1982 生活空間再考7「共属・共有・空間の身体性」 建築とまちづくり誌
 
 前回触れた「内なる」空間について、詳しく考えてみよう。
 まず″内″の語を広辞苑で調べると、(1)何かを規準とする一定の限界の中、(2)自分の属する側、(3)物事のあらわでない面、とある。対語である「外」は、(1)一定の空間的範囲があるとき、内側ではない部分、(2)自分の属する側の反対の側、(3)表にあらわれた部分、とある。つまり、内・外の語は、空間(あるいは社会)の拡がりを規定する語であって、「内」とは境界線で大きく二分した空間(社会)の、自分の属する側、外とは異なる規準を有する側、外に対し物事をあらわにしない側、を意味していることがわかる。
 このことを実際の社会の中で考える時には、「属する」や「規準」が二義的で絶対的なものではないことに注意しなくてはいけない。とりわけ昨今のように、都市化が日本中にあまねく広まり、しかも価値の規準が資本の論理に大きく影響を受ける一方で、個人の権益が大幅に増大する中では、「属する」意識は甚だ希薄となり、「規準」は多様で不安定なものとなっており、「内・外」の適用すら難しいこともある。
 最もポピュラーな事例として、家が第一にあげられる。家族の誰かが、近所や学校、勤め先で「ウチのやり方は・・・」などと言う時のウチは、家と内の音が同じではあるが、明らかに「内」の意味で用いているのである。この場合、「属する」とは家に属していること、平たく言えば家族が共に生活を営んでいることであり、「規準」とは他の家とは異なったその家固有の生活規則のようなもので、その一部を家訓として残す場合もあろうが、多くは明文化されることのないものである。そのことを含めて、その家の様子が外からはわかりにくいことが、「あらわでない」ことである。このような様態を「内」というわけである。
 この場合の「内」の概念が及ぶ空間的範囲は、家及び屋敷地である。集合住宅では一住戸分に相当しようし、下町のように路地へ生活の一部が強く拡がる場合は路地の一部も含むことになる。「内」としての空間の拡がりは、必ずしも明瞭な限界を示すわけではないが、その家族成員の固有のテリトリー(領域)と考えることができる。
 家より大きい単位としては、組(班)があげられる。近年は班の呼称の方が一般に広く用いられているが、と同時に町会・自治会活動の下位の単位程度の存在となりつつあり、組(班)としての自律性はあまり見られないことをうかがわせる。それでも「ウチ(の組)からは▽▽を役員として出します」などの用い方がしばしば見られることや、防風のための屋敷林の維持を組単位で行なったり、氏神様を組で祀ったりする調査事例から、内的な集団としての組(班)の実在をかろうじて立証することができる。
 この場合の領域としては、組(班)としての共有の空間を持たないのであれば、構成員の家及び屋敷地やこれに付随する農地山林等の集合域が相当しよう。
 さらに大きい単位としては、町会・自治会の組織があげられる。しかし、都市部ではあまりにも住民の流動化が激しく、しかも家並みが切れ目なく続いており、集団意識がかなり弱くなっている。「ウチ(の自治会)では夏祭りにダシを引きます」と言っても、構成員全員の意向でないことが多く、「内」の実体は確たるものとは言い難い。わかりやすくは農村の村を想定すると良いであろう。(合併によって作られた村とは異なる、部落の呼称の方が意味としは近い)。
 自然発生的であれ、制度的に枠組が定められたのであれ、村とは紛れもなく、鈴木栄太郎氏が「日本農村社会学原理」の中で以下に述べているように、共同体的な集団(あるいは共同体そのもの)が、ある空間的な拡りの中に長い時間をかけながら形づくってきた、歴史的実体なのである。
 「・・十種の集団がその構成員に関してきわめて緊密関係にあることである。すなわち、ある若干の集団は全く同一の成員によって構成されている。またある種の集団は相互に部分的に成員を重複し、しかも一定の範囲外に超出することをしない。これらの関係は安住する土地の上に投影されているから、土地を結びつけて考える時、より明瞭に説明できる」日本農村社会学原理(未来社)。
 それ故、村には明文化されていないが全ての村人の合意としての規範や慣習が、一定の規準として在ることを理解できよう。村人にとって、村は間違いなく「内なる」空間であり、家や組(班)より自律的で社会的であるが故に、より優位な単位なのである。
 村の領域とは、村人の居住地や農地山林の範囲を指すが、それはまた村人の共有する規範や行動における一定のモードが及ぶ地理的な範域であることも意味している。
 以上述べてきたように「内なる」空間とは、自律的な社会集団の概念であり、領域とは集団の投影としての地理的な拡りのことに他ならない。この根拠は、農村の近代化・都市化の中でかなり見えなくなりつつあるが、日本の村々の中にあることは言うまでもない。例えば村田迪雄氏は、「ムラは亡ぶ」(日本経済評論社)の中で、「内空間」の言葉を用いて同様の見解を論述している。まず氏は、仮説的に「内空間と呼びうるものがムラの重なりにおいて存在する」とし、その性質を8つあげている。概略を次に記すと、
 (1)地理的、社会的な広がりであり、境界がある
 (2)広がりは一義的に固定していない
 (3)内空間の形成には地形・景観のまとまりが関係する
 (4)境界線の外は外空間=異質空間である
 (5)外空間とは落差が存在する
 (6)空間内部にはある均質性が支配する
 (7)共属の意識が存在する
 (8)自己の内と外の等質が保証され、根源的な安らぎが得られ   る、の8点である。
 氏の論述の根拠としたのは島根の農山村であるが、堀越久甫氏の長野の農村の報告「村の中で村を考える」(NHK出版)にも類似の記述が見られることからも、「内なる」空間として村を見ることは一般化し得よう。(もっとも、村人には認識されていない場合が多い)。
 さて「内なる」空間の存在が、何故に大事なのであろうか。村田氏の言葉を借りれば、母親に抱かれた赤児が惜しみなく受けられる安らぎにも似た、根源的な安らぎを得ることができることにあろう。都会では多くの人が疎外に苦しむ状況にあるが、「内なる」空間では、外の世界では得ることのできない安らぎを享受することができるのである。
 ただし、その中に入れば誰でも安らぎを受けられるわけではない。一つには、共属の意識が必要である。村に生れ、育ち、生きているという事実、村人と共にそこで生きていくという事実に裏付けられた共属の意識である。二つには、共有の意識が必要である。村で共に生きる中で培われた、そこに住む人々に対しての、習俗や慣習に対しての、山や川や田畑などの自然環境に対しての共通の認識を等しく共有することである。三つには、空間の身体性が必要である。遊びや学びや労働の中で、空間の有り様をからだ全体で理解する内に、空間が体の延長として感じるようになることである。あるいは体が空間の一部でしかないことを身をもって理解することであるといった方がぴったりかも知れない。
 これら三つは、単独に得られるものではなく、同時進行の形で獲得できるものである。知識として観念的におぼえるのではなく、生活体験を共にする中で知らず知らずの内に認めあい、作りあい、身に付けていくものである。そうであるからこそ、安らぎの享受につながるのである。
 目をつぶっていても、道の様子、家並みを間違えることもない。離れていても、子ども達の喚声や老人達の立ち話が手に取るようにわかり、毎日の暮しもハレの日の行事も、自ずと分担や手順がわかりあえる。土の匂い、せせらぎの音、風の流れも外とは違って感じられる。それが「内なる」空間なのである。
 封建的で因習的な側面の強い村社会であるが、町づくりを考え、生活空間を計画しようとする者にとって、「:内なる」空間から学ぶことはまだまだ多い。