前へ 目次へ 第3話へ
7.



 夜のテラスでロイドは、苛立つ気持ちを抑えつつ、タバコを吹かしていた。
 本来なら今夜、初めての異世界検索を行う予定だった。ところが装置の対応が間に合わず、中止となったのだ。
 二日前の夜から、ロイドはめまぐるしく働いている。
 まずはローザンの作業環境を整え、装置の高速化のため、取り替える部品をピックアップした。
 各部品は二年前に最新のものに取り替えてある。今でも充分通用する処理性能だが、高速化のためには最新のものに取り替えた方がいい。
 内蔵プログラムも大幅に変更が必要だ。現行のプログラムはメンテナンスの効率化を優先して、わかりやすさに重点を置いている。そのため冗長な部分も多々ある。
 プログラムの変更箇所を洗い出しただけで、真夜中を過ぎていた。
 翌日になって、ピックアップしておいた部品を早速手配した。
 最新の部品は研究室に在庫がない。一番手っ取り早く入手できる、科学技術局の機械工学部門に問い合わせたら、運悪く、要となるメイン制御を司る処理チップが在庫切れだった。
 業者に注文する事になり、入手には半日かかった。想定外の時間のロスだ。
 処理チップの性能を最大限に引き出すには、そのチップを直接制御できる独自の命令を使用するのが望ましい。
 だが、市販されて間もない最新版は、細かい仕様もお役立ち情報もあまり出回っていない。
 知り合いの研究者や、開発元に問い合わせたり、これを拾い集めるのにも時間を費やした。
 実際に装置の改造に着手出来たのは、その日の夕方からで、部品を全て交換するのに、夜中までかかっても終わらず、今日になってプログラムの変更も終わらないまま、タイムリミットを迎えた。
 徹夜でもすれば、間に合ったのかもしれない。けれど、捜索はこれ一回で終わりではない。
 今後の事を考えれば、適当な改造で済ませるわけにはいかないし、不眠不休で頭が働かなければ、ミスを犯して、それだけ余計な時間がかかる。
 身体も頭も疲れているはずなのに、この二日間、深夜に部屋に戻って眠ろうとしても、頭がグルグル働き続けて眠れない。
 ロイドは眠るために、毎夜酒を飲みながらタバコを吸った。
 酒には強いので、かなりの量を飲まないと、眠くなるほどは酔えない。かといって夜中から飲み過ぎると、さすがに翌日に残ってしまう。
 タバコを吸うと、回りが早くなるので、少ない量でも酔えるのだ。
 二日前からユイは、毎日夕食時まで研究室に居残っている。そして昨日も今日も、午後三時にお菓子を作ってくれた。これからも毎日、作ると言っている。
 何も手伝えない事を気に病んでいたので、彼女なりの気遣いなのだろう。
 ユイはローザンが帰った後、茶を淹れてくれる。その時少し話をするだけで、後は黙ったまま窓辺の椅子に座り、ロイドの作業を見つめている。
 ロイドの作業中に、ユイは決して余計な事を話しかけてこない。邪魔をしないようにしているのだろう。
 特に話をしなくても、ユイが近くにいるだけで、なんとなく苛立ちが軽減されているような気がした。
 今日はもう、どうあがいても間に合わない。時間がないのでプログラムの内容そのものは、ほとんど変更していない。ロジックを見直す時間が出来たと思えばいいか。
 次の同期は二日後の午前二時。それまでには少し余裕がある。
 頭を少し休めるために部屋に戻ったロイドは、同期時にいつもより長い間光る遺跡を見ようと、テラスに出てきた。
 しばらくの間、手すりにもたれて、灰皿を片手にタバコを吹かしていると、隣の部屋からユイが出てきた。ユイはロイドに気付くと、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
 ロイドはタバコをもみ消し、ユイに尋ねた。
「おまえも見に来たのか?」
「うん」
 灰皿を自室前の机に置き、ロイドはユイと並んで手すりに縋った。腕時計に目をやると、ちょうど八時。
「始まるぞ」
 そう言って、街の外の遺跡に目を向けた途端、青白い光の柱が天に向かって立ち上った。
 いつもとは比べ物にならないほど、太く明るい光の柱に圧倒される。
 だが今、この時、異世界への通路が開いているのかと思うと、焦燥感に苛まれ、ロイドは恨み言をつぶやいた。
「こんな時でなければ美しい光景なんだろうが、一回無駄にしたかと思うと忌々しい」
 やがて光が収束すると、先ほどの恨み言が気になったのか、ユイはこちらに視線を向けた。ロイドは、おどけたように少し肩をすくめて、天を指差した。
「大陸全土を見渡せる上空から見たら、壮観だろうな。全遺跡が一斉に光る様は」
 ユイは何も言わず、ロイドをじっと見つめる。胸中を見透かされているようで、心が折れそうになり、ロイドはユイにしがみついた。
「何?」
 驚いたように尋ねるユイを、ロイドは更にきつく抱きしめ、絞り出すように言う。
「少し、黙ってろ」
 ユイは言われるままに、黙って身体の力を抜いた。
 貴重な十秒を無駄にした。残りは後、百四十秒しかない。たったそれだけの時間で、本当に殿下を見つける事が出来るのだろうか。そう思うと、不安や焦りが胸の中で渦巻く。
 腕の中にあるユイの温もりが、そんな荒れた心を次第に静めていった。
「おまえを抱いていると、気持ちが落ち着く」
 耳元でつぶやくと、ユイはクスリと笑った。そしてロイドの背中に腕を回し、抱きしめ返した。
「つらいの?」
 いたわるような優しい抱擁と静かな問いかけに、ロイドは腕をほどき、ユイの両肩に手を置いて、その身体をゆっくりと突き放した。このまま縋ってしまうわけにはいかない。
「……大丈夫だ」
 自分に暗示をかけて、少し笑顔を作ってみせる。そしてユイの頭をひと撫でし、背を向けた。
「もう少し高速化のロジックを考えてみる。おまえはもう寝ろ」
 自室に向かって歩き始めると、少ししてユイが名を呼んだ。
「ロイド!」
 振り向いた途端、必死な表情でユイが胸に飛び込んできた。
「一緒に連れて逃げて。王子様が見つからなかったら。私、あなたについて行く」
 また余計な事を言って、ユイを悩ませてしまったらしい。
 一緒に逃げても、幸せになどなれない事くらい、ユイも分かっているはずだ。
 それでも、共に破滅の道を歩む事を選ぶと言うのか。嬉しいはずの言葉が、胸に痛い。
 しがみつくユイをそっと抱きしめ、ロイドは静かに答えた。
「あぁ。だがそれは最後の手段だ。最後まで最善を尽くそう」
「うん」
 ユイは安心したように、笑って頷いた。
 これ以上ユイを悩ませてはいけない。毅然としていなければ。ロイドが弱音を吐けば、ユイは心配して不安になるだろう。
 ロイドはイタズラっぽい笑みを浮かべて、問いかけた。
「じゃあ、殿下が見つかった時は、どんなご褒美を貰えるんだ?」
「え? それは王様から出るんじゃないの?」
 戸惑いがちに答えるユイを、ロイドは不服そうに見つめる。
「おまえからは何もないのか? オレについて来るって事は、人生をオレに預けるって事だろう? 見つからなかった方がご褒美を貰えるってのは、おかしくないか?」
「そう言われても……」
 苦笑して言い淀むユイに、ロイドは大きく頷いた。
「よし。見つかった時は、おまえを頂くとしよう」
「い、頂くって何?」
 途端にユイはうろたえて、腕の中から逃れようとする。ロイドはユイの身体を引き寄せ、耳元で囁いた。
「子供じゃないんだ。わかるだろう?」
「えーと、そう言う意味じゃ、私、子供だから」
 声を上ずらせて、乾いた笑いを漏らすユイを、ロイドは少し目を見開いて見つめた。
「そうなのか? そういえば、キスも初めてだって言ってたな」
「……え……」
 ユイは気まずそうに、言葉を失った。
 強がってウソをついた事が、ばれていないとでも思っていたのだろうか。そんな強がりで照れ屋なところも、今は全てが愛おしい。
 ロイドは笑いながら、改めてユイを抱きしめた。
「まあいい。それはそれで楽しみだ」
「え? 男の人って、初物は引くんじゃないの?」
 誰から聞いたんだか知らないが、男を知らないくせに、そういう余計な知識だけはあるようだ。
 意外そうに見上げるユイに、ロイドはニヤリと笑う。
「オレは気にしない。初物には初物の良さがある。オレ好みにカスタマイズ自在って事だからな」
 そう言うと、ユイは大きくため息をついた。
「機械のように言わないで」
 ロイドはユイを抱き寄せたまま、片手でメガネを外してポケットに収めた。
「とりあえず今は、前金を頂いておくとしよう」
 ユイは再びうろたえて、逃れようと腕を突っ張る。
「そういう前金なら、充分に支払ってるでしょう?」
 抵抗するユイを少し強引に引き寄せ、ロイドは真顔で問いかけた。
「イヤなのか?」
 ユイが照れているだけだという事は分かっている。本気で拒めない事を知りながら、意地悪な質問だ。
 ユイは抵抗を止め、照れくさそうに目を逸らした。
「……訊かないでよ」
 俯いたあごを指先で掴み上向かせると、ユイは少しロイドを見つめた後、観念したように目を閉じた。
 慈しむように、優しく静かに口づける。
 この甘い唇を、後何回味わう事が出来るのだろう。
 少しして唇を離すと、ユイはロイドの胸に顔を伏せて、小さくつぶやいた。
「……好き……」
 ユイの言葉に、舞い上がるような高揚感と、たたき落とされたような衝撃を同時に感じた。
 ロイドは聞こえなかったふりをして、メガネをかけながらユイの顔を覗き込む。
「ん? 何か言ったか?」
 もう一度言われたら、本当に連れ去ってしまうかもしれない。
 だがユイは、俯いたまま小さく首を振った。
「なんでもない」
 歯止めが必要だ。
 ロイドはユイから離れ、耳元で冷たく囁いた。
「オレなんか、好きになるな」
 ユイの反応を待たずに、ロイドは背を向け、真っ直ぐ自室に戻った。
 部屋に入りガラス戸を閉めた時、テラスでユイの叫び声がした。
「この、頑固者……!」
「うるさい……!」
 ロイドは頭を抱えて、その場に座り込む。
 どうして余計な事には鋭いんだろう。ユイはロイドが連れて逃げるつもりのない事を、察したらしい。
 ユイを守りたい。ユイを手放したくない。けれど守るためには手放さなければならない。
 ユイをニッポンに帰すと決めたはずなのに、反する二つの願いの間で、今も心は揺れている。
『連れて逃げて』
『……好き……』
 耳に残る甘い言葉が、嬉しさと共に、心に重くのしかかる。
 ユイを守りたい。ユイを手放したくない。けれどそれ以上に、ユイを不幸にしたくはない。
 たとえ陛下を裏切る事になっても、ユイは必ずニッポンに帰す。
 そして、陛下を裏切る事のないように、やる事はひとつだ。
 残り百四十秒。最後まで諦めない。必ず成し遂げ、笑ってユイを送り出してやる。
 決意を胸に、ロイドは立ち上がり、自室を素通りして、研究室に向かった。



(第2話 完)




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