b123 愛、深き淵より 星野富弘 立風書房 8101
 著者星野富弘氏は1946年生まれ、群馬県東村の出身、スポーツが好きで教育学部保健体育科にすすみ、中学校の体育教師として赴任したがわずか2ヶ月後、クラブ活動指導中に誤って墜落、頸髄を損傷し、首から下が全く動かなくなってしまった。何度も死線をさまよったが、お母さんの献身的な介護と富弘氏の不屈の精神が生きる力をもたらした。それは口に筆をくわえて絵を描く詩画として結実した。本の副題に「筆をくわえて綴った生命の記録」とあるように、絶望の淵から立ち上がり心の様を素直に綴った彼の詩画は、またたく間に大勢の人を感動の渦に巻き込んでいった。彼から生きること、愛することを教わった人々は、それをさらに大勢の人へと伝え、各地で展覧会が開かれた。ふるさと東村に開設された富弘美術館には10年で400万人が訪れ、05年に国際コンペを経て新館が建てられた。この新館を06年の連休に訪れ、感動を新たにしたのをきっかけに、この本を手にした。
 この本は1981年出版、1970年の事故から79年の初の詩画展の成功を受け、退院して自宅に帰る日までを回想する形で書いている。7節に分けられたタイトル:T哀しみの青い空、U母を道づれに、V重荷を背負った人々、W字を書きたい!、X絶望のはてに、Y詩画に明日を託して、Z新たな旅立ちの日からもうかがえるように、首から下の自由を失った絶望を献身的にお母さんが支え、やがて生かされていることの意味を見つけ、それを詩画に表そうとした、壮絶な10年間の回想録で、何度も何度も目頭を熱くしてしまった。彼の素直でひたむきで崇高な心は大勢の人に生きる力を与え続けると思うが、もし彼が事故に遭わず、首から下の自由を失うことがなければ、彼から感動の詩画が生まれず、大勢の人に生きる力を与える機会もなくなってしまうことになるのだから、神は彼に託して大勢の人に生きる力を与えるために、彼を事故に遭わせたのかもしれず、彼は神の付託にみごとに応えたともいえる。ひるがえって、私を始め、生かされていることを真正面から見すえ、もっと素直にもっとひたむきに生きなければならないと思う。
 p47・・自分の弱さを包みかくす何ものもなくなってしまった今、体を動かせなくなって弱さから逃げ出すことができなくなってしまった今、言葉によって自分をとりつくろうことのできなくなってしまった今、私はほんとうの自分の姿にもどったのではないだろうか・・。
 p75・・周囲の人が不幸になったとき自分が幸福だと思い、他人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。自分は少しも変わらないのに、幸福になったり不幸になったりしてしまう。周囲に左右されない本当の幸福はないのだろうか。他人も幸福になり自分も幸福になれることはないのだろうか。
 p85・・ありのままを見つめながら、ありのままの姿で、胸をはって生きることの勇気と、その姿の美しさを、教えられた・・。
 p106・・下手でもいいじゃないか。どんなにのろくてもいいじゃないか・・。
 p133幸せってなんだろう。喜びってなんだろう。ほんの少しだけわかったような気がした。それはどんな境遇の中にも、どんな悲惨な状態の中にもあるということが。・・病気やけがに、不幸という性格をもたせてしまうのは人の先入観や生きる姿勢のあり方ではないだろうか。
 p162・・ただ平凡な花ときめていた私の心に映らなかっただけなのだ。平凡なものの中に、底知れぬ美があるということを教えられた朝だった。
 星野富弘氏の詩画に出会い、涙して欲しいと思う。(0605読)