1982 生活空間再考2 「町をつくるということ」 建築とまちづくり誌
 
 町づくりにとってもっとも大事なことは、そこに住む全ての人々が、町をわがものにできることである。
 そこに住む全ての人々とは、歴史の流れの中でみれば、自分の親であり、祖父母であり、曾祖父母、そのまた曾祖父母・・・であり、また、子どもであり、孫であり、曽孫、曽・・孫であり、地理の広がりの中でみれば、兄弟であり、隣人であり、知人であり、彼等の家族・隣人であり、そのまた、家族・隣人・・・であり、つまりそのまちに関わりのある人々の全てである。
 わがものにできるとは、町に住む人々が心身ともに、自由で、快適で、納得のできる生活を送ることができることである。無論、この世の中、離れ小島での孤立した気ままな生活を送るのとはわけが違い、人々は血縁、地縁を基盤とした様々な契機でつながっているのであるから、自我の欲するままの行動は慎まねばならないのは当然であり、社会通念上の一定の規範を守るうえでの、わがものである。加えていえば、人の一生が自分の意志ならず、生を受け、育ち、死する神の思し召しの中であってみれば、幼児も老人も、男も女も、ハンディのある人も全て等しく生活を享受できること、これをお互いが共通の認識として持つこと、すなわち、全ての人が共に生きるという思想を持つことを基本としたうえでの、わがものである。
 ところが現実の毎日の生活を振り返ってみれば、町をわがものにできるどころの話ではない。借りてきた猫のようにじっとしていても、環境は日に日に悪化し、生活を脅かしつつある。
 陳述A、「いつの間にか緑豊かな自然が壊されて、造成工事が始まっています。我々の生活とは無縁のものが、我々の意志の一カケラの反映も無く作られようとしています」「弱い人が困っています。手を貸してあげねばますます弱い立場になってしまいます。明日は我が身かも知れません。皆さんの問題でもあるはずです。立ち上って下さい」
 しかし多くの人々は、スーパーの食品には不安が多いと、自然食品や無添加食品と銘うった商品を探し求める一方で、朝食抜き、流れ寿司の昼食、休日のファミリーレストランでの食事を楽しみに待つ食事形態、子どもの教育は何でもいいから早いうちにと、ピアノに英語に、体も鍛えておかねばとスイミング等々スケジュールに余すところ無しの教育方針、奥方はといえば、「子どもよ父ちゃんよ、隣だけには負けないで!、私も頑張るわ」「めざめよ、立ち上れ、男女平等なり」と内職にパートに、臨時社員にセールスウーマンに、果ては華麗なる夜の職業に精を出し、片や世帯主の肩書きを待つ主人殿は、毎日毎日ミスを出さず、問題を起こさず仕事はなるべく少なくこなし、うまく行かないことがあればナケナシの金をはたいてキャバレーヘ、「あらヘーサンしばらくね」などと言われて有頂天、懐さびしい時は安スナックのカラオケでガナリ声、へたな歌をほめられて調子に乗ってカラオケセットを買いこみ、近所迷惑も考えず歌い出す(奥方も子どももこの方が安上りと忍あるのみ、時には悪乗りして一緒に飲めや歌えの大騒ぎ)、待ちに待った日曜日はいつもより早く起き、奥方や子どもの目をすり抜けゴルフにツリに、金の無い時はソフトボールに熱中の小市民的家庭環境である。これでは、突然の事態になす術を待たないのも無理はない。
 陳述B、「皆さんは、上でもない下でもない新中間層と深く自認しているようです。最大の夢であるマイホームに安住の地を求めているように見受けられます。・・・そんなことではいけません。これでは巨大な管理機構の中に、すっかりはめこまれてしまいます。人間として主体的でなければいけません。町は皆さんが主役なのです。皆さんでつくるものなのです。・・・かけがえの無い自然を守りましょう。歴史的な景観、文化的な遺産への認識を深めましょう。生活環境を見つめ直しましょう。目覚めて下さい」
 やっと気を取り直した町の主だった人の答弁はいわく「この町からは○○先生を選出しており、町の意向は行政にしっかり反映してもらっている」、「そのような難しい問題は専門家でなければわかりません」、「賛成多数は民主主義の原則であり、絶対である。皆が良しといっているのだ、個人的な意見は控えられたい」
 町づくりとは、行政が行なうことでも、専門家に任せておくことでも無いし、まして個人のレベルの問題でも無いはずである。内田雄三氏は「手づくりの都市・住宅政策を求めて」(平凡社カルチャーtoday B住む)の中で、マンション建設反対運動に立ち上った住民が、生活環境とは何であるかに目覚め、地域空間の自主管理へと発展していく過程を報告している。これは住宅供給を旗印しとしたマンション建設計画に対し、当初は「地域空間とは異質な中高層マンションの建設により日照、日射、開放感、プライバシー等の環境が損われる」こと、「地域の将来ば自分達で決める」ことを主張して、「地域外の大手不動産資本により、地域の空間の変容が一方的かつ半強制的に進行させられることに対する抵抗」であった。
 結果的には環境協定を締結することで合意に達したのであるが、この運動の過程で、住民は一つには地域環境総体への視点を持つものとなり、一つには近隣のコミュニケーションを回復し、お互いに相手の生活を思いやりつつ行動することになるという大きな成果を得た、と述べている。さらに氏は、運動の中で日照の意味に始まり環境の意味、空間の意味について人々が自分の問題として深化させ、豊富化させるとともに、直接的なコミュニケーションを回復し、地域に対する共同主観をつくり得たという意義は大きなものであり、行政から示される計画や政策に対し住民が検討し賛否を表現する形では、住民の環境や空間へ具体的に関与する機会を奪い、地域の共同主観の形成、すなわち、町づくりの芽を摘みとってしまうと指摘している。
 私が専門委員の1 人として関わってきた、S地区綜合10 ヵ年計画策定においても、住民一人ひとりが直接的コミュニケーションを軸に、共有の価値観を形成し、地域空間の意味を理解し豊富化していく過程をみることができる。計画の中間報告集「まちをつくるということ」から引用すると、「・・・上述のプロセスが経過する約一年間に渡り、我々は人々の間に入り直接話を聞き、地域の生活を実感として肌に感じながら作業を進めてきた・・・地域内の生活全般にわたる各集会に参加し耳を傾け、話しあい、生活そのものを共に見つめてきた・・・住民からの非常に具体的・即物的な問題提起、広汎な生活実態からの問いかけに対し、絵・模型・スライドを用いて直にコミュニケートし理解しあう形をとった。こうして共有の価値観を育て、生活の総体性を計画に落しこむ努力を住民とともに続けるなかで、彼等は次のようなすばらしいまちづくり6 原則を打ちたてたのである。
1.ここは、われわれの永住する町である
2.すべての地域住民を対象とする町づくりである
3.人間のつながりを大切にする住環境づくりである
4.住民の健康を守る町づくりである
5.老人・子ども・身体障害者がのびのび生活できる町づくりである
6.近隣住民に開かれた町づくりである
 私達専門委員が果した役割は、住民が空間の意味を自から深化し共有化していくための誘発剤にすぎない。専門家の持つ知識や能力がいかに高く優れたものであっても、住民がそれを手中におさめなければ決して生きたものとはならないのである。
 このようにそこに住む全ての人々が町をわがものにするためには、@お互いを思いやり共に生きるという認識をもつこと、A町づくりの主役は自分であることに目覚め主体的に行動すること、B直接的なコミュニケーションを軸として人々がしっかり手をつなぐこと、であり、専門家の果す役割は答を提示することでは無くて、C住民のなかにあってその知識・能力を住民と共有していくこと、であると要約できよう。(1982)