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第17話 本当のザクロ |
ここは確か、清司んちの神社? 私が鳥居を見上げて佇んでいる隙に、ザクロは鳥居をくぐって境内に入っていた。私を振り返り手招きする。 「頼子、こちらへ」 「どうしてここに降りたの?」 駆け寄りながら尋ねる私に、ザクロは穏やかに微笑んだだけで、そのまま先を歩いていく。 いつもは後ろに従っているザクロが、先を歩いているのも奇妙だ。 もしかして、清司が言ってたように言うこときかなくなっちゃったの? さっきのキスも私の意思は無視されていたし。 不安に思いながらも、ザクロについて境内を黙々と進む。拝殿が見えてきたとき、その前に清司がいるのがわかった。 最初にスーパーで会ったときと同じように、白い着物に水色の袴をはいて、袖にはたすきを掛けている。 手には水の入ったペットボトルを握り、足元にも同じものがもう一本置かれていた。 清司の傍らには、白い着物に緋袴の少女が控えている。スーパーで見た少女だ。まだ未成年だという清司の奥さんだろうか。 艶のある長い黒髪をひとつに束ねて背中に垂らし、根元に白い紙を結んでいる。黒目がちの大きな目にあどけなさは残っているものの、凛とした和風美少女だ。 約束もなく突然訪れたというのに、私たちの姿を見ても清司は特に驚いたような様子がない。まるで来ることがわかっていたかのように平然と声を掛ける。 「ザクロ、こっちへ来い」 私は無視してザクロ? 途端に胸がざわつく。清司は私の意思を尊重してくれるんじゃなかったの? 咄嗟に先を行くザクロに視線を向けると、彼は振り向いて私に告げた。 「頼子、そこでお待ちください」 そう言ってザクロはそのまま先へ行く。私は言われた通りに立ち止まった。 清司とザクロは互いに何が始まるのかわかっているようだ。私だけなんだかわからず、辺りをゆっくりと見回した。 ふとザクロの向かう先の地面に、水をまいたような跡があるのに気づく。水の軌跡は直径三メートルくらいの円を描いていた。そして清司の正面に当たる部分だけ線が繋がっていない。 ザクロが円の中に入ったとき、清司が動いた。手にしたペットボトルの水を地面にまいて、途切れていた円を繋ぐ。その直後、地面に描かれた円が目映い光を発した。 内側にザクロを閉じこめて、円から発した光は薄い膜のような壁を天に向かって立ち上らせる。 私は慌てて、光の壁に駆け寄った。触れている感覚はないのに、壁に阻まれて手指の先すら内側に入ることができない。 「ちょっ、清司、なにこれ」 「あぁ、結界張った。普通は結界も結界の内部にも干渉できなくなるんだが、おまえはそいつと繋がってるから見えるみたいだな」 えーと。そんな当たり前のように淡々と説明されてもついていけないんだけど。やっぱり清司ってそっち系の人なの? そして私はいわゆる超常現象を体験しているってことでいいんだろうか。 いやまぁ、妖怪と普通に暮らしている時点で、十分超常現象なわけなんだけど。 それより清司がそっち系の能力で何をしようとしているのかの方が、ものすごく不安でたまらない。 「結界って、いったい何するの?」 「うちの神様がそいつにお願いされたんだ。オレはその願いを成就させるために使役されてるだけ」 いつの間に神頼みなんかしたんだろう。そして何をお願いしたの? 私は問い質すようにザクロに視線を送る。ザクロは清司に背を向けて、穏やかな笑みを浮かべながら私と視線を合わせた。 「頼子、お別れです。短い間でしたが、お世話になりました」 胸の奥に渦巻いていた嫌な予感が的中する。ザクロを失う不安が衝撃となって胸を貫いた。 ザクロにはそれが伝わっているはず。けれど私は努めて冷静さを装う。前の彼の時にように、きちんと話をしないまま有耶無耶に終わらせたくないから。 意を決して静かに尋ねた。 「どういうこと?」 「清司に頼子との絆を断ち切ってもらいます。自由になってください」 「なんでそんなこと……」 「このまま一緒にいると、いつか頼子を傷つけてしまうと思うからです」 理由を聞いても納得のできない私は、ザクロに憤りをぶつける。 「どうして? 私が年を取ったら一緒にここに戻ってくるんでしょ? 私が死ぬまでずっと一緒にいるって言ったじゃない」 ザクロは応えず、いつか聞いた言葉を静かに繰り返した。 「頼子は特別です。頼子のような主は今までいませんでした。タケル、お母さん、 それを聞いて、私は初めてザクロの悲哀を知る。 ザクロの繭が見えるのは心に傷を持つ女だけ。母をなくした子供、逆に子供を失った母親。私のように恋人を失った女もいたのだろう。 そんな女たちがザクロに望んだ姿は、失った愛する人。だからザクロは主の望む姿でそこにいればいいだけだったのだ。 身代わりのザクロにザクロ自身の心など求められていなかった。誰もザクロに人の心を教えなかったのがわかる。 私は納得のいかない失恋に傷ついてはいたけれど、彼とよりを戻したいとは思っていなかった。そのせいでザクロは、私が憧れている架空の執事姿になった。 自ら望んで身代わりに甘んじていたとはいえ、自分自身の存在を認められることは、ザクロにとってよほど特別なことなのだろう。 ようやく本当のザクロに会えたような気がするのに、どうして別れようとするのかわからない。 名前をもらって嬉しかったんじゃないの? ザクロが誰かの身代わりじゃなく、ザクロ自身でいられるのにどうして? 私の疑問を察したかのように、ザクロは続ける。 「私は主の幸せを何よりも望んでいます。たとえ主が私を必要としなくなっても、幸せでいてくれるならそれで十分満足していました。頼子にも幸せでいて欲しいと思っています。けれど私以外の誰かと幸せになっていく頼子の姿をそばで見ていることは辛くてたまらないんです」 それってあの小説の執事、ロベールと一緒だ。バレンタインの夜に見たザクロの迫真の演技は、演技じゃなかったってこと? 「私はいつかきっと頼子との約束を破ってその誰かを傷つけてしまうでしょう。だからそうなる前に頼子と別れることにしました」 なにそれ。まだ傷つけてもないのに、傷つけるかもしれないから別れるって、どんだけネガティブなの。 ていうか、前からそうだけど、私が傷つかないようにって壊れ物扱いしすぎ。反射的にイラッとして、私は怒鳴っていた。 「ふざけないでよ! こんなに依存させておいて、いまさらザクロのいない生活に戻れるわけないじゃない! 自分が辛いから逃げるなんてずるい!」 ザクロは困ったように視線を落として俯く。 「申し訳ありません。私は自分の気持ちがわからないんです。あなたの幸せを願いながら、あなたを独り占めしたいと思っています。 「何が私の幸せかなんてザクロにわかるわけないじゃない! 独り占めしたいなら独り占めしてよ!」 やっぱりザクロは人の心が今ひとつ理解できていないらしい。さっきから告白してるようなもんだよ? 私が苛つくのは、私の心の状態を知っているくせに、私の胸がきゅんと締め付けられている意味をザクロがちっとも理解していないからだ。 私の気持ちは清司の方が察しているらしい。少し呆れたように尋ねる。 「おいザクロ、本当にいいのか?」 ちらりと私を見て逡巡した後、ザクロは目を逸らしてつぶやいた。 「……お願いします」 それを受けて、清司は面倒くさそうに大きくため息をつく。そして広げた手のひらを天に向かって真っ直ぐに突き上げた。 いつもの気怠げな表情が消え、真剣な眼差しで天を振り仰ぐ。 「 清司の声に呼応するかのように雷鳴が轟いた。先ほどまで穏やかに晴れていた空を、瞬く間に暗雲が覆い隠す。 元々樹木に囲まれて薄暗かった境内はさらに暗くなってきた。薄闇の中で白い光を放つ結界がやけに眩しい。 空に広がった暗雲は、清司の頭上で徐々に厚みを増しながら、ゆっくりと渦を巻き始めた。渦の中で稲妻が走り、そのたびに雷鳴を響かせる。 雲の渦が神社を覆い隠すほど大きくなったとき、渦の中心から真っ白で超巨大な蛇が頭を覗かせた。 白蛇は神の遣いだと聞く。あれって清司が呼び出したの? もしかしてあの大蛇がザクロを食べちゃうとか!? そんなのイヤ! |
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