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8. サイバー攻撃。話には聞いたことがあるが、どんなものだか真純にはピンと来ない。 何をやるのか尋ねると、シンヤは笑いながら答えた。 「時々ニュースで話題になってるでしょ。地震や事故があった時、アクセスが集中してケータイが通じなくなるやつ。あれをわざと起こすんだよ」 アクセスが集中して一度に大量のデータ処理を要求されると、コンピュータの処理が追いつかなくなり、システムはダウンする。 シンヤはバックドアを仕込んだ約五百台のマシンを利用して、同時に大量のデータを送りつけシステムダウンを目論んでいるらしい。 確認済みのマシンには、すでに時限爆弾を仕込み済みだという。 「でもハルコってものすごい化け物コンピュータでしょ? 通用するの?」 「ターゲットはハルコじゃない。ハモスだ」 ハモスはハルコのネットワーク管理と監視を司るコンピュータの通称らしい。ハルコへのアクセスはハモスを経由しないと行えない。つまり、ハルコもハモスを経由しないと外部へのアクセスはできないのだ。 ハモスがダウンすれば、ハルコは孤立する。そうなれば、今はハルコに掌握されている社内ネットワークもビルの電源もフリーになるので、ハルコを停止させることが可能だ。 いい作戦のように思えるが、真純には引っかかることがあった。 「ハモスって外部からの命令を受け付けなくなってるんじゃなかったっけ? どうやってデータを受け取ってもらうの?」 眉をひそめる真純に、シンヤはイタズラっぽく笑いながら事も無げに言う。 「それは表玄関の事。裏口は開いてるよ」 「へ? いつの間に?」 「僕、ハルコに侵入した事あるじゃん」 そういえば、シンヤがここに転がり込んできた翌日、真純のマシンを利用してハルコに侵入していた。ちゃっかり置き土産をしていたわけだ。 真純はため息と共に尋ねる。 「おまえ、昔は攻撃とかもしてたの?」 「してないよ。僕はこっそり侵入して、欲しいものをこっそり頂いて、こっそり出て行くの専門だったから」 「やった事ないのに大丈夫なの?」 「大丈夫だよ。イタズラではした事あるから」 「……商売でやった事はないって事ね」 なんだか何もかも無用な心配のような気がしてきた。すっかり脱力した真純は、当初の目的を果たすことにした。 「お風呂わいてるけど、先に入る?」 シンヤは嬉しそうに笑いながら抱きついてきた。 「真純さんと一緒ならすぐ入る」 「一緒なわけないでしょ」 「なんで? 今さら照れなくてもいいのに。ここのお風呂広いし、一緒に済ませた方が効率的でしょ?」 確かに瑞希の好みで風呂はやたらと広いし、効率的だとは思う。だがそういう問題ではない。 「最もらしいこと言ってもダメ。下心丸見えだよ」 「ちぇーっ。真純さんと洗いっこしたかったのにな」 シンヤは不服そうに口をとがらせて真純から離れた。 やはり企んでいたのか。これから大仕事が待っているというのに、緊張感がなさ過ぎる。むしろ楽しんでいるようにすら感じる。 まだ準備が残っているので、先にそれを済ませるとシンヤが言うので、真純は風呂へ向かった。 風呂を済ませて再び二階に上がると、シンヤの部屋から話し声が聞こえてきた。ノックをして扉を開くと、シンヤは携帯電話で話ながらこちらを向いた。 「……今夜一時、ハモスにDDOSアタックを決行します。その後でいいですか?……はい。ちょっと待ってください。真純さん来たので代わります」 どうやら相手は瑞希のようだ。シンヤが「課長から」と言って渡してくれた電話を受け取り耳に当てる。 「お疲れ。まだ会社にいるの?」 『えぇ。ハルコに動きがあったらまずいし。ダッシュの事も調べなきゃならないし。明日は全社臨時休業になったから、二階のカフェも休みにしてもらったし、あんたも来なくていいわよ』 「え? なんで休みなの?」 『ハルコに何かされたらやばいから。大規模なシステム障害って事にしたわ。取引先にも通達済み』 「それってニュースになるんじゃ……」 『なるでしょうね。ダッシュがほくそ笑んでるのが今から目に浮かぶわ。ムカつくったら』 吐き捨てるように毒づいた後、瑞希の声は暗く沈んだ。 『本当はハルコを壊してしまうのが一番手っ取り早いってわかってるの。だけどあの子は、私が開発して何年もかけて思考エンジンを育てて、ようやく仕事を任せられるほど成長したのに……。最後まで諦めたくないの。あと二日だけ、わがまま言わせて。それでもダメだったら、ちゃんと決断するから』 これまでハルコにかかった莫大な費用を考えると、壊してしまうのは会社にとって大きな損失になる。その上ハルコは瑞希にとって我が子のようなものなのだ。決断が下せないのも頷ける。 「私に何かできる事ある?」 『シンヤくんを信じて支えてあげて。あんたにしかできない事よ。勝手な言い草だけど、私には彼が最後の希望なの。私も頑張るから』 「うん。頑張ってね」 電話を切って返すと、シンヤはおもむろに真純を抱きしめた。 「お風呂上がりの真純さんっていい匂い。ほっぺもぷにぷにで気持ちいい」 嬉しそうに頬ずりするシンヤの頭を、真純は片手で押しやった。 「おまえのほっぺは無精ひげで痛いよ。さっさとお風呂に入りなさい。一時から始めるんでしょ?」 「はーい」 軽い調子で返事をしながら、シンヤは真純から離れた。 時間が経つにつれて、シンヤの犬っぽさが増しているような気がする。瑞希にとって最後の希望がこんな調子で大丈夫だろうかと心配になってきた。 「おまえ緊張感なさ過ぎ。どうしてそんなに余裕なの?」 「滅茶苦茶緊張してるよ。真純に縋っていないと、ひとりで立っていられないくらいに。余裕なんて全然ないよ」 淡く微笑むシンヤが儚げに見える。ふざけているように見えたのは、緊張と不安を紛らわせるため、加護を求めて人に甘える子犬になっていたからだ。 「ごめん。私にできる事ある?」 何もできない事はわかっている。けれど何かしたいと思う。 俯く真純の頬にシンヤはそっと手を触れた。 「側にいて見張ってて。オレが逃げ出してしまわないように。そして、うまくいくように祈ってて」 瑞希と同じ事を言う。真純は笑って頷いた。 「うん。わかった」 シンヤが風呂に入っている間に、真純は自分の部屋から椅子とブランケットを持ってきた。 シンヤの椅子の横に座り、ブランケットをひざに掛けてしばらく待つ。だが椅子が高すぎるため、宙に浮いた裸足の足がしだいに冷たくなってきた。 両足を椅子の上に上げブランケットごとひざを抱えていると、シンヤが戻ってきた。 椅子の上で丸くなっている真純を見てシンヤは吹き出す。 「ホント、猫みたい」 「おまえは、まんま犬みたいだよ」 シンヤは笑いながら真純の隣に座り、二台のパソコンにそれぞれツールを立ち上げた。 そしてなにやら設定を入力していく。真純が不思議そうに見ていたからか、シンヤが説明してくれた。 「こっちがハモスのCPU使用率のモニタで、そっちがアタックを仕掛けるマシンの状態表示。真純さんはそっちの画面を見てて。赤い文字が出たら教えてね」 「うん」 シンヤ曰く、あとは見守るしかする事はないらしい。 やがて一時になり、シンヤが二つのツールを同時に起動した。真純の見つめる画面には、めまぐるしく数字が表示され始める。 ハルコとの戦いの火蓋が、静かに切って落とされた。 |
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