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所在地:大阪市中央区千日前
最寄駅:地下鉄、近鉄、南海「難波」下車、OR 地下鉄、近鉄「日本橋」下車 |
大阪・ミナミを代表する繁華街である「千日前」や「道頓堀」については語りつくされているが、法善寺は1637年(寛永14年)上本町筋8丁目「西光院」南隣(現在の中央区上本町西5丁目)より現在地に移り[成舞家文書]、1649年(慶安2年)その南側に「竹林寺」が建立され、法善寺が始めていた千日回向を、竹林寺でも始まり、両寺でこれを続けた。
延宝の頃(1673〜81年)には両寺は「千日寺」と呼ばれるようになり、南の墓所に通じる道の両側は千日寺の前ということで「千日前」と呼ぶように成ったのもこの頃と思われる。
この地には、刑場が設けられ幕末まで続いていたが、1870年(明治3年)に刑場・墓地・火葬場共、阿倍野斎場へ移されている。 そののち、この地では見世物小屋・壮士芝居・大阪相撲などが行なわれ、次第に人が集まり、墓地・刑場の暗いイメージはなくなった。 そして1912年(明治45年)の「南の大火」で付近一帯は焼野原となったが、1914年(大正3年)に総合娯楽場「千日前楽天地」が開業し、急速に発展した。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
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おなじみの『水掛不動』は1945年(昭和20年)空襲で法善寺が壊滅状態になったの中で、唯一難をのがれている。 |
2002年9月、2003年4月との2度にわたる火災から復興。横丁の店も新しくなっている。
(写真は「正弁丹吾」の店先にある『夫婦善哉』の文学碑) |
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法善寺の境内にある墓石(水掛不動の塀の内側)。
千日前の繁華街の一角に取り残されたように存在している。ちょっと驚かされる光景である。 |
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[2003年11月1日参拝] |
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