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第2話 揺れる想い、揺るがぬ決意 |
1 扉をノックする音で、ロイドはハッと我に返った。少しの間ユイを思い出して、ぼんやりしていたようだ。 雨の日は静かすぎて、ひとりでいると、ついぼんやりしてしまう。 振り返って返事をすると扉が開き、王宮医師のローザンが入ってきた。 彼の生体情報は、今も認証装置に登録されたままになっている。現在開発中の時空移動装置が完成したら、また手伝ってもらう事になるからだ。 共に国家の重要機密に関わった彼は、陛下やレフォール殿下の信頼も得ているので、充分信頼に値する。 「どうした? 何か用か?」 ロイドが尋ねると、ローザンはいつものように穏和な笑みを浮かべて近付いて来た。 「陛下と殿下がご心配なさってましたよ。ロイドさんが夜遅くまで根を詰めているようだって。ユイさんに早く会いたい気持ちは分かるが、身体を壊したら心配だから診てやってくれ、って言われて来ました」 「別にどこも悪くはないぞ」 ロイドがそう言うと、ローザンはニコニコ笑いながら腕を取った。 「まぁ、そう言わずに。とりあえず血圧と血液だけ調べさせて下さい」 「じゃあ、好きにしろ」 ロイドの承諾を得て、ローザンは手首に血圧計を取り付ける。ボタンを押して少しすると、小さな液晶画面に数値が表示された。 数値を眺めて、ローザンは血圧計を外す。 「血圧は正常ですね。次は少し血を採らせて下さい。ちょっとチクッとしますよ」 そう言いながら親指の爪ほどの白いクリップで、ロイドの耳たぶを挟んだ。ローザンが言った通り、耳たぶにチクッと刺激が走る。 すぐにクリップを外すと、ローザンは小脇に抱えていた血液の分析装置に、それをセットした。 少しして表示された分析結果を見ながら、ローザンが尋ねた。 「ロイドさん、お腹空いてますか?」 「ん? 小腹が空いてるかな」 「じゃあ、昼食以降いつもの甘いお茶は何杯飲みました?」 ロイドは首を傾げて斜め上を見ながら、カウントする。 「三杯だ」 「直近は何分くらい前?」 「三十分くらいかな」 「そうですか。不思議ですねぇ」 しみじみと言いながら、ローザンは首を傾げる。 「なんだ? 何かおかしいのか?」 「いえ、全然正常値なんですけど、それだけ頻繁に甘いものを摂ってるのに、血糖値が低いんですよ。その糖分、どこに消えてるんですか」 「脳が消費してるに決まってるだろう」 「まぁ、そうかもしれませんけど、やっぱり不思議です」 ローザンは大きくため息をついて、装置の電源を切った。 そして再びにっこり笑い、 「血圧も血液成分も正常値で問題ありません。陛下と殿下にはそのようにお伝えしておきます」 と言って、ロイドの隣に椅子を持ってきて座った。 「でもロイドさん、最近物足りないんじゃないですか? いつも今頃の時間にはユイさんのお菓子をお腹いっぱい食べてたから」 「おまえこそ楽しみにしていただろう」 ニコニコ笑うローザンの額を、ロイドはすかさず叩く。ローザンは片手で額を押さえながら、益々ニコニコ笑った。 「まぁ、その通りですけど。ユイさんのお菓子は絶品ですし。でも本人は、なんか感覚が跳んでるっていうか、おもしろい人ですよね」 「まぁな」 「しかも……」 「とにかくニブイ!」 言葉を受けて、ロイドはローザンと同時に声を上げた。 「オレはあの時ほど、あいつのニブさに呆れた事はないぞ」 思い出して顔をしかめるロイドに、ローザンは身を乗り出して尋ねる。 「あの時って?」 「あいつが攫われそうになった日の朝だ」 ローザンも思い出したらしく、のけぞって大声を上げた。 「あーっ。朝ロイドさんが、いきなりぼくを怒った日ですか。ロイドさんが顔を赤くしてたから何かあったのかと思ったら、やっぱり何かあったんですね」 今さらローザンに隠し立てしても、しょうがない。 ロイドは腕を組んで、あの朝のユイとのやり取りを話し始めた。 その朝ロイドは、いよいよ広域人物捜索装置本体の基盤の調査に入るべく、早めに研究室に入っていた。 メインコンピュータとの接続を解除したり、ボルトの大きさを確認したりしているところへ、ユイが満面の笑顔で駆け込んで来た。 「ロイド、ただいま!」 見た事もないような眩しい笑顔と、妙な挨拶に面食らって、ロイドは驚いてユイを見つめる。 ユイはロイドの元へ駆け寄ると、正面に立って笑顔のまま見上げた。 「心配かけて、ごめんね。隙を見てやっと逃げ出してきたんだ」 どうやら殿下の演技をしているらしい。ユイが何を企んでいるのか気になって、ロイドは素知らぬフリをしながらユイに合わせた。 「今まで、どうなさってたんですか?」 ユイは俯いて、悪い奴に捕まっていたという殿下の心情を、切々と語る。ロイドは黙ってそれに耳を傾けた。 不意にユイは顔を上げて、真剣な眼差しをロイドに注いだ。 「友達なんかじゃない。ボク、ロイドが好きだよ」 何を企んでいるのか、さっぱり読めない。殿下に好きだと言われて、うろたえたところを笑うつもりなのだろうか。ロイドはもう少し静観する事にした。 ユイは更に言葉を続ける。 「身分とか気にしなくていい。ボクの想いに応えてくれるなら、キスして」 ロイドを見つめて少し上向くと、ユイは静かにまぶたを閉じた。 どういうつもりかは分からないが、ユイの方からキスを求めるなど、願ってもない事だ。 ロイドはうきうきした気持ちのまま、ユイの鼻先に軽く口づけた。 ピクリと身体を震わせて、ユイが目を開く。ロイドはメガネを外しながら、ユイの身体を抱き寄せた。 自分から求めておきながら、驚いたように目を見張るユイの唇に、ロイドは深く口づける。 ユイは身を硬くして、再びきつく目を閉じた。それを確認し、ロイドは安心してユイの唇を味わった。 少ししてユイの唇を解放し、抱きしめていた腕をほどく。 ユイは目を開き、驚愕の表情でロイドを見つめた。 何をそんなに驚いているのか、相変わらず分からない。そろそろ茶番は終わりにしよう。 「ロイドって、やっぱり……」 何かを言いかけたユイを見下ろして、ロイドは目を細めると、その額を強く叩いた。 「何のつもりだ」 ユイは額を押さえて顔を歪める。 「気がついてたの?」 ロイドはメガネをかけ直し、冷ややかにユイを見下ろした。 「気がつかないわけがないだろう。オレとキスしたいなら素直にそう言え。ったく、回りくどい」 ユイは頬を赤らめて否定する。 「違うわよ」 「じゃあ、何だ」 ロイドが問いかけると、ユイは常々思っていたという疑問をロイドに打ち明けた。 ユイがクランベールにやって来て、すでに十日が経っていた。ユイはその間、殿下を演じ続けてきたが、ジレット嬢以外には誰にも正体を見破られていない。 それはユイ自身の演技力よりも、容姿がよほど殿下に酷似しているためだと、彼女は思ったらしい。 そしてロイドがユイを抱きしめたりキスをしたりするのは、殿下が好きだからではないかと考えたようだ。 それを確かめるために、一計を案じたらしい。 話を聞いてロイドは、思い切り呆れてユイを見つめた。 「どこから、そういう発想が湧いて出るんだ」 「だって……」 「だってじゃない! オレは男を好きになった事は一度もない。思い切り女好きだ」 ロイドが男の尻を触っているのを目撃したとかいうなら分かるが、実際にそういう事実はないし、普通なら男が男を好きだとは思わないだろう。 相変わらず、突飛な事を考える奴だ。 大きくため息をつくユイの額を叩いて、ロイドは続けて言う。 「第一、オレはおまえを殿下だと思った事もない。たとえ百万人の殿下のクローンの中に、おまえが紛れ込んでいても、オレは見分ける自信がある」 うっかりユイを特別視している事を口走ってしまい、ばれてしまったかと内心焦っていると、ユイは別のところに食いついてきた。 「ねぇ、どうして王子様のクローンを、元々用意してなかったの? クランベールの科学技術ならクローンなんて簡単に作れるでしょ?」 ユイのニブさに少しホッとしつつ、ロイドは二十五年前にクローンが禁止された事と、その経緯をユイに説明した。 今、クランベールに人間のクローンはいない。表向きは。 十八年前、つまり禁止された後に生まれたクローン人間が、実はひとりだけ今も生きている。 当時のロイドはまだ少年だったので、その時の事件に直接関わってはいないが、この事は科学技術局最大の汚点として、今も語り継がれている。 クローンが生きている事は、科学技術局のトップシークレットなので、決して口外することは出来ない。 話のついでに見せた、携帯用パワードスーツを折りたたんでいると、ユイがとぼけた事を訊いてきた。 「で、話を元に戻すけど、王子様が好きなわけじゃないなら、どうして私にキスするの?」 呆れてものも言えない。いちいち聞かなきゃ分からない事じゃないだろう。普通に考えてピンと来そうなものだ。 ロイドは折りたたんだマシンをポケットにしまうと、クルリと背を向けて吐き捨てるように言う。 「おまえの唇がそうさせるんだ」 「はぁ?」 背後でユイの呆れたような声が聞こえた。呆れているのはこっちの方だ。 からかわれたと思ったのか、すぐにユイは怒鳴った。 「どういう意味よ!」 ロイドは背を向けたまま、入口横の工具置き場に向かって歩き始めた。 「そのままの意味だ。おまえの唇はそういう魔性を秘めている」 「……え……」 ユイはそのまま絶句した。 さすがにばれたかと思うと、なんだか急に照れくさくなり、顔が熱くなってきた。 「ユイさんらしー。ちょうどその時にぼくがやって来たわけですね」 ロイドの話を聞き終わって、ローザンが大声で笑った。ロイドは顔をしかめてローザンに言う。 「笑い事じゃないぞ。ゲイの疑いはかけられるし。あいつ少しは気付いたかと思ったら、あの後ケロッとして、さっぱり様子が変わってないし。あれほどニブイとは思わなかった」 ローザンは尚も笑いを堪えながら、面白そうに言う。 「ロイドさんをゲイだと思う女性って、まずいませんよね」 「おまえ、すぐばれるような事を言ってたけど、あれは黙ってたら一生ばれなかったと思うぞ」 「確かにその可能性は高いですね。でも、あの日に気付いたようですよ」 クスクス笑いながらサラリと口を滑らせたローザンに、ロイドは眉をひそめて詰め寄った。 「なんでおまえが、そんな事を知ってる。まさかあいつに余計な事を言ったんじゃないだろうな」 ローザンは途端にうろたえた。 「いやぁ、ヒントを与えただけですよ。今さらどうだっていいじゃないですか」 「やっぱりおまえか」 そう言いながらロイドは、ローザンの額を叩いた。 「オレが陛下のところから帰った時、あいつの様子がおかしいと思ったら」 「まぁまぁ。結果的には分かってもらえて、よかったじゃないですか」 全く悪びれた様子もなく、ニコニコ笑うローザンに苛ついて、ロイドはふてくされて顔を背けた。 「うるさい。用が済んだらさっさと帰れ。オレは忙しいんだ」 「はいはい。また時々、様子を見に来ますね」 ローザンは笑いながら席を立ち、研究室を出て行った。 ローザンがいなくなって、研究室は再び静寂に包まれた。 (そういえば、あの日はいろんな事が一気に起こったな) 忙しいと言っておきながらロイドの頭は、またしてもユイのいた過去の記憶を辿り始めた。 |
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