b410 地獄の静かな夜 A.J.クィネル 集英社 2001
 クィネルの本はすでに2冊読んだ。物語の展開がドラマティックでミステリアスであり、物語の舞台が実在していて臨場感もあり、暴力、殺戮シーンが多いが、それは敵対する悪に対してであって、物語の主人公は社会の裏の不正を倒そうとする一貫した主張を持っている、などが私好みだ。ペンネーム・クィネル=本名・フィリップ・ニコルソン(1940-2005)はイギリス移民の子で、生まれはローデシアだが、30代後半からマルタ共和国のゴゾ島に住まいを構え、執筆活動を始めたそうだ。主人公がゴゾ島で英気を養う場面は、私のマルタの旅の記憶を思い起こしてくれ、そうしたことも主人公に親近感を感じさせる。
 いずれも訳は大熊榮氏で、クィネルが60のころにマルタを訪ねて話を交わし、そのとき大熊氏が短編の連作を勧めたそうだ。その結果、「手錠」「愛馬グラディエーター」「バッファロー」「ヴィーナス・カプセル」「64時間」「ニューヨーク・ニューイヤー」「地獄の静かな夜」の7編の短編をおさめた「地獄の静かな夜」として刊行されたのがこの本である。
 手錠Handcuffsは、かつては外人部隊などの傭兵だった金塊強奪犯を、ロンドン警視庁のベテラン刑事がマルタ刑務所から護送することになり、乗り合わせた飛行機がテロ組織にハイジャックされる話である。ハイジャック犯によってスチュワーデスが倒され、乗客が危険にさらされるが、囚人と手錠でつながれた刑事は助けることができない。突然、囚人が刑事を殴り倒し、ハイジャック犯と手を組む。と見せかけて、囚人が元外人部隊の腕前でハイジャック犯を倒す。この機転に感心した刑事は囚人に再生の道を用意する。
 愛馬グラディエーターGradiatorは、つねづね夫から暴力を受けていた夫人がついに家出を決意し、車を走らせていて、運転を誤り、車が動かなくなるが、地獄から戻ってきたような顔の男に助けられる話である。夫人は愛馬グラディエーターを大事にしていたが、夫は家出した夫人への恨みを晴らそうとして愛馬を痛めつけたらしい。ところが興奮した愛馬が足蹴りをし、夫は息を引き取る。自業自得として事件は解決するが、あとで夫人は愛馬の蹄鉄がいつもの蹄鉄と違うことを鍛冶屋から聞く。どうやら夫人を助けてくれた男が、夫の暴力を知り、蹄鉄を使って密かに仇討ちをしたようだ。
 バッファローBuffaloは、年老いたバッファローとなんでも一流にこなすハンターのあいだに生まれた互いに相手を認めようとする気持ちのつながりをテーマにしている。ヴィーナス・カプセルThe Venus Capsuleは、宇宙で男女は愛を芽生えさせられるかの実験がテーマになっている。64時間Sixty-four Houresはオーストリア大陸を走る列車での男と女の出会い、微妙な心の動きを描き出している。ニューヨーク・ニューイヤーNew York, New Yearは引退間近の年老いた船長と議員として出世しつつある息子の確執がテーマである。
 地獄の静かな夜A Quiet Night in Hellでは、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦で大勢を拷問にかけ、殺した被告を、死にかけながらも生き抜いた証人が人違いと証言する裁判から始まる。被告はたった2年の刑を終えて故郷に帰ると、なんと被告の妹と証人が結婚していた。続きは読んでもお楽しみに。
 クィネルの長編はクリーシィシリーズを始め、悪を倒すための暴力、殺戮シーンが多いが、この短編集は暴力シーンはほとんど影を潜め、むしろヒューマニティに力点を置いた物語になっている。長編の悪を倒す正義と、短編の愛や信頼といったヒューマニティは同じカテゴリーであり、クィネルの人柄をうかがわせる。
 ただし、短編は物語が始まった途端、劇的な舞台転換とか、推理に推理を重ねたうえでのどんでん返しとか、主人公と悪との息詰まるサスペンスとかを盛り込む間もなく、完結してしまう。それぞれが短いから、通勤のときとか、待ち合わせのときとか、ちょっとした息抜きとかには読みやすいが、その分、感情移入もできないまま読み終えてしまうから、ヒューマニティの重み、著者のいわんとすることが淡白になってしまう。
 言い換えれば、短編集とは、気楽に読み流しながら、ジーンと来たり、ホロリとしたり、やったねと笑顔になったりすることができる本ということであろう。(2016.1読)