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第14話 神職の来訪




 帰り支度を整えた海棠が、オレの席までわざわざやって来て挨拶をした。いつもは自席のそばで声をかけるのに何事かと彼女を見上げる。
 海棠は少し遠慮がちに口を開いた。
「あの、本郷さん。今少し、時間ありますか?」
「あぁ。なんだ?」
「ちょっと下まで一緒に降りてもらえませんか? すぐすみますので」
「あぁ」
 オレは理由もわからないまま席を立って、彼女と一緒にビルの一階まで降りる。出入り口の自動ドアを抜けると、その脇には赤毛のあいつが立っていた。
 いや、今日は髪も目も黒い。服装も燕尾服ではなく、ジーンズにスニーカー、白い綿シャツの上に黒いダウンジャケットという、かなりラフな格好をしている。
 海棠に促されて一歩前に出た男は、オレに頭を下げた。
「頼子の従兄で赤井坐九郎と申します。先日はあなたに不作法なマネをして申し訳ありませんでした。二度とあなたを傷つけるようなことはいたしません。平にご容赦ください」
 あまりにも丁寧で古くさい物言いに面食らいつつ、いまひとつ状況が飲み込めず、オレは惚けたように男を見つめる。
 その横で海棠も一緒に頭を下げた。
「本郷さん、本当にごめんなさい。私の知らない間にザクロが迷惑かけたみたいで」
 あぁ、アレを海棠が知ったのか。
 あれ以来、オレは海棠からは少し距離を置いていたからか、この男は何も手出ししなかった。気にはなっていたが、海棠の様子も変わらなかったので、当時ほど激しく不安には思っていない。
 二人のつむじを見下ろしながら、オレは苦笑をこぼした。
「いや、こうやって謝りに来てくれたんだから、もういいよ」
「ありがとうございます」
 さらに深々と頭を下げたあと、海棠は顔を上げてオレを上目遣いに窺う。
「ついでに、ひとつお願いがあるんですが……」
「なんだ?」
「ザクロが変な力を使うこと、内緒にしてて欲しいんです。えーと、それで子供の頃いじめられてたので……」
「あぁ、そういうことか。誰にも言うつもりはないよ」
 言ったところで、誰も信じないだろう。オレの精神状態の方が疑われるだけだ。
「ありがとうございます。じゃあ、私たちはこれで失礼します。わざわざありがとうございました」
 ホッとしたようにもう一度礼を言って、海棠と赤毛の男は帰って行った。
 海棠の話が本当だとすると、あいつは一応人間だということか。妙な超能力を持ってるみたいだが。
 人だとわかった途端、当初の不安が頭をもたげる。海棠はあいつのことをどう思っているんだろう。
 親しげに会話しながら遠ざかっていく二人の後ろ姿を眺めなつつ、ふと思った。
 従兄同士って結婚できるんだよな。



 本郷さんに謝罪をすませて、私はザクロと一緒に家路をたどった。今日は買い物に行くので、ザクロにはこのまま姿を見せておいてもらう。買い物荷物を持ってもらわなきゃ。
 みんなに姿が見えるようにすると、生気を多く必要とすると聞いたが、私の体調には別に異変はない。この間も疲れたりとかしてないし。
 心配性のザクロが、気を遣いすぎてるのかもしれない。
 姿を見せているザクロは色々と慣れないことをしなければならない。電車に乗るのも大仕事なのだ。
 自動改札がどうも苦手らしい。切符が吸い込まれていくのを見てビクビクしている姿がなんだかかわいい。
 電車を降りて近所のスーパーに着くと、いつもは私が押すカートをザクロが転がしてくれた。一緒に色々と食材や日用品をカートに入れて、レジへ向かう。
 するとレジの向こうから声をかけられた。
「頼子」
「え、清司?」
 サッカー台の前で清司が手を振っていた。
 私は支払いを済ませてサッカー台へ向かう。後ろから買い物かごを持ったザクロがついてきた。
「どうしたの? また親戚の手伝い?」
「うん、まぁ、そんなとこ」
 そう言う割に、今日は着物を着ていない。ジーンズとトレーナーの上にダウンジャケットを羽織っている。
 清司が後ろにいるザクロに目を移した。ザクロは私の横に移動して軽く会釈する。
「お久しぶりです」
「あぁ。こんばんは」
 普通に挨拶したあと、清司は大きくため息をつきながら片手で顔を覆った。
「ったく。ちょっと見ない間にずいぶん人間くさくなっちまってるじゃねーか」
「あはっ」
 私は苦笑に顔をひきつらせる。
 やっぱ、依存しまくってるのがバレバレかしら?
「頼子、ちょっと来い」
 そう言って清司は私の腕を引っ張りながらズンズンと歩いて行く。
「え? あ、ちょっと」
 私は振り返ってザクロを見た。坂井くんの時みたいに怒るのかと思ったが、ザクロは無表情でこちらを見ている。昨日叱られたから過剰反応するのを控えてるのだろうか。
「ザクロ、ちょっとごめん。すぐ戻るからそこで待ってて」
「はい」
 返事をしてザクロは、買い物荷物を袋に詰め始めた。以前は激しく警戒していたのに、あまりに素直な反応に拍子抜けする。
 そして私は清司に引きずられるようにして店の外へ連れ出された。
 外に出た途端、清司は私の腕を放していきなり怒鳴りつけた。
「どういうつもりだよ、ひとの忠告無視しやがって! 実体化しちまってるじゃねーか。依存しすぎるなって言っただろう!」
 いい加減で適当でいつもはテンション低い清司が、こんなに怒ってるのは初めて見た。少したじろぎながら、私は言い訳をする。
「いつもは見えなくなってるのよ。今日はちょっと事情があって実体化してるだけで……」
「元々はできなかったのに、実体化するようになったんだろう?」
「あ、うん」
 元々できなかったかどうかはわからないけど、言われてみればその通りだ。
「あいつは宿主に依存させて力を得るって言っただろう。おまえの依存度が高まれば、あいつ自身の力が増大するんだ」
「それって何かまずいの? 力が増したら余分に生気を取られるとか?」
「いや、ターボかかってるみたいなもんだから、少ない生気で力を発揮できる」
「じゃあ、その方がいいじゃない」
 私が笑って話を終わらせようとすると、清司は真顔で付け加えた。
「絆が強固になって固定しちまったら、おまえの言うこと聞かなくなるぞ。その時になっておまえが愛想尽かしたくらいじゃ、あいつの力はなくならない。あいつが人に害をなす存在になっても、おまえには止められないってことだ。あいつは妖怪だ。人とは考え方や価値観が違う。今のうちに距離を置け。でないと……」
「ザクロは違う!」
 清司の言葉を遮って、私は叫んでいた。これ以上聞いていられない。
「ザクロは絶対人を傷つけないって私と約束したもの!」
「それでも距離を置け! おまえあいつと一生添い遂げるつもりか!?」
「そのつもりよ! ザクロのいない生活なんて、もう考えられないもの」
 清司は驚愕に目を見開いて、一瞬絶句する。そしておずおずと問いかけてきた。
「頼子、おまえまさか……」
「私、ザクロが好きなの」
「あいつは妖怪だぞ!」
「それでも、ザクロが私の望む姿を演じてるだけだとしても、ずっと一緒にいられるだけで幸せだって思えるほど好きなの!」
 言っちゃった。でも本当のことだもの。
 清司が心配してくれているのはわかるし、ありがたいと思う。けれどザクロがいないのに、私が幸せになれるとは思えない。
 清司はあきらめたように目を伏せて、大きくため息をついた。
「わかった。おまえがそれでいいなら、もう何も言わない。だが、あいつのことで何か困ったことになったら連絡してくれ。いつでも力になる」
 背を向けて立ち去ろうとする清司に私は声をかける。
「あの、清司って私とザクロの絆を断ち切ることができるの?」
 以前ザクロが心配していた。霊感があるのは知っていたけど、そんな技まで持ってるのかは知らない。
 清司はいつものようにのんびりと気怠げに答えた。
「んー。あいつがおまえに制御できないほど強力になってからだと、どうかわからないけどな。なにしろオレ、未熟者だって毎日罵られてるくらいだし。ま、その時は善処する」
 そう言って清司は、ヒラヒラと手を振りながら駐車場の方に歩いていった。
 強力になったらどうかわからないってことは、今ならできるってことなんだ。知らなかったけど、なんかすごい。ザクロの読みは当たっていたということらしい。
 でも清司は私の意思を蔑ろにしてまで、ザクロと引き離そうとはしないらしい。絶対にそんなことはないと信じているけど、もしもザクロが暴走した時には、清司が大変な目に遭うというのに。
 面倒くさがりのくせに、昔から友達のためには労力を惜しまない。蒼太もそんなこと言ってたっけ。
 約束通りザクロを清司から守りきったことに、私はちょっと得意になって意気揚々とザクロを待たせてある場所へ戻った。
 ところが、ザクロが荷物を袋詰めしていたサッカー台には子連れの主婦がいて荷物を詰めている。周りを見渡したが、ザクロの姿がない。
「ザクロ?」
 姿を消しているのかと呼んでみたが返事がない。何か買い忘れたものを探しに行ったのかもしれない。私は売場の方を探しに行った。
 売場をぐるりと一周してみたがザクロの姿はどこにもない。ふと言いようのない不安にとらわれた。
 もしかして清司に連れて行かれたの?
 さっきまで一緒にいた清司にそんなことができるわけもないのに、そんな考えが脳裏をかすめる。
 私は居ても立ってもいられず、出入り口から外に駆け出した。
 宵闇に包まれたスーパーの前にある駐車場には、ポツポツと車が止まっていて、何人か人はいるものの清司もザクロもいない。
 私は大声でザクロを呼んだ。
「ザクローッ!」
「はい」
 突然後ろから返事が聞こえて、私は文字通り飛び上がって振り向く。買い物袋を下げたザクロが、不思議そうに私を見つめていた。
 一気に気の抜けた私は、思わずザクロにすがりついて抱きしめる。
「ザクロ。よかった。いなくなったのかと思った」
「申し訳ありません」
 ザクロは私がなかなか帰ってこないので、外に様子を見に出たらしい。ところが姿が見あたらなくてもうひとつの出入り口から中に戻ったところ、私が外にいるのを見てまた出てきたという。
 ホッとしてザクロにしがみついたまま、その存在を確かめる。少ししてザクロがためらいがちに話しかけてきた。
「あの、頼子。注目を浴びているようなんですが」
 ハッとして辺りを見回すと、スーパーに出入りする買い物客が、チラチラとこちらを窺いながら通り過ぎている。そういえば、ここはスーパーの真ん前だった。
 私は慌てて体を離し、ザクロを促した。
「帰ろう。お腹空いちゃった」
「はい。すぐに食事をご用意します」
 にっこりと微笑むザクロの腕を引いて、私はそそくさとスーパーをあとにした。




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