b400 ピエタ 大島真寿美 ポプラ社 2011
 イタリア語のpietaは慈悲、慈愛の意味になるが、一般にピエタというと、サン・ピエトロ大聖堂に飾られたミケランジェロ(1475-1564)のピエタ像に代表されるイエス・キリストを抱きかかえる聖母マリアの彫刻をイメージすることが多い。イタリア紀行・ヴェネツィア編を書くまでは、私もイエスをだいた聖母マリアの像をイメージしていた。しかし、ヴェネツィアでヴィヴァルディ(1678-1714)の教会コンサートを聞き、復習していて、ヴェネツィアのピエタ慈善院が孤児を養育していたことや、ヴィヴァルディがピエタ慈善院付設の教会堂でコンサートを開き、次々と名作を作曲していたことを知った。
 この本は、ヴェネツィアとピエタをキーワードに検索し、見つけた。主人公は孤児としてピエタ慈善院で養育され、いまは慈善院の経理や庶務の仕事を担当しているエミーリアで、エミーリアを中心に物語が展開していく。
 物語は、エミーリアと仲のいいマリーアが、ヴィヴァルディがウィーンで死んだと知らせに来たところから始まる。エミーリアもほぼ同じ時期に慈善院に引き取られた孤児で、音楽の才能に秀でていてヴィヴァルディを敬愛し、ヴィヴァルディが指導していた<合奏・合唱の娘たち>のリーダである。エミーリアとマリーアの回想が入り、ヴィヴァルディによるコンサートはたいへん評判になったが、代わり映えがしなかったためか客足が次第に遠のいてしまい、慈善院の経営が厳しくなって理事はヴィヴァルディを解雇したことが語られる。ヴィヴァルディが慈善院での活躍にもかかわらず、慈善院を解雇され、ウィーンで急死したことは史実である。著者はヴィヴァルディの史実に基づきながら、エミーリアやマリーア、あとで登場するヴェロニカ、クラウディアたちを登場させ、ヴィヴァルディの隠れた一面を浮き彫りにしようとこの本を構想したようだ。エミーリアの会話、エミーリアの心情が淡々と書かれていくのだが、エミーリアの淡々とした行動が読者を離さない。不思議と説得力のある展開である。行間には著者の温かみがあふれている。辛い話、悲しい話にもかかわらず、エミーリアたちがピエタ=慈悲の心持ちで辛さ、悲しさを受け止めていくのは、著者の生き方でもあるようだ。
 エミーリアは、<合奏・合唱の娘たち>といっしょに音楽の指導を受けた貴族のヴェロニカにヴィヴァルディが死んだことを伝えにいく。慈善院の経営は思わしくなく、ヴェロニカは少なからず寄付をしてくれていた。ヴィヴァルディの死を聞いたヴェロニカは、稽古で使っていた譜面の裏に自分の思いを綴った詩を書いてしまったので、その譜面を探してくれたら大口の寄付をすると、エミーリアに譜面探しを依頼する。物語はエミーリアの譜面探しを軸に展開していく。
 エミーリアは、かつて自分を捨てた親を探そうとしたことがある。仮面カーニヴァルの時期に、仮面をつけて慈善院をこっそり抜け出したが、街の生活を知らないエミーリアは途方に暮れる。そのとき親切な男・・もちろん仮面をつけていたが、あとでヴェロニカの兄らしいことが分かる、エミーリアの心にしっかり焼き付くが主役ではない・・の仲介で、コルテジャーナ=高級娼婦のクラウディアと知り合う。ヴェロニカに頼まれた譜面の行方が分からず打ちひしがれていたとき、フッとクラウディアに会いたくなり訪ねていく。そこで、なんと、クラウディアとヴィヴァルディが深い仲だった?ことを知る。クラウディアとヴィヴァルディのつきあいは長く、ヴィヴァルディはクラウディアのところで次々と名曲を発想したらしい。しかし、譜面の手がかりは見つからなかった。
 ヴェロニカを訪ねたらふさぎ込んでいた。フッとヴェロニカの気持ちを救えるのはクラウディアしかいないと思い、ヴェロニカをクラウディアに紹介する。なんとヴェロニカの祖父も父も、そして兄もクラウディアのところに来たことがあるそうだ。クラウディアは、祖父はヴェネツィアの貴族のなかの貴族といっていい、と誉めたたえる。この前後で、ヴェネツィアの貴族論が述べられるから、ヴェネツィアの政体についても知ることができる。クラウディアの話でヴェロニカの悩みが吹っ切れたようだ。
 話を飛ばして、クラウディアが病になって、財産も使い果たし、いまや危篤状態、との知らせがエミーリアに届く。急ぎ介抱に出向くが手の施しようが分からず、かつて<合奏・合唱の娘たち>に属していたが音楽に見切りをつけ、薬学を学び、薬屋に嫁いでいるジーナに助けを乞う。ジーナは高価なアヘンを処方し、そのお陰でクラウディアは少しずつ元気を取り戻す。さらに、ヴェロニカがクラウディアを屋敷に引き取り面倒を見てくれる。こうしてクラウディアは穏やかに死を迎えることができた。
 クラウディアの棺は、ヴィヴァルディがクラウディアのところに行くときいつも乗っていたロドヴィーゴのゴンドラに載せられた。墓地のジュデッカ島が近づくと、クラウディアから頼まれていたといって、ロドヴィーゴがヴィヴァルディから教わった歌を歌い出した。その歌こそが、ヴェロニカの譜面の裏に書いた詩だった。ヴィヴァルディはその詩が気に入り、歌にしてロドヴィーゴに教え込んだのである。
 ヴェロニカの譜面探しを軸にしながら、ヴィヴァルディの隠れた真実をを浮き彫りにしようとしている。フィクションではあっても、巧みな空想に引き込まれた。そのころの捨て子の実態、ピエタ慈善院の活動、ヴェネツィア貴族、仮面カーニヴァル、コルテジャーナ、ゴンドラといった史実に裏打ちされているためであろう。(2015.7読)