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6. 午後からもロイドは研究室で、ひたすらデータの解析に忙殺されていた。そろそろ日も傾きかけようというのに、ちっとも進んだような気がしない。 本体の調査を先にするべきだったかと、少し後悔した。 途中、データ保存用のメモリカードを自室に取りに行った時、通信機でユイに呼ばれた。 突然レフォール殿下の婚約者、ジレット嬢がお見えになっていた。なんでも、殿下に秘密を教えてもらう約束だったらしい。その秘密を知らないかとユイに尋ねられたが、初耳だ。 もしかしたら、それが殿下の失踪と関わりがあるのではないか、とユイは言う。可能性としては捨てきれないので、ユイに探りを入れるように頼んだ。 少しくらいは何かしら聞き出してくれればいいが、あまり期待はできないだろう。何しろユイは、ロイドのいう事を聞かない。 データの解析が一区切り付いて、ロイドは茶でも飲もうと、給湯コーナーへ向かった。 出入口の扉の前を通りかかった時、何かがぶつかる小さな音が聞こえ、立ち止まる。少しの間、聞き耳を立てていると、再び何かがぶつかった。 ロイドは不審に思い、扉をそっと開く。すると、扉の隙間から、黄色い小鳥が飛び込んできた。 ユイにあげた小鳥ロボットだ。 小鳥は部屋を旋回し、ロイドの肩に留まった。 「おまえ、どうしてここに……」 ロイドを見つめて、小鳥は一言発した。 『エロガクシャ』 それを聞いて、ロイドは眉をひそめる。 「あいつ……!」 小鳥はロイドの肩から飛び立ち、扉の隙間から外に出た。しかし少しすると、また戻って来てロイドの肩に留まった。 どうも様子がおかしい。どこかに連れて行こうとしているようだ。 途端に背筋に冷たいものが走った。 「まさか、あいつに何かあったのか?」 ピッと一声鳴いて、小鳥は再び外に出た。今度はロイドもその後を追う。 研究室の扉を閉じ、先を行く小鳥について駆け出した。 王宮の長い廊下を抜け、貴賓室の横から庭園に出て、小鳥はユイの通った道を忠実に辿る。庭園を斜めに突っ切り、黄色い小鳥は外れにある蔓植物で出来たアーチの上に留まった。 ロイドは花壇をよけながら、小鳥の元へ向かう。 白い花を付けた緑のトンネルの向こうには、レフォール殿下がよくお行きになる、白い石造りの東屋がある。 ロイドが追いつくと小鳥は飛び立ち、トンネルの中に入っていった。ロイドもその後を追って走り続ける。 トンネルの出口が近付いて来た時、ユイの悲痛な呼び声が聞こえた。 「ロイド!」 速度を上げた小鳥を追って、ロイドはトンネルを抜け出した。 「ユイ! どうした?」 小鳥の舞い降りた東屋の石段の途中に、ユイが生えているように見える。側まで駆け寄ると、石段が崩れて、その穴にユイがすっぽり嵌っている事が分かった。 ユイの身体の周りは、石が傾いていて今にも崩れそうだ。彼女がしがみついているという事は、上の段は大丈夫なのだろう。 ロイドは裏側に回って、ユイの頭の上から覗き込んだ。 彼女は先ほどの必死な声とは裏腹に、呆然としてロイドを見上げる。 「なんだ?」 不思議に思ってロイドが問いかけると、ユイはポツリとつぶやいた。 「初めて名前を呼ばれたような気がする」 それが今、この状況を忘れて、呆然とするほど重要な事とは思えない。ロイドは少し笑みを浮かべて、意地悪く言う。 「余裕じゃないか。もうしばらく、そうしているか?」 途端にユイは、泣きそうな顔で訴えた。 「足場が崩れそうなの。お願い、すぐに助けて」 あまり意地悪をしている余裕はなさそうだ。それに惚れた弱みか、下手に出られると邪気も一気に消し飛んだ。 ロイドはユイの両腕の根元を掴んだ。 「首に掴まれ」 ユイは腕を伸ばし、ロイドの首の後ろで両手の指を組み合わせた。 どのくらいここで穴に嵌っていたのかわからない。石段の石に熱を奪われたのか、ユイの冷たい手が、ずっと走ってきて少し火照った首に、ひんやりと心地よかった。 ロイドはユイの背中に両腕を回すと、抱きかかえるようにして一気に穴から引き抜いた。 二人で同時に安堵の息を吐く。 よほど安心したのか、ひざの上のユイは身体の力を抜いて、おとなしくロイドに身を任せている。冷たかった手も、徐々にぬくもりを取り戻してきた。 ゆうべも思ったが、ユイは他の女に比べて体温が高い。その温かさが妙な安心感を与え、心がゆったりと落ち着いてくる。 このままもうしばらく、ユイを抱いていたい衝動に駆られる。だが、そういうわけにもいかないだろう。 ロイドはユイに問いかけた。 「ケガは?」 不意にユイは顔を上げた。目が合った途端、慌ててロイドのひざから降りようとする。 立ち上がろうと足を動かしたユイが、顔を歪めて声を上げた。 「いたっ……!」 上から覗き込むと、ユイのズボンのひざから下が、黒く変色していた。 「なんか派手に血が出ているみたいだな。医者に診せた方がいい」 そう言ってロイドは、ユイを抱き上げ立ち上がった。身長の割に、あまりにも軽いので少し驚く。 そのまま東屋の階段を下りて歩き始めると、ユイが腕を突っ張って抵抗した。 「降ろして。自分で歩くから」 少し足を動かしただけで、痛がっていたくせに強がるな。 「歩かない方がいい。骨に異常があるかもしれない」 ロイドが却下すると、ユイは尚も食い下がった。 「医者に診せたら、私が女だってばれるんじゃないの?」 それを気にしていたのか。 「大丈夫だ。いう事を聞く医者がひとりいる」 「……え……」 ユイは納得したのか、抵抗を止めておとなしくなった。しばらくそのまま歩き続けたが、あまりにおとなしいので少し気になる。 緑のトンネルに差し掛かった時、ロイドは立ち止まってユイの様子を窺った。 ユイは俯いて眉間にしわを寄せ、顔を赤くしている。 「おまえ、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」 危険な目に遭った緊張感とケガから、熱でも出たのかと心配して尋ねると、ユイは声を荒げてわめいた。 「なんでもないわよ。放っといて!」 「何を怒っているんだ」 元気はあるようなので、ひとまず安心した。歩き始めたものの、何を怒っているのかわからない。 ゆうべならともかく今は、ユイを怒らせる理由に心当たりがない。 ゆうべ――。それでピンと来た。 ロイドは再び立ち止まる。 ゆうべユイは、ロイドが肩を掴んだら震えていた。さっきも、とにかくロイドから離れようとしていた。 ロイドに触られると、ゆうべの事を思い出して、ユイは不快になるのかもしれない。 「あ、そうか。そういう事か」 つい口に出して納得すると、ユイが訝しげに見上げて問いかけた。 「何?」 ロイドは笑いながら、冗談で取り繕う。 「せっかく人気のない場所に呼び出したのに、さっさと帰ろうとするから怒ってるんだろう? おまえがケガをしてなければ、もう少し付き合ってやるんだが、今日の所は諦めろ」 てっきり上手く切り返してくるものと思ったら、ユイは真剣に怒り始めた。 「違うわよ! もう、降ろして!」 わめきながら手足をばたつかせて、ユイは暴れる。酷く出血していてケガの具合も分からないのに、歩かせるわけにはいかない。 「暴れるな。落とすぞ」 そう言ってロイドが腕の力を一瞬緩めると、ユイは反射的にしがみついてきた。 「イヤッ……!」 抵抗が止んだので、ロイドはユイをしっかりと抱え直す。 「ったく。ケガを増やしたくなければ、おとなしく掴まってろ」 吐き捨てるようにそう言って、ロイドは再び歩き始めた。歩きながら様子を窺うと、ユイはおとなしくなったものの、相変わらず不愉快そうな表情で俯いている。 「そんなにイヤなのか」 ロイドがポツリとつぶやくと、ユイは不思議そうな顔をして見上げた。目が合った途端、いたたまれなくなりロイドは顔を背けた。 「いや、いい」 ユイは再び俯く。 ユイの態度が好転したと、浮かれていた自分が滑稽でならない。実際には、こうして必要に駆られて触れただけで、ユイは拒絶反応を示している。 これだけ徹底的に嫌われていては、キスどころか抱きしめる事も許してはくれないだろう。 そして、今朝気付いたユイへの想いも、決して報われる事はない。 しばらく黙って歩いていると、ユイが俯いたまま口を開いた。 「ロイド、助けに来てくれて、ありがとう」 「あぁ」 返事をしたものの、ユイの礼の言葉は、後ろからついてくる小鳥に向けられたものかもしれない、と思ってしまう。 そんな猜疑心にとらわれてしまうほど、更に強くなっているユイへの想いに、ロイドは改めて気付かされた。 王宮内の医務室に着くと、医師のローザンにユイを任せ、ロイドは東屋に取って返した。日が暮れる前に、ユイの転落しかけた現場を調べておきたい。 ローザンには事情を全て話した。彼が秘密を漏らす事はないだろう。 ちょうどいいので、事情を知ったローザンには、明日からデータ解析を手伝ってもらう事にした。これで肝心の装置本体の調査に着手できる。 すでに日は沈みかけていた。ロイドはポケットからペンライトを取り出し、薄暗くなった東屋の石段を照らした。 崩れ残った石段の一部は、周りと大きさの揃っていないものが嵌っている。王宮の造園技師の仕事とは思えない。 誰かが一度崩して、新たに組み直したという事か。 次に穴の中をライトで照らす。それほど深い穴ではない。穴の側面は最近掘ったものではなさそうだ。 自然に浸食されて、空いた穴かもしれない。誰だか分からないが、それを利用したのだろう。 ユイを狙った犯行というよりは、レフォール殿下を狙ったものと考える方が自然だ、 中に降りてみたいが、もうすでに辺りは暗くなっている。陛下にご報告申し上げれば、この件は調査して頂けるだろう。 ロイドは王宮に戻り、東屋の穴の事とユイが転落しかけた事を、ラクロット氏に報告した。ラクロット氏はユイに東屋へ行くのを薦めた事を酷く気に病んでいたが、彼のせいではない。 そしてユイが殿下の行動を探っていた事と、ジレット嬢にユイの正体を見破られた事を教えてくれた。 ジレット嬢の方は大丈夫として、余計な事をするなと言っておいたのに、やはりユイはいう事を聞かなかったようだ。 陛下への報告はラクロット氏がすると言うので、ロイドは医務室に向かった。ユイのケガの具合が、気になったのだ。 医務室の扉を開けると、診察台の上にはすでにユイの姿はなく、ローザンが机に向かってカルテの整理をしていた。 「あいつは?」 ロイドが声をかけると、ローザンは席を立ってこちらへやって来た。 「あぁ、ユイさんなら部屋に戻りましたよ。出血は酷かったんですが、打撲とすり傷だけだったので、自分で歩いて帰りました」 「そうか」 ロイドはホッと息をつく。するとローザンが、おもしろそうにクスクス笑った。 「ちょっと苛ついてて、八つ当たりしちゃったそうですよ」 「何の話だ?」 ロイドが訝しげに尋ねると、ローザンは益々笑う。 「ユイさんに怒られたんでしょ? それで機嫌が悪かったんじゃないですか? 八つ当たりって事は、ロイドさんが原因じゃないって事です。気にしなくていいですよ」 「別に気にしてない」 ロイドは精一杯平静を装いつつ、ローザンの額を叩く。ローザンは尚もからかうような調子で、ロイドに進言した。 「いっそ好きだって言ったらどうですか?」 「言えるか、そんな事! あいつには毛嫌いされている!」 咄嗟に反論して、直後、しまったと思った。これでは好きだと認めたようなものではないか。 案の定ローザンは、吹き出した。 ロイドはローザンの胸倉を掴んで引き寄せた。至近距離で思い切り睨みつける。 「あいつに余計な事言うなよ」 ロイドの睨みも、ローザンには一向に通じていない。胸倉を掴まれたまま、平然とニコニコしながらロイドに言う。 「言いませんよ。でもロイドさん分かりやすいから、黙っててもバレちゃうかもしれませんけどね」 きまりが悪くなって、ロイドはローザンから手を離し、背を向けた。 「帰る」 「お疲れ様でした」 平然と挨拶を返すローザンが小憎たらしい。ロイドは出入口の側で振り返った。 「明日、早めに来いよ。おまえの生体情報やパスワードの登録とか、事前準備が色々あるんだ」 「わかりました」 ローザンの笑顔に苛つきながら、ロイドは研究室に引き返した。 |
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