や感情がなくならない限り無理だな」
 あっさり却下されたのが不満なのか、ユイはイヤミを言ってきた。
「ふーん。あなたにも作れない機械があるのね。エロエロマシーンならお手の物なんでしょうけど」
 ロイドに絶対作れない機械はいくつかある。ロイドの思い描く究極のヒューマノイド・ロボットが、その最たるものだ。今のクランベールでは絶対に作れない。
(作ろうとしていた奴は、いたけどな)
 ユイはロイドに作れない機械はないと思っているのだろうか。最初、ロイドの作ったものを信用できないと言っていた事を考えると、ずいぶん評価が上がったものだ。
 素直に称賛として受け取っておこう。そう考えて、ロイドは涼しい顔で切り返した。
「エロエロマシーンなんか作った事も考えた事もない。オレは道具を使わない主義だ」
 ユイは呆れたような表情で、ガックリ肩を落とした。
「いったい何の話よ」
 ロイドはニヤリと笑うとユイの耳元で囁く。
「知りたければ、今夜オレの部屋に来い」
「絶対、行かない!」
 茶を飲み終わったカップをロイドに突きつけ、ユイは先ほどと同じように、足音も荒く出口へ向かった。
 食料庫で鉢合わせしたあの子のように、ユイが本気にして部屋に来る事はないのだろう。
 だが、万に一つでもそんな事になったら、ユイなら大歓迎だ。なにしろもう一度、あの唇にキスが出来る。
 都合のいい妄想にとらわれている自分が滑稽に思えて、笑いがこみ上げてきた。




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