1、小峰城三重櫓

白河の名勝・旧蹟

小峰城は、1340年南北朝時代に、結城親朝が小峰ケ岡に城を構えて、小峰城と名づけたのがはじめと言われている。しかし、後の丹羽長重築城のなわばりの一部にとりこまれたため、どの程度のものかははっきりしないらしいが、現在の本丸ふきんの崖上の一画だろうと考えられている。長重の築城の縄張りは、およそ80万平方メートルの規模の大普請だったといわれている。一国一城令がでたこともあって、堀の深さや幅、石垣の積み方や高さなど、技術的にも最高のレベルだったのではなかったかと考えられている。1632年完成といわれているので、昭和57年が、350周年にあたるそうだが、この年と翌58年に、本丸の多聞櫓下石垣が崩壊したのは何かの因縁があるのか、または単なる偶然かなどと考えると面白いかも。
この石垣は、いち早く市当局が巨費を投じて復旧させた。ただ、この小峰城は天守を含めすべてが1868年の戊辰戦争で、きれいさっぱり焼失したので石垣だけが残っているだけだったが、1991年史実に基づき木造で天守櫓(三重櫓)が復元され、1994年に前御門が復元された。また、1993年には、二の丸跡に「白河集古苑」が完成オープンした。この集古苑には中世に白河地方を領していた結城家、江戸時代に白河藩を治めた阿部家の歴史的資産を保存、展示している施設です。平屋建て土蔵スタイルの感じ。小峰城帯曲輪の一部を利用して1960年に白河バラ園が開園した。約8000平方メートルの敷地に300種6000本のバラが訪れる人の心を癒してくれる。

城山球場があったところがこうかわった

清水堀のあと

清水門

復元された前御門と三重櫓

前御門(東面にある)

前御門を入った所から三重櫓をみる

おとめ桜 真偽のほどはわかりませんが、こんな伝説があります。(この説明板にもあります)この小峰城は1632年に丹羽長重公により築城されたのですが、城の石垣が何回となく崩れたため、ついに、人柱をたてることになった。
人柱は、築城現場を最初に通った者で、身分の上下及び老若男女の区別なく選ぶこととなったらしい。たまたま、父を迎えにきた藩士和知平左ェ門の娘が不運にも現場を通り捕らえられ人柱となったと伝えられている。父は娘が来るのを見つけて、手をふって来るなと合図したが、娘はこっちへ来いと合図されたと思って急いできたともいわれるが、さだかでない。
この娘を哀れんで城内に桜が植えられ「おとめ桜」と言われるようになったという。今の桜は戦後に植えられたものである。

帯曲輪の一部にあるバラ園

三重櫓の一層にある階段

残った材木は極力使ったそうだ

三重櫓の内部

桜門跡(右方向に石段を登ると本丸御殿跡に続いている)

城の南側の芝生より三重櫓を望む

白河集古苑(結城家古文書館と阿部家名品館の二つの平屋の館がある)