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4.



 いつものように真夜中過ぎに自室に戻り、風呂に入ったら一杯引っかけて寝ようと考えていると、テラスに面したリビングのガラス戸を叩く音がした。
 テラスからやって来るのはユイに違いないが、時間はすでに深夜一時を回っている。
 不審に思いながらもカーテンを開くと、そこには、はたしてユイが立っていた。
 見当はついていたものの、まさかと思ったので、ロイドは驚いてガラス戸を開けた。
「まだ起きていたのか」
 ユイは思い詰めたような表情でロイドを見つめる。
 そんなわけはないと否定しながらも、ちょっとだけ期待しつつ、ロイドはガラス戸に縋って、少し笑みを浮かべ問いかけた。
「覚悟ができたのか? こんな時間にオレの部屋に来るとは」
 ユイは即座に否定した。
「違うわよ。訊きたい事があるの」
「あぁ、今朝考えると言ってた事か」
「うん」
 やはりそんなわけはなかったようだ。自分が思った以上に落胆しているところをみると、ちょっとどころが、かなり期待していたようだ。
 それはともかく、真夜中にテラスで立ち話というわけにもいかないので、ユイを部屋に招き入れる事にした。
「入るか?」
「え……いいの?」
「ちょっと、散らかってるけどな」
 先ほどの会話から警戒されるかと思ったが、脇によけると、ユイはあっさり部屋に入ってきた。
 なにしろ最近は、風呂と寝るためだけにしか使っていない部屋だ。片付けているヒマなどない。十日ほど前から広げたままの機械部品や工具が、部屋中に散らばっている。
 自分でも酷いと思えるほど散らかった部屋の様子を見て、ユイは呆れたようにつぶやいた。
「……ここ、研究室よりすごいんじゃない?」
 とりあえずユイの通路を確保するため、床に散らばったものを拾い集めながら、ソファまで歩いた。
「むこうは仕事で、こっちは趣味だ」
 ソファの上に無造作に放置されていた設計図をたたんでいると、ユイがロイドの作った通路を通ってソファまでやって来た。
 いつもはひとりの晩酌に、少し付き合ってもらう事にする。
「そこで待ってろ。おまえ、酒は飲めるか?」
「うん。少しなら」
「じゃあ、少し付き合え。机の上の物は端に避けておいてくれ」
 ロイドは白衣を脱いでソファの背もたれに引っかけると、床に散らばった部品類を避けながら、リビングから出て行った。
 ユイがどんな酒を好むのかわからない。甘いお菓子が好きだから、甘い果実酒にしてみた。
 自分の分と共にそれを持ってリビングに戻ると、テーブルの上を片付けたユイがソファに座って待っていた。
 果実酒の入ったグラスを彼女に差し出し、隣に腰掛ける。ユイはグラスの中を覗き、酒を口に含んだ。
「あ、これ、おいしい」
 そう言ってユイは、立て続けにもう一口飲んだ。どうやら甘い酒は気に入ったらしい。
 だが、ジュースのような感覚で飲んでもらっては厄介なので、忠告する。
「アルコール度数は結構あるぞ。一気に飲むなよ」
 ユイは軽く頷いて、ロイドの持つグラスに目を向けた。ロイドが何を飲んでいるのか気になったようだ。
「で? 何が聞きたいんだ? 酔っぱらう前に話しとけよ」
「うん」
 ユイはグラスを机の上に置き、朝考えると言っていた様々な疑問をロイドにぶつけてきた。
 まずは東屋の石段を壊した犯人。
 これは今もって分かっていない。ユイを連れ去ろうとした男にも尋問したが、彼はこの件には全く関与していなかった。
 元々東屋は人気のない場所だ。今後も犯人が判明する可能性は低い。
 次に王宮内で物が消えたり現れたりする現象。
 ユイは王宮外のラフルールの街でも起きているのか尋ねた。ロイド自身は聞いた事がない。
 このところ王宮内に引きこもっている、ロイドの耳に届いていないだけかもしれないが、噂話になるほどの騒ぎは起こっていないようだ。
 街から通っているローザンやパルメに、訊いてみる事を進言した。
 そして遺跡について。
 ユイはよほど遺跡に興味があるようだ。謎の機械装置にカウンタが付いているのか訊かれた。
 そんなものは付いていない。カウンタどころか、操作パネルも何もないので、起動や停止の仕方も分からないのだ。
 ユイは遺跡の活動期が早まったのが、腑に落ちないらしい。過去にも周期が狂った事があるのか尋ねた。それはロイドも気になったので、ブラーヌに尋ねたところ、一度もないという。
 前回の活動期はロイドが拾われた二十七年前なので、今回は三年早まった事になる。
 そんな事を考えていると、ユイが突然、思い出したように問いかけた。
「二十七年前って確か、あなたが遺跡で拾われた時じゃなかったっけ?」
「あぁ」
 ユイも気付いたらしい。
「もしかしてあなた、どこか異世界から来たんじゃないの?!」
 興奮して尋ねるユイに、ロイドは平然と答える。
「そうかもしれないって、この間ブラーヌが言ってたな」
「なんで、そんな平然としてるのよ」
「元の世界も親も記憶にないんだ。どうだっていい」
 ユイがなぜ興奮しているのか、ロイドには分からなかった。
 ユイは本当の親が心配して捜しているだろうと言うが、普通なら二十七年も前にいなくなった年端もいかない子供が、今も無事で生きているとは思えない。
 だがユイが言うには、親なら自分の子供をいつまでも心配しているものらしい。
 ロイドは親と暮らした事がないので、親の心情は分からない。
 ユイはブラーヌをロイドの親だと思っているようだが、ロイド自身は物心ついた頃から、ブラーヌを親だとは認識していない。
 本人からも何度か「オレはおまえの親じゃない」と言われてきたからかもしれない。
 子供の頃、時間を忘れて日が暮れるまで、外で遊んだ事がある。家に帰ったら、珍しく家にいたブラーヌが、素知らぬ顔で石版の古代文字に熱中していた。
 一緒に遊んだ子は心配した親に怒られたと聞いたが、ブラーヌは怒ったり、たしなめたりしなかった。いつもと変わりなく、ロイドの作った遅めの夕食を食べ、再び自分の世界に没頭した。
 冷たく扱われた事はないが、甘えた記憶もない。
 生きていく上で必要なものは与えてもらったし、拾ってくれた事には感謝している。
 だがやはり普通の親子関係とは、かけ離れていると思う。
「あんな変わり者に幼児期を育てられて、よくも真っ直ぐに育ったものだと自分でも感心する」
 ロイドがそう言うと、ユイは苦笑して絶句した。
「案外、オレもニッポンから来たのかもな」
 知らない世界の知らない国ニッポンも、ユイが生まれ育った場所だと思えば、不思議と親近感が湧く。ロイドが楽しそうに問いかけると、ユイは軽くため息をついた。
「それはないと思うわ。あなたはどう見たってニッポン人じゃないもの」
 そして自分の髪をつまんで見せ、ニッポン人は目と髪が黒いのだと教えてくれた。
 金髪で緑の瞳のロイドは、ニッポン人ではあり得ないらしい。
 国によって目や髪の色が決まっているとは、ユイのいる世界は変わったところのようだ。
 ユイはひと息つくと、最後の質問をぶつけてきた。
「じゃあ、これで最後。私がクランベールに来た日に、世界規模の気候変動や天変地異があった?」
「ない」
 ロイドの答を聞いて、ユイはニヤニヤと笑い始めた。そして机の上のグラスを取り、果実酒をグビグビとあおった。
 ロイドは慌てて、そのグラスを取り上げる。
「おい、一気に飲むなと言っただろう。何か分かったのか?」
 ロイドの問いかけに、ユイは得意げな表情でこちらを見据えた。
「結論から言うわ。王宮にもう一つ遺跡があるのよ」
「はぁ?」
 ロイドは面食らって目を見開いた。




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