book420 アーサー王の死 サー・トマス・マロリー&ウィリアム・キャクストン ちくま文庫 1986
 2016年6月にイギリスを訪ねる予定で、予習のはじめにアーサー王の物語を読もうと思った。アーサー王と円卓の騎士の物語は子どものころに読んでいるし、映画やテレビドラマでも放映されているから、おおよその内容は分かっているつもりだった。ところが「アーサー王の死」を読んで、「遠からずとはいえ、かなり見当違い」だったことに気づかされた。子ども向けの本やドラマはテーマを限定し、テーマに沿って誇張したストーリーを完結させているから、全体像を知らないともともとの物語からそれてしまうようだ。
 伝説上のアーサー王は、6世紀にブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した君主である。ブリトン人とは、グレートブリテン島・・いまのイギリス、アイルランド、周辺の島々の総称・・に定住していたケルト系の民族である。一方のサクソン人は、いまのドイツを起源とするアングロ・サクソン人を指し、5世紀ごろからグレートブリテンに進出を始めていた。また、アーサー王の物語で主役の一人となる円卓の騎士ラーンスロットはフランス出身であり、アーサー王はローマに攻め込み皇帝を倒しているように、ヨーロッパを視野に入れた展開になっている。
 アーサー王と円卓の騎士の伝説は各地に広まっていき、それぞれ独自の物語になっていったようだ。イングランドのキリスト教聖職者ジェフリー・オブ・マンモス(1100?-1155)はアーサー王に関する伝説を集約し、1138年の「ブリタニア列王史」としてまとめた。マンモスの創作も少なくないらしいが、これが現在のアーサー王と円卓の騎士の物語の定本になったらしい。
 15世紀の中ごろ、イングランド中部に生まれた騎士サー・トマス・マロリー(1399?-1471?)が伝説を元にアーサー王の物語を書き上げた。それをイギリス初の印刷業者ウィリアム・キャクストン(1421-1491)が編集して「アーサー王の死」というタイトルを付けて1485年に出版した。マロリー版とマンモス版との相違は分からないが、もともと伝説だから本家も元祖も亜流もないだろうが・・。
 私が読んだのはこのマロリー版「アーサー王の死」の抄訳である。
目次は、
アーサー王の誕生と即位
ローマ皇帝ルーシャスを征服
ラーンスロット卿とガラハッド卿
ラーンスロットの狂気
ラーンスロット卿と王妃
グィネヴィア王妃とラーンスロット卿
最後の戦い
アーサー王の死、である。
 底流するのは、15世紀中ごろの騎士道である。随所に騎士道が散りばめられているが、p293・・立派な騎士というものはほかの立派な騎士が一大危機に直面しているのを見ると助けるものだ。不当な扱いを受けているのを見ると、義憤を覚えるものだ。・・立派な騎士というものは常に自分がそうされたいと思うことを、他人にしてあげるものだ・・に騎士道が要約される。これはアーサー王が、ラーンスロット卿について語った言葉である。
 その一方で、男女関係についての道徳観はいまとかなり違う、と感じた。そもそも、アーサー王の父ウーゼル王はティンタジェル王の妃イグレーヌに横恋慕し、魔法使いマーリンの力でティンタジェル王になりすましてイグレーヌと同衾する。その結果、生まれたのがアーサー王である。また、ペレス王の姫エレインはラーンスロット卿を恋し、やはり魔法によってラーンスロット卿が好きだったアーサー王の妃グィネヴィアになりすまして同衾し、ガラハッド・・のちに騎士になる・・をもうけている。さらには後半の山場となるアーサー王とラーンスロット卿の戦いも、グィネヴィア王妃とラーンスロット卿の不倫が原因である。男女の関係は、ギリシャ神話以来、日本でも源氏物語に語られるように、常々、争いごとの種になってきた。男と女がいて、子孫をつくるという生物の原則がある限りこのテーマは続きそうだ。
 もう一つ、気になったのは王妃の不倫がただちに火あぶりの刑にされることだ。グィネヴィア王妃は、不倫が暴かれ火あぶりになる寸前、ラーンスロット卿に助けられるが、ジャンヌ・ダルクを始め、魔女狩り、カトリックによる異端審問など、ヨーロッパでは火あぶりが認められていた。世界各地でさまざまな拷問やおぞましい処刑がなされてきた。正常な人間でも、何かのはずみで狂気に走ってしまうようだ。
 ラーンスロット卿に騎士を与え、円卓の騎士を任じたのはアーサー王である。ラーンスロット卿は騎士道の誉れ高く、常にアーサー王に従い、アーサー王を支えてきた。グィネヴィア王妃との不倫騒動が表に出て、アーサー王と戦わねばならなくなったとき、ラーンスロット卿はアーサー王とだけは戦えないと、故卿フランスに渡る。ラーンスロット卿を追いかけてアーサー王がフランスに攻め込んでくるが、留守を頼んだアーサー王の子であるモルドレッドがイングランド王位を簒奪し、グィネヴィアを妃にしようとする。とって返したアーサ王とモルドレッドとの戦いで二人は瀕死となり、息を引き取る。グィネヴィアは尼僧となり、やがて息を引き取り、ラーンスロットも僧衣をまとい、飲まず食べず、息を引き取る。
 細かくは本を読んでのお楽しみだが、イギリス人の考え方や行動規範の原点に触れることができる。(2016.5読)