b137 砂漠の女 イザベル・エベラール 晶文社 9011
 著者のイザベル・エベラールはロシア系貴族の女性、時代は1900年前後、舞台のほとんどはアルジェリア、とくれば戦闘状態にあったイスラムの地でこの女性が何をしようとしていたのか、それだけでも興味を引こう。
 北西アフリカには大西洋側のモロッコ、続くアルジェリア、チュニジアの3国が並ぶ。この3国をマグレブ(太陽の沈む土地)と総称し、かつては遊牧民が、ときには助け合い、ときには戦い、住みあってきた。イスラムの進出後、遊牧民のほとんどはイスラム化され、各地に都市が形成された。地中海をはさんだ対岸は西からスペイン、フランス、イタリアになり、紀元前からの交流があったが、ヨーロッパ側がキリスト教文明、アフリカ側がイスラム文明として対峙するようになる。ヨーロッパが大航海時代、産業革命を経て植民地経営に乗り出し、北アフリカではイギリス、フランス、ドイツなどの植民地戦争が始まる。イザベル・エベラールが生きたのはこの時代であった。
 当時、イスラムの世界を女性が旅をするなどは考えられなかったし、ましてや戦闘状態にあったのだから、男であっても一般人が北アフリカを取材することは至難だったと想像される。にもかかわらず、イザベル・エベラールは男装して、遊牧民と語り合い、マグレブのすばらしい風景に感動し、その紀行文をヨーロッパに送り続けた。この本の大半はヨーロッパで発行された紀行文、取材記録になる。しかし、27歳の時に大洪水に遭遇し、息を引き取ってしまう。あまりにも早すぎた死であったが、彼女の紀行文が大勢に感動を与え続けていたため、死後、取材メモや日記、原稿が再編成され、本書となったそうだ。なぜ、彼女がマグレブの地に生涯をかけたのか、なぜ、彼女の紀行文、原稿などが再編されて出版化されたのかは、本書のどのページを読んでも理解できる。この本の適当なページから彼女の思いのいくつかを紹介したい。もちろん、訳者・中島ひかる氏の力が大きい。
 p63 静かな暑い夜、メンジル・ダール・ベル・ワルを過ぎると、眠りこけた平原から芳香、ただし重苦しい、むっとする匂いが立ち昇り始める。・・・私は誰も知った人のいないそこへ、さしあたり目的もなく、取り立てて特に旅程を定めることもなく、出かけようとしていた・・・・私の魂は平静で、新たな土地への到着に伴うすべての喜ばしい感覚を受け入れようとしていた。
 p265 ・・・冬の日が黒い石の連なる大高原の上に昇った。地平線では、ズファナの砂丘の上、硫黄を含んだような微光に、重い灰色の雲が青ざめ、もやのかかった山や丘は、不透明な空に、中間色を帯びて、ぼんやりとした姿を浮かび上がらせる。・・・・砂漠は光の衣装を脱ぎ捨てた。広大な喪のヴェールが、その上をたなびいている。
 どのページも、マグレブの遊牧民や砂漠と太陽と風の風景を、選び抜かれた言葉をいかにも無造作に並べながら、読者に想起させる。同時に、そのとぎすまされた目を通して、放浪の自由とともに砂漠がすべてを飲み込んでいくような、あるいはアッラーのもとでの無力のような諦念を感じる。それが本文を感動的に仕上げているのかも知れない。(0702読)