book454 天皇の密使 丹羽昌一 文春文庫 1998
 メキシコツアーが具体化してきたので、メキシコを舞台にした本を探して見つけた。著者は外務省入省後、キューバ、チリなどの在外勤務をしていて、スペイン語に堪能らしい。退職後、「悪魔の詩」が世界に衝撃を与えたとき、著者はアメリカ人ジャーナリストのアンブローズ・ビアス著「悪魔の辞典」を連想したそうだ。ビアスはその後メキシコに渡り、行方不明になっている。ビアスの足跡を調べているうち、在メキシコ日本人移民のために尽力した日本人外交官のことを知り、彼をモデルにこの本を著したそうだ。
 時代は、1910〜1918年のメキシコ動乱期である。p11〜にパンチョ・ビリャ率いる反乱軍の勝利、p58〜にメキシコ革命の経緯が簡単にまとめてある。そのころのアメリカの移民政策が物語の鍵になり、随所に移民の話が登場する。p61〜にはアメリカの動向も紹介されていて、メキシコ、アメリカ、日本の立ち位置が理解しやすくなっている。
 p17〜に、アステカ帝国がスペイン・コンスタドーレスによって滅ぼされ、いまのメキシコシティが建設されたこと、p20〜に欧米列強に遅れながらも日本がメキシコとの関係を深めようとしていることが紹介されている。
 主人公は、p43・・在シカゴ日本領事館外務書記生・灘謙吉27才・独身である。墨西哥駐箚大日本帝国特命全権公使・安達峰一郎から、在シカゴ領事館に、p44・・政府軍の勢力範囲内の在留邦人については公使館でも把握しているが、反乱軍が支配する北部地方は見当がつかない・・、誰かをp46・・ファレスとチワワ・・に派遣してくれと依頼が来る。そして灘が選ばれた。ところが翌日届いた公電には、p47・・叛軍の幹部に面接し邦人の保護を依頼する場合・・日本政府の官吏の資格を離れ、個人の資格で・・いかなる場合も日本政府に累を及ぼすことのなきよう・・とあった。つまり、p50・・メキシコ政府とのあいだで問題化する懼れがあり・・領事館書記生に国の代表権はない・・反乱軍と接触してもメキシコ政府に言い分けがつく・・個人的に責任を取らせる・・ということだった。
 1923年12月、灘は覚悟してシカゴ発カンザスシティ経由で、テキサス州西端のエル・パソ行き特急に乗り込む。エル・パソは通路という意味のスペイン語で、リオ・グランデ川が渡河しやすく、軍事、交通の要所として発展してきた。ホテルにチェックインし酒場で飲んでいるときに、アンブローズ・ビアスが登場する・・もちろんフィクションである・・。ビアスはp74・・自らの手で自らの命を絶つ権利を実行しようと、メキシコを目指していた。
 もう一人、支倉常長訪欧使節団が1613年にメキシコに到着し、そのときメキシコに残った日本人の末裔とされる女性が登場する。ビアスは、その女性について「梟と蛇と三日月」といった謎の言葉を残す。女性の正体、遍歴、謎の言葉、その後に起きる殺人事件の犯人との関係は最終章のp414〜で明かされる。
 灘は、ビリャ軍によって解放されたスタントン橋を渡り、ファレスに入る。検問を受けた後、日本人会長天野、副会長二宮らに会うことができた。灘たちは町から10kmを歩き、日本人の経営する農場で、150人に近い邦人と集会を持ったところ、ビリャ軍から日本特別部隊の勧誘があり、60人ぐらいが乗り気だということが分かった。灘は、日本はウェルタ現政府を合法とし、反乱軍は非合法であるから勧誘は辞退するよう説得するが物別れになる。
 翌日ファレスに来ると、司令部のモントーヤ少佐がファレスの邦人150人とチワワの邦人200人に武器を持たせ3個中隊を編成する計画で、ビリャ将軍の決裁を得ているという。灘が強く抗議すると、モントーヤ少佐はおれに逆らうなら徹底的に邪魔をすると脅してきた。難題発生である。
 3個中隊の話を農場の集会で伝えると、志願制のはずだ、メキシコ人は信用できない、ということ全会一致で集団入隊反対になった。
 チワワ行きの列車が復旧した大晦日に灘と天野ほか1名がチワワに向かった。チワワはメキシコシティとアメリカを結ぶ中継地点として栄えてきて、いまはビリャ軍の主力部隊が駐留している。翌元旦、チワワの日本人会長柳谷らと会い、集団入隊について聞くと、志願制で184名のうち120名ほどが希望しているという。
 チワワの日本人会新年会に招待された灘は、身寄りの無いメキシコ・日本の混血のアサという名の少女に出会う。・・アサの出生の秘密やその後に起きる殺人との関わりは、前述の謎の女性がp414〜で明かされる。
 灘がチワワのホテルの近くの酒場で飲んでいると、前述の謎の女性が現れた。飲んでいるうち、灘はビリャ将軍に会い邦人の保護と集団入隊計画の断念を伝えたいなどを謎の女性に話す。翌日、ビリャ将軍からの呼び出しがあった。・・灘は謎の女性が仲立ちをしたと思う。
 灘と会ったビリャ将軍は、灘は日本政府の使者ではなく天皇の個人的な使いだと思い込んでしまう。・・これがこの本のタイトルである。
 事態が進展しないまま時が過ぎ、灘が熱を出したとき、政府軍捕虜になった日本人の銃殺に立ち会わされ、灘は気を失う。その後ビリャに呼び出され、灘の失神は日本人は弱々しいと思わせる演技に違いない、天皇の命令がなければ戦場に出ないという灘の言葉を信じ、日本人部隊の話は無かったことにする、といわれた。・・失神は事実だったが、これで一件落着である。
 灘がホテルの近くのバーで飲んでいるとビアスが現れた。ビアスは、メキシコ領低カリフォルニアの綿花栽培が人手不足になっていると教えてくれた。この話を日本人会に紹介し、現地を調べることになったが、柳谷会長、続いて佐伯会計係が何者かに殺されてしまう。葬儀が一段落し、灘と天野ほか1名が現地に向かい、入植計画を練りあげる。
 間もなく、ビアスが殺される。入植計画の行方、日本人部隊断念を恨むモントーヤ、殺人事件の犯人、そして謎の女性・・あとは読んでのお楽しみに。
 この本のモデルは馬場称徳氏で松本市・馬場家の15代当主である。16代当主の依頼で馬場家の詳細な調査が行われ、のちに敷地と建物の半分が松本市に寄贈されて、一般公開されるようになった。1986年の馬場家調査には私も参加していて、文庫蔵を担当し、平面、屋根伏、外観立面、内観展開を実測し、図面化した。この本の内容とは無関係だが、甥の馬場太郎氏の解説を読んで気づいた。見事な本棟造りの馬場家を思い出した。不思議な縁である。(2017.12)