(1999.05.07〜05.15)
(その2)
--世界文化遺産紀行--
5月13日 今日は中国五岳のひとつ泰山の観光だ。泰山は山東省中部にある泰安市の北部にある。世界自然文化遺産に登録されている。泰山は封禅の儀式が行われたところとして有名だそうです。封禅というのは、皇帝が即位した時、皇帝の正当性を示すために天地に祀る儀式。封禅は泰安市街にある岱廟から山頂までの間で行われ、歴史上72人の皇帝が封禅の儀式を行ったという。
泰山に登るルートはいろいろあるそうですが、私たちは、バスで中天門まで行き、そこからロープウエイ(全長2078m)で南天門まで登り、そこからはもっぱら石段を息を切らして登らなくてはならない。下から続く石段での登山道と一緒になるが、その急なこと、おどろく。下なら歩くのは私たちには無理なことがわかる。この南天門からでも、頂上に近づくに従い疲れはピークに達して、立ち止まらないと続かない。頂上近くになると、多くの碑文が崖壁に記されている。これが唐磨崖で、この中に紀泰山銘之碑があり、玄宗皇帝が封禅の儀式を行った時に彫ったもので、たて13.3m、よこ5.3mの壁面に996文字が刻まれている。誰が数えたのやら・・・。
ここからさらに階段を上がると泰山山頂の玉皇頂に到着する。天柱峰ともいうそうだ。標高は1545m。ここには玉皇殿があり、玉皇大帝が祀られていて、最も位が高い神だそうだ。登山者は国内だけで300万人以上いるという。


この石段は結構きつい
唐磨崖の碑
帰りの石段もひざが笑ってとてもきついものだった。ロープウエイでくだり、今度は岱廟へ。これは山麓にあり歴代皇帝が泰山に登るときに宿泊し、大典を挙げたところという。確かに風格と威厳がある。いろいろな形の文字が刻まれた石碑(板碑とでも言ったほうがいいのかも)が数多くあった。書道の研究家だと垂涎のまとかも。広さは9.6平方kmもあって、戦国時代にはすでに廟が建っていて、泰山の神を祀った場所だという。昔は、ここで封禅の儀式を済ませるまでは皇帝とみなされなかったため、多くの皇帝がここを訪れている。
現在の岱廟は、約1000年前の北宋代に拡張された敷地と建物が基になっているとのこと。中国だからこそこんな広さが確保できたのだろうし、強い権力者がいたからこそできたのだと思う。この後は一路曲阜へ。やどは闕里賓舎(ケツリヒンシャ)、面白い名前なので一発で覚えた。低級なホテルかと思ったら、曲阜で最も高級なホテルだって・・・。失礼しました。
5月14日 今日は終日曲阜市内観光である。はじめに孔林を見学。ここは孔子とその一族の専用墓地。孔子の弟子たちが故郷から持ち寄って植えた様々な樹木がうっそうと生い茂り、その下に無数の墓碑が立ち並んでいる。ここの入口を入るとすぐに古い外壁に沿って歩くが、この壁は魯国の城壁があったところらしい。至聖林と記された門をくぐり、左の小道を進むと孔子の墓がある。偉大なる思想家孔子ここに眠るというところか。出口に近いところに孔子何代目かの孫とかいう人が参道脇で絵をかいていたが、売るためだろうと思った。
次に孔廟の見学。孔廟というのは、孔子没後の紀元前478年、魯の哀公により孔子の旧居跡に建てられたもので歴代皇帝はいずれも孔子を深く尊敬し、孔廟の規模もしだいに拡大されてきて、北京の故宮、承徳の避暑山荘と並んで中国三大古代建築の一つとされている。南側から入り、いくつかの門をくぐると、十三碑亭にでる。これは、石碑が十三の碑亭にわけて納められているもの。碑亭は金代から清代にかけて、石碑は唐代から中華民国時代にかけて建てられたもの。石碑には孔子を敬う文章が書かれている。途中で外壁に囲まれたところで、妙なる音楽が鳴っているのでガイドに調べてもらったら、孔子祭の公開練習とかいうことで、みてもいいといわれて、とびいりでみせていただいた。正装で本番さながらのようだった。まさにめっけものだった。続いて大成殿へ。高さ32m、幅54m、奥行34m、6年かかったという。中には孔子と高弟の像がある。その奥の寝殿には夫人が祀られている。孔府も見学したが、ここは、孔子直系の子孫が代々住んだ邸宅である。


孔子何代目かの子孫とか
孔子祭の公開練習


大明湖、入場料をとられる