book443 バルセローナにて 堀田善衛 集英社文庫 1994
 タイトルに引かれて読んだ。堀田善衛氏(1918-1998)の本は初めてだが、インターネットで調べると、多彩な作品を書いていて、芥川賞や和辻哲郎文化賞などの受賞も数多く、海外でも高く評価されていることが分かった。海外体験も多く、代表作の一つとされる1977年の「ゴヤ」のあと、スペインに滞在し、日本とスペインを行き来していて、スペインを舞台にした本も多数ある。「バルセローナにて」は1989年出版だから、70才前後の体験が下敷きになっているようだ。
 この本には「アンドリン村にて」「グラナダにて」「バルセローナにて」が収められている。タイトルから、カタルーニャの気風、あるいはサグラダ・ファミリアや旧市街の街並みのデザイン、もしくはバルセロナの印象を軽妙なタッチで描いている本だろうと想像した。
 しかし、「アンドリン村にて」を読み始めて、日々の暮らしや現地の人との会話から、社会を木にたとえるなら地上の枝振りを見るよりも根っこと木の育ち方を左右する土壌を描写しようとしていることに気づいた。アンドリン村では土地柄の説明があり、グラナダもアンダルシアの風景の感動に触れているが、バルセロナに至っては土地柄や気質にはまったく触れず、どれも現地の人との会話を下敷きにしている。
 それでも読み通したのは、筆者の読み手を話さない筆裁きのうまさで感情移入したせいである。
 「アンドリン村にて」に登場する一人はハンガリー生まれのユダヤ人である。ヒトラーが政権を握ったためスイスに逃れ写真家になり、パリに移ってジャン・コクトォに目をかけてもらったが、ドイツ軍に占領されたので南フランスに逃げたそうだ。この間、パリ警察発行の無国籍証明書で過ごし、他人のパスポートでタンジールに渡り、いまはスペイン国籍を取得して、アンドリン村で余生を過ごしている。この老人は行き先々の必要から、スペイン語、ポルトガル語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ハンガリー語、ギリシャ語、ロシア語、アラビア語を覚えたそうだ。確かに、人は国籍を示すパスポートがあるからといって生きられるわけではない。それぞれの土地で生きるには、敵ではないことを伝え、食べ物を手に入れるために言葉が分からなければならない。そもそも国によって仕分けされるから争いが起こり、殺しあいになる。国の仕分けがなければ、もっと仲良く暮らし合うことができそうだ。
 「グラナダにて」ではイスラム最後の砦グラナダを奪還したカトリック両王のイサベル女王とフェルナンド王、次女のフアナ、フアナの夫、ハプスブルク家のフィリップ、その子どものカルロス=カールが登場する。フアナやハプスブルク家の本は何冊か読んだし、スペイン訪問のとき関連して資料にも目を通しているから、フアナが狂女と呼ばれたことは理解していた、つもりだった。しかし、堀田氏はかなり詳しく資料を読み込んでいるようで、微に入り細に入りフアナについて説いている。フアナが生まれたのはレコンキスタの終盤であり、カトリック両王は各地を転戦していて流浪の生活だったらしい。一方、フィリップは権勢を誇ったハプスブルク家の血筋で、華やかな宮廷生活を送り、フアナと結婚したあとも放蕩無頼、遊びほうけ、女遊びのし放題だった。フアナの精神に異常が起きるのも当然であろう。フアナがカステーリャ女王になるやフィリップは王位を狙ってスペインに乗り込んでくる、といった裏事情が明かされていく。だからグラナダの描写はほとんどない。
 「バルセローナにて」では左足が義足の老人が登場する。老人はシチリア生まれで、祖父も父も近くの塩田労働者だったが厳しい反射のため網膜剥離になり失明してしまったため、失明を避けようとムッソリーニが志願兵を募集していた軍に入り、マラガに上陸したそうだ。フランコ指揮下のモロッコ兵が第1軍、この老人がいたイタリア軍やドイツ軍は第2軍、スペイン陸軍は第3軍と呼ばれ、共産党と無政府主義者と戦った。かなり悲惨な殺しあいを体験したらしい。ついには手投げ弾で左足を失い、内戦終了後シチリアに戻るも生きる希望も失って旅に出たところ、生きる希望が帰ってきたそうだ。このころのスペインの混乱は、「幻の祭典(book424)」や「ゲルニカに死す(book430)」と重なりあい、気分が重くなる。しかし、それが現実であり、大勢が主義のため命を落とした事実を避けてはいけない、と堀田氏は訴えかけてくる。
 観光では見えてこない歴史の真実も私たちは受け入れなければならない、と思う。観光を重視した本とあわせ読むことをお勧めしたい。(2017.6)