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所在地:大阪市中央区道頓堀
最寄駅:地下鉄、近鉄、南海「難波」下車、OR 地下鉄、近鉄「日本橋」下車 |
阪神タイガースファンの飛び込みで有名な「戎橋」が架かる道頓堀川は、東横堀川と木津川をつなぐ運河で、延長距離は東西2.5Kmある。 江戸時代の初め、安井道頓・道卜の従兄弟(兄弟という説もあり)が開削したといわれている。
しかし近年いろいろな資料から、道頓は安井姓ではなく成安道頓という人で、道頓と道卜は兄弟や従兄弟ではなく、成安道頓は平野郷の人で、安井道卜は中河内郡久宝寺村の出身という説が有力となっている。[安井家由緒書(安井家文書)及び平野次郎兵衛覚書(東末吉文書)など]
このことは、安井道卜の子孫が1965年(昭和40年)に、道頓堀川の所有権をめぐり、国、大阪府、大阪市を相手に起こした裁判の過程においても、かなり明らかになっている。(11年かかった裁判の結果は、安井家の所有権は認められなかったが、先祖の道頓・道卜を功績を称えるという大岡裁きであった)
いずれにしても、道頓が始めた開墾事業を道卜が引き継ぎ[道頓は1615年(元和元年)大阪夏の陣に参戦し、戦死した]完成させたというのは事実であり、当初は「南堀」とも「新堀」とも呼ばれていた新堀川を大坂落城後、大坂を支配した松平忠明が成安らの功績を評価して『道頓堀』と名付けた。川の名に因んだ繁華街「道頓堀」は江戸期に芝居町として発展し、現在に至っているのはご承知の通りである。
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[参考資;料] 『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
『道頓堀裁判』 牧 英正著 岩波新書 |
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堺筋・日本橋の北詰めにある石碑には「贈従五位安井道頓、安井道卜紀功碑」とあり、裏面には漢文が刻まれているが、解説書などによると「道頓堀は1615年(元和元年)安井道頓・道卜の従兄弟により開削された」旨の両名らを称える表彰文が刻まれてあるそうである。
この顕彰碑は1915年(大正4年)の建立。
「紀功碑」の建立の経過については[参考資料]に記載した『道頓堀裁判』の中で、詳しく述べられている。 |
日本橋のたもとに建っている石碑。碑文には『道頓堀は「成安道頓」らが開削した』とあり、上記の裁判の結果を踏まえた記載である。
『日本橋は紀州街道の道筋として、紀州藩や岸和田藩の参勤交代道などにも利用され、大坂三郷の重要な12橋の公儀橋(幕府が直接管理する橋)の1つであった。
橋詰は、京や琴平詣りの船着き場として、多くの人々が集まり賑わった。とくに南詰めには、高札場が設けられ、道頓堀が掘られた当初より整備され、江戸時代から水陸交通、情報発信の要衝として重要な橋であった』とある。 |
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竹本座跡 |
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ビルの正面に揚げられている『道頓堀極楽商店街』のえべっさんの巨大看板。
ビルの中に漫才・落語などを公演する「えびす座」がある。 |
旧浪花座の前に建てられている「竹本座跡」の碑。
浪花座も2004年7月2日よりフードテーマパーク「サミー戎プラザ」として、リニューアルオープンした。
江戸時代より、芝居小屋として親しまれた『道頓掘五座』の内、3座までが、「食」関連の施設に生まれ変わった。
今や、道頓堀は巨大看板と、ラーメン・たこ焼きの町と化した感がある。 |