book433 杉下右京の事件簿 碇卯人 朝日文庫 2014
 スコットランドを舞台にした本を検索して見つけた。碇卯人氏の本は初めてだし、杉下右京も分からなかったが、杉下右京とは人気のテレビドラマ「相棒」の主人公名だそうだ。碇卯人も杉下右京シリーズのときのペンネームで、ペンネームの本名?は鳥飼否宇である。テレビドラマの「相棒」ではタイトル通り右京に相棒がいたが、本の中では右京に相棒はいない。一人で事件を解決していく。テレビドラマの「相棒」は見ていないので小説の右京に相棒がいなくても違和感がないが、テレビドラマを見ている人は混乱するかも知れない。
 「・・事件簿」には、第1話「霧と樽」、第2話「ケンムンの森」の二つの事件が納められている。第1話の舞台がスコットランドで、第2話は奄美大島が舞台である。第1話ではスコッチ・ウィスキーのうんちくが語られるし、第2話でも奄美大島の特徴的な自然が紹介される。鳥飼否宇=碇卯人は見識が広く深い。ついでながら、奄美野鳥の会会長だそうだ。
 見識は広く深いが、物語の展開は平易で、さらさら読める。肩のこらない推理小説である。きっとテレビドラマの展開も平明で、その分かりやすさと右京の実直な姿勢が人気を高めているのではないだろうか。
 「・・事件簿」の右京は警視庁特命係係長・警部で、「霧と樽」では休暇でスコットランドに行ったときに事件を解明する。スコッチ・ウィスキーはp12スコットランドで製造されるウィスキーのことでその多くはハイランドで作られる。右京はB&Bの主人の紹介でスペイ川河口の蒸留所を訪ねることになった。2016年6月に英国ツアーに参加し、私もスペイサイドの蒸留所を見学し、試飲もした。私は日ごろウィスキーをたしなまないからスコッチ・ウィスキーのことはとんと分からないが、右京は訪ねた蒸留所のスチルマン=蒸留技師からも褒められるほどのスコッチ通である。
 スコッチ・ウィスキーはp27ピート=泥炭を燃やして蒸留する。ピートの独特の香りが麦芽に移り、シングル・モルトの個性になる。スペイサイドには地下に良質のピートが堆積していて、ここの蒸留所ではピートを掘り出し、伝統的な蒸留法でウィスキーを製造している。さらにp35世界で9割を占めるスコッチ・ウィスキーはトウモロコシを原料にしたグレーン・ウィスキーと混ぜ合わせたブレンデッド・ウィスキーだが、この蒸留所では単一の蒸留所で製造したものをそのまま出荷するシングル・モルト・ウィスキーを製造している。一般にp29スコッチは3年以上熟成させるが、この蒸留所ではp18林の中に5つの小さな蔵を建て、一つの蔵ごとに10樽を貯蔵して密閉し、10年ごとに10年物、20年物、30年・40年・50年物の蔵出しをしてきた。右京は50年物の蔵出しの機会に恵まれた設定である。
 蔵出し前日、右京は現在の当主と話をしていて、10年前、40年物の蔵出しのとき密閉された蔵を開けたところ、先代の当主である父が腹を強い力で圧迫されて死んでいるのが発見されたことを知る。そのとき、スコッチの神と伝承される巨人が現れたとの証言もあったが、蔵は密室状態だったため事件は迷宮入りした。
 50年物の蔵出しの当日、現場を仕切るべきスチルマンが現れない。右京を始め大勢が集まっているので、当主が左端の5番蔵の頑丈な鍵を開けて入ったところ、一つの樽が地面に落ちていて、中に虫の息のスチルマンが押し込められていた。間もなく、スチルマンは息を引き取る。またも密室での事件、しかも前日には巨人が現れていた。
 先々代が樽詰めをするとき、1番蔵の樽に101〜110、2番蔵は201〜210・・・5番蔵は501〜510の通し番号をつけていたが、10年前、先代の父が圧死した4番蔵の樽は501〜510の通し番号で、今回のスチルマンが窒息死した5番蔵は401〜410の通し番号だった。ここから右京の推理が始まり、隣の蒸留所のクーパー=樽職人の証言も取り入れ事件を解明していく。
 あちらこちらに伏線が用意してあり、右京の推理で伏線は脚光を浴び事件はあっさりと解明されるのだが、右京の推理を前面に立てているため、無理が無くはない。たとえば、蔵はレンガ造で地面の上に作られていることになっているが、いくら小規模でもレンガ積みの蔵を持ち上げたらレンガが崩れ落ちるはずだ。壁と屋根と入口扉と付帯設備が一体化されていないと原型のまま持ち上げることはできないなどなど、ときどきできすぎた展開と思うところがあった。著者は、読者がウィスキーを飲み過ぎ、判断が甘くなるのを見越しているのかも知れない。
 第2話「ケンムンの森」は、奄美大島で中国の不審船が座礁し、その船に乗っていた暴力団幹部を警視庁に護送するため奄美大島に出かけたときの事件である。これも伏線が散りばめられている。伝承のケンムンの森も伏線の一つで、ケンムンの森をヒントにこの事件も平明には解決される。(2017.2読)