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8.



 廊下をせわしげに近付く音が聞こえ、殿下の部屋の扉がノックされた。
 ユイが応対に出ると、ラクロット氏が心配そうな表情で顔を覗かせた。騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。
 ラクロット氏の声を聞いて、浴室から殿下が顔を出した。
「あ、ラクロット。ちょうどよかった。髪を乾かすのを手伝ってよ」
「え……殿下……」
 ラクロット氏は目を丸くして、殿下とユイを交互に見つめる。ロイドはラクロット氏に殿下の身支度を頼んで、ユイと共にリビングに向かった。
 二人で並んでソファに座ると、ユイが眉間にしわを寄せ、苛々しながら問いかけた。
「いったい、どういう事?」
「おまえの読みが当たってたって事だろう。詳しい事は、これから伺うとしよう」
 ユイはむくれた表情で押し黙った。
 ロイド自身も、なんとなく胸がモヤモヤしていた。
 殿下が無事に見つかった事は喜ばしいが、あの様子では誰かに拘束されていたというわけではなさそうだ。
 何か、身を隠さなければならないような事情でもあったのだろうか。それなら、もっと早く陛下から何かしらの説明があってもいいはずだ。
 もちろん、ロイドにそれを知らせなければならない義理は、王室にはないのだが……。
 少しして身なりを整えた殿下が、ラクロット氏を従えてリビングに入ってきた。
 ロイドが席を立つと、ユイも続いて席を立つ。
 殿下は立ち止まり、ロイドに向かって笑顔を見せた。
「待たせたね。何から話そうか」
 すると突然、ユイがつかつかと殿下に歩み寄り、その頬を思い切り叩いた。
「なに笑ってんのよ!」
「ユイ!」
 ロイドは慌てて、後ろからユイを抱きかかえ、後退させた。
 殿下は頬を押さえ、目を見開いたまま、黙ってユイを見つめている。ユイはロイドの制止も気にせず言葉を続けた。
「みんながどれだけ心配したか、わかってんの? あなたの事、あんなに溺愛している王様を心配させて、少しは反省しなさいよ! この、バカ王子!」
「やめろ、ユイ!」
 殿下の様子に苛ついているのは見て分かったが、まさかこんな暴挙に出るとは思わなかった。
 こんな予想外はいらない。これ以上暴言を吐かれては困る。
 尚も詰め寄ろうとするユイを、ロイドは視界を遮るように前に回って押し止めた。そして、顔だけ振り向いて殿下に頭を下げる。
「申し訳ありません、殿下。こいつは異世界の人間で、この世界の流儀をわきまえておりません。代わりに私がどのようなお咎めもお受けいたしますので、こいつのご無礼はどうかお許しください」
 ロイドが穏便に収めようとしているのに、ユイはまだ興奮したまま、今度はロイドに抗議する。
「何言ってんのよ! どう考えたって、悪いのはこの子じゃない。あなただって……」
「いいから、おまえは黙ってろ!」
 怒鳴りながらロイドは、ユイの両肩を掴んで強く揺すった。その迫力に気圧されて、さすがにユイも押し黙る。
 少しの間、部屋が静まりかえった。
 ロイドは少しホッとして振り返り、改めて殿下に頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、殿下」
 すると殿下はクスクス笑いながら、ロイドの肩を軽く叩いた。
「いいよ、ロイド。顔を上げて。ロイドを罰したりはしないよ。もちろん、ユイもね。だって、ユイの言う通り、悪いのは僕だもの。心配かけて、ごめんね」
「寛大なご処置、痛み入ります」
 ロイドはそう言うと、顔を上げた。殿下はロイドの顔を見て、益々おもしろそうにクスクス笑う。
「それにしても、話には聞いていたけど、ロイドって相当ユイの事が気に入ってるんだね。こんなに取り乱したの、初めて見たよ」
 確かに我ながら冷静さを欠いていた。思いも寄らないユイの言動に、アドレナリンが一ヶ月分くらい一気に放出されたような気がする。
 少しバツが悪くて振り向くと、ユイはまだ眉をひそめて殿下を睨んでいた。
 少しくらいは反省しろ。
 いくら正論でも、相手は王族だ。言っていい事、やっていい事には限度がある。それを踏み越えるには、それなりの覚悟が必要だという事を、ユイは分かっていない。
 ロイドは無言でユイを睨んだ。ユイもロイドの意図するところを察したらしく、殿下を見据えて口を開いた。
「レフォール殿下、叩いた事は謝るわ。あと、暴言を吐いた事も。だけど、私は間違った事を言ったとは思ってないから」
「おまえは!」
 誰がそんな余計な事を付け加えろと言った!
 再び脳がアドレナリンで溺れそうになり、ロイドがユイに詰め寄ろうとすると、殿下が腕を掴んだ。
「いいって」
 そして殿下は、笑ってユイに告げた。
「ユイ、安心していいよ。父上には心配かけてないから。父上は全部知ってる。ね、ラクロット」
「は……はぁ……」
 突然、話を振られて、ラクロット氏はしどろもどろに返事をする。
 陛下は全てを知っていて、ラクロット氏もそれを知っている――?
 最初に血相を変えて、ロイドの元に飛び込んできたのはラクロット氏だ。あれが演技だったというのか?
「ラクロットさんも最初から知ってたんですか?」
 ロイドが厳しい口調で問い詰めると、ラクロット氏は気まずそうに見つめながら、ユイが東屋でケガをした後、陛下から告げられた事を教えてくれた。
 ラクロット氏は事後承諾させられたという事らしい。
「立ち話もなんだから、みんな座って話そうよ」
 殿下に促され、全員でソファに移動する。皆が注目すると、殿下は順を追って、真相を話し始めた。
 ユイがクランベールにやって来た一週間前、殿下はユイの推理通り、東屋の石段を踏み抜き、偶然地下遺跡を発見した。
 石段を元に戻して、霊廟の入口から出入りし、殿下は何度か探検に行ったらしい。
 そして失踪したあの日、陛下との会見の約束を忘れ、少し遺跡に長居をしている隙に、騒ぎになっていた。
 殿下は陛下からロイドのマシンで捜索を行う事を聞き、イタズラ心から身を隠して、陛下に口止めしたという。
 再び地下に潜った殿下は、うっかり遺跡の装置に触れ、全遺跡が活動期に入ってしまったのだ。
 ちょうどその時、ロイドのマシンが作動し、ユイが現れた。地下遺跡の装置は、ロイドの研究室の真下に位置する。
 なぜすぐに姿を見せなかったのかとユイが尋ねると、殿下はからかうような視線をロイドに向けた。
「僕は、すぐに出て行こうと思ったんだけどね。父上がユイを気に入っちゃって、どうしてもロイドのお嫁さんにしたかったみたいで、もう少し二人が仲良くなるまで見守りたいって言うから……」
 ロイドは視線を外して天井を見上げた。
 確かに陛下には最初から、自分がユイに興味を持っている事を見抜かれていた。図らずも陛下の思うつぼにはまったという事か。
 殿下はずっと遺跡に隠れていたわけではなく、ラクロット氏からロイドとユイの動きを聞き、陛下の部屋に寝泊まりして、陛下の食事を分けてもらいながら、普通に生活していたらしい。
 幽霊騒ぎも厨房の料理消失も、殿下の仕業だったという。
 殿下はロイドを見つめて、クスクス笑い始めた。
「僕ね、何度も見つかったって思ったんだけど、ロイドったら、いつもは冷静で頭が切れるのに、ユイが絡むと、おもしろいほど判断力が鈍るんだよ。ユイが東屋の石段を壊したとき、後でロイドが調べに来たって言うから、てっきり遺跡が見つかって、僕が隠れていた事がばれるだろうと思ったのに、なんだか陰謀説になっちゃったし。ユイが攫われそうになった後は、僕が異世界に飛ばされた事になって、びっくりしちゃった」
 言われてみれば、どれも全くの見当違いで間抜けだ。
 ロイドはきまりが悪くなり、黙って目を伏せた。すると横から、ユイが殿下を非難した。
「笑わないでよ。ロイドは本当にあなたの事を心配して、悩んでたんだから」
「言うな、ユイ」
 殿下の身を案じていたのは事実だ。だがそれ以上に、ユイの行く末を案じていた。
 そして、つい先ほどまで、明日殿下が見つからなければ、陛下を裏切るつもりでいた。
 陛下の勅命よりも私情を優先して、ユイを守ろうとしていたのだ。
 結果的にこうして殿下の無事は確認され、陛下を裏切る事もなくなったが、何度も殿下の詫びの言葉を聞くのは、なんとなく後ろめたい。
 それにしても、これまで上手く隠れていた殿下が、なぜこんなにあっさり見つかるような事をしたのだろう。
 それはユイも不思議に思ったらしく、彼女が尋ねると、殿下は照れ笑いと共に教えてくれた。
「うっかり間違えちゃったんだ。最近、遺跡には行けないし、ロイドが遺跡と研究室を行き来してて、あんまりうろつけないし。退屈だから読みかけの本を取りに来たんだ。それで、どうせユイは真夜中まで帰って来ないと思って、お風呂も済ませようと思ったら見つかっちゃった。ラクロットにさっき聞いたけど、真夜中は明日だったんだね」
 話が終わると殿下は、今夜から部屋に戻るからと、全員を部屋から退去させた。
 ユイはロイドの部屋に行くように命じられ、抵抗を試みたが却下された。
 廊下でラクロット氏が、長い間偽っていた事を詫びた。彼にも立場がある。非難する事はできない。
 ラクロット氏が立ち去った後、ロイドはユイをチラリと見て、
「来い」
と促し、隣の自室へ向かった。
 ユイとひとつ部屋で寝起きを共にするのは、素直に嬉しいと思う。殿下が見つかったら、という歯止めもなくなった。
 だが一番大きな目標を失い、それも思いも寄らない顛末で、頭はまだ混乱している。
 正直、そんな気分にはなれなかった。
 自室の扉を開けようとして、ふと見ると、ユイが全く動いていない事に気付いた。
(今日のところは、おあずけだな)
 ユイが意識して緊張しているのを悟り、ロイドは少し笑って静かに言う。
「身構えるな。オレが見つけたわけじゃないんだ。何もしない」
「……うん」
 ユイは答えて歩き始めた。
 そうは言ったものの”絶対”という自信はない。なにしろユイは、無自覚で煽る卑怯な奴だ。
 なので、一言付け加えた。
「多分……」
「多分?」
 ユイはピタリと歩を止め、探るようにロイドを見つめる。
 そういえば騒動に紛れて、今日のノルマを果たしていなかった。そのくらいは許してもらいたい。
「キスはノルマだからな。この限りではない」
 ユイはクスリと笑い、ロイドに駆け寄ってきた。そして、二人一緒にロイドの部屋に入った。




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