book423 サンタ・クルスの真珠 アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 集英社 2002
 スペイン・セビリアはローマ帝国時代から重要拠点であり、西ゴート王国、イスラム時代、さらにはレコンキスタ後も、王都あるいは主要都市として栄え、グアダルキビル川の交易でスペイン経済の中心地となるほどの繁栄を見せたこともある。王城アルカサル、かつてのミナレットをもとに鐘楼に改修したヒラルダの塔、かつてのモスクあとに建てられた当時ヨーロッパ一の規模を誇った大聖堂が、繁栄の歴史をいまに伝えている。そのアルカサルや大聖堂のすぐ東にかつてのユダヤ人街で、その後、カトリックの上流社会が住んだサンタ・クルス地区がある。
 この本のタイトルを図書館のスペイン文学コーナーで見つけたとき、ひょっとして舞台はセビリアか、とパラパラめくった。まさにその通りで、ヒラルダの塔+大聖堂やグアダルキビル川を中心に、東側のサンタ・クルス、北側のエル・アレナル、西側のトリアナを舞台に物語が展開していた。
 ところが、原題のLa piel del tamborを直訳すると太鼓の皮フ??で、意味不明である。本文中にはpiel皮フもtambor太鼓も登場しない。深い意味がありそうだが、訳者はあとがきにも触れていない。それでも「太鼓の皮フ」では読み手がいないと判断したのか、「サンタ・クルスの真珠」として出版され、読者を獲得したようだ。サンタ・クルス=聖なる十字架はセビリアを訪ねていない人でもサンタ・クロースで馴染みがあるし、本文中でも、悲劇の女性カルロタ・ブルネルに贈られた20粒の真珠として登場するから、このタイトルは成功であろう。
 著者レベルテは1951年、スペインに生まれ、戦争ジャーナリストで活躍したあと作家に転向し、ヒット作を連発しているそうだ。
 物語は、ヴァチカンのコンピュータシステムにハッカーが侵入し、防御ネットをかいくぐって法王=教皇のパソコンに入り込み、メッセージを残していったことから始まる。メッセージには、スペイン・セビリアの商人たちが17世紀の教会を脅迫しているので、自衛のために人を殺していると記されていた。ハッカー侵入を重く見たヴァチカン外務局は、外務局の神父ロレンソ・クァルトをセビリアに派遣する。クァルトの役割は状況を正確に把握して報告書にまとめることである。
 17世紀の教会とはサンタ・クルス地区に建つヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ラグリマス教会のことで、ここで続けて二人が死んでいるのが発見され、セビリア警察がそれぞれを取り調べ、事故死であると結論づけていた。さらには、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ラグリマス教会のフェロ神父はヴァチカンに対する反感が強く、クァルトに非協力的、というより敵対していて、証言が取れない。クァルトの調査はなかなか進展しない。・・・物語の展開もきわめてゆっくりで、登場人物の生い立ちやささやかな希望、日々の暮らしぶりや考え方を繰り返し細やかに綴っていくから、劇的な展開や明晰な推理の組み立てが好みの私には、ときどきクァルトに檄を飛ばしたくなる。
 物語は、1ローマから来た男、2三人の悪党、3トリアナ地区の十一軒のバル、4オレンジとオレンジの花、5サロック船長の二十粒の真珠、6ロレンソ・クァルトのネクタイ、7アニス・デル・モノの瓶、8アンダルシアの貴婦人、9世間は広いようで狭い、10「束の間の命」、11カルロタ・ブルネルのトランク、12神の怒り、13カネラ・フィーナ号、14八時のミサ、15ビスペラス、と展開する。
 かつてスペインを二分するほどの権勢を誇った名門貴族の末裔であるブルネルはセビリアに館があり、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ラグリマス教会に私有地を寄進し、ここに葬られた。寄進の条件は、毎週木曜日にミサをあげることだった。その子孫である公爵夫人クルス・ブルネルはすでに夫はなく、侯爵としての暮らしに窮していたが、セビリアの銀行頭取が資金を出すなど面倒を見ていた。8節のアンダルシアの貴婦人とはクルス・ブルネルのことである。銀行頭取は副頭取ガビラの将来性を買って侯爵令嬢マカレナ・ブルネルと結婚させ、ゆくゆくは頭取に推挙するつもりだった。
 ところが、ガビラは一攫千金を狙い、サンタ・クルス地区の再開発をもくろんでいた。再開発地区にはヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ラグリマス教会が含まれる。そこでガビラは、秘書ペレヒルに木曜のミサができないようにするよう依頼し、大金を渡す。ペレヒルは、元偽弁護士のイブラーヒムにこの仕事を任せる。イブラーヒムは仲間の元闘牛士と元フラメンコ歌手とともに作戦を木曜のミサをさせないための作戦を練る。2節に登場する三人の悪党とは、この三人である。
 こうした傍系の話が、いずれも伏線につながっていくのだが、あちらに飛びこちらに移りながらゆっくりゆっくりと進むので、ときどき歯がゆくなってくる。終盤になって、クァルトとブルネルがベッドをともにするが、ブルネルの心は動かず、調査に限界を感じたクァルトがローマへの帰還を考え始めたころ、新たな殺人事件が起き、同時にフェロ神父が消えてしまう。そして急転直下、事件解決へ向かう。
 いろいろな伏線や登場人物から事件の全容を推測できるので、幕引きはやはりという観がなくもなく、推理小説とは言い難い。訳者はあとがきの最後で、レベルテがこれまでの作品の「知」から「心」に軸足を移したと書いている。確かに、セビリアの人々の考え方が古き時代の名残とともによく描写されていて、セビリアを身近に感じられたのも事実だ。(2016.8読)