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地名の由来
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茶屋町 所在地:大阪市北区茶屋町
最寄駅:阪急京都線 梅田駅下車 徒歩5分または
地下鉄御堂筋線 梅田駅下車 徒歩8分
茶屋町は大阪市北区にある阪急電車・梅田駅ホームの高架の東側に広がる町の名前である。
茶屋町の名称は1900年(明治33年)から使われており、1924年(大正13年)までは北野の名が上についていた。
 近年再開発が進み、茶屋という名から来るイメージとは裏腹に若者の街と化した感があるが、明治の初め頃、梅田の東側は、春には菜種の花が一面に咲く美しい野原であったといわれ、大阪三郷の人々の憩いの場所となっていた。このあたりを茶屋町と呼ぶのは、同町を縦断する池田街道筋に、「鶴乃茶屋」・「車乃茶屋」・「萩乃茶屋」と呼ばれる3軒の料理茶屋が賑わっていたのに由来するという。
 また、明治中期までは料理茶屋だけでなくボート・温泉場、大弓場、料理屋が集まった大行楽地であったとのことで、1889年(明治22年)には「凌雲閣」という当時としては画期的な、天にそびえる9階建ての遊楽場が、現東梅田学習ルーム(旧東梅田小学校)付近に建てられており、現在でいうところの一大レジャーランドであった。

[参考資料]
「鶴乃茶屋跡」の石碑 茶屋町画廊の横に建つ「鶴乃茶屋跡」の碑。
「鶴乃茶屋」では豪商松並竹塘が2羽の鶴を放し飼いにしていたという。
顕彰碑 石材置き場
「茶屋町画廊」のある通りの裏手にある石碑(左側に写真)と石材の置き場。ここだけが再開発が取り残されたような一角である。
石碑は鶴乃茶屋のオーナーであった松並竹塘の業績が記されている。石材の上に「鶴乃茶屋跡」の石碑が無造作に積まれているが、表通りに建てられている石碑よりこちらの方がひびもなく、程度がよさそうだ。
MBS&梅田ロフト NU茶屋町
MBSと梅田ロフト。茶屋町の再開発のはしりのビルである。
MBSは千里山から1990年(平成2年)に茶屋町に移転して来ている。
昨年(05年)10月にオープンした「NU茶屋町」。「新しいライフスタイルを発信する」が謳い文句のファッションビル。
梅田芸術劇場 阪急インターナショナルホテル
梅田芸術劇場。この劇場はオープン当初の「飛天」⇒「梅田コマ劇場」⇒「梅田芸術劇場」と現在まで3回も名称を変えている。 梅田芸術劇場と並んで建つ34階建ての「阪急インターナショナルホテル」。左側の青いビルはMBS。

地名-009/TTL-466

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