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地名の由来
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[更新記録]
・09/7/24 八軒屋船着場の項
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ちょっと寄り道
京街道へ
 京 橋 所在地:
京橋:大阪市中央区大手前1丁目
京橋駅周辺:大阪市都島区片町、東野田3丁目
京橋はその名の通り、橋の名前で大阪城北側の寝屋川に架かり、京街道の起点でもある。その名前の由来は、京に通じる橋という意味から名づけられたという。
 橋が架けられたのは豊臣秀吉の時代といわれ、徳川時代には京橋は天神橋、天満橋などとともに、公儀橋として重要な位置づけにあり、特に京橋は別名天下橋とも呼ばれた。
 現在、京橋といえば橋のあるところから東へ約1.2Km行ったところにある「JR京橋駅」や「京阪京橋駅」を中心とした繁華街の地域を表すが、この駅の周辺には京橋を冠した町の名前は存在しない。
この辺りが京橋と呼ばれるのは、1895年(明治28年)に城東線(現環状線)「京橋駅」が開業したことに起因する。現在では上記のJR環状線を初め、学研都市線、東西線、京阪本線、地下鉄鶴見緑地線が乗り入れ、一大ターミナルを形成している。
 京橋という地名は、江戸時代にはこの寝屋川にかかる京橋の南詰めから東横堀川に架かる今橋の東詰めまでの間は、京橋1〜6丁目と呼ばれる町名があり、明治以降は京橋1〜3丁目に再編成され、東区の町名として存在した。しかし、1989年(平成元年)東区と南区が中央区に合併した際に、京橋前之町と共に消滅した。由緒ある地名がいと簡単に消え去るのは、残念なことである。
 江戸時代には京橋の袂には川魚市場もあり、秋から冬にかけては木綿の市も建ったという。
当橋は大坂の東の玄関口で水陸交通の要衝でもあったが、時代の流れと共に、鉄道が重要視されると、その役割も失い、京橋駅に主役の座を明け渡してしまった。軒を貸して(名前を貸して)、母屋を取られた感がしないでもないが。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
         『現地説明板』 
京橋 京橋
信号待ちしている車が止まっているのが京橋の橋の上。正面に大阪城が見える。 京橋は上町筋からの抜け道になっているためか車の交通量が多い。
京橋川魚市場跡 京橋の橋の上からビジネスパークを望む
京橋の橋の袂に建つ「京橋川魚市場跡」の碑。
京橋の橋の上からビジネスパークを望む。
京橋駅はビルの向こう側にある。
中央区天満橋京町の永田昆布店前に建つ「八軒家船着場の跡」碑。
この地は江戸時代は京橋4丁目、現在の町名になる前は京橋2丁目。大川に面して船着場があり、古代から渡辺の津と呼ばれ、交通の要所であった。
特に江戸時代は貨客を輸送する過書船(三十石舟)や野崎参りの川筋小船の発着で賑わったが、明治に入り鉄道が開通するにおよびその役割は終えた。

2008年(平成20年)3月新たに「八軒家船着場」がオープンし、話題を提供している。
八軒家船着場跡

京橋ターミナルの周辺
国道1号線、東野田5丁目(JR京橋駅前近く)の電柱に取り付けられている「京橋」の表示。
この付近には京橋という地名は存在しない。
京阪、JR「京橋駅」の連絡通路 JR「京橋駅」の東側の出口
京阪「京橋駅」とJR環状線「京橋駅」との連絡通路。
人の行き交いが激しい。
JR環状線「京橋駅」の東側の出口。せせこましい雰囲気がするのは昔ながらの風景で、何十年来変わっていない。
「京橋公園」 JR「京橋駅」の東側にある京橋商店街口
京阪「京橋駅」を北へ少し行くとその名も「京橋公園」があり、公園の地下1階と2階は飲食店街になっている。
公園の西側に地下鉄鶴見緑地線「京橋駅」がある。
JR環状線「京橋駅」の東側にある京橋商店街。昼間は人通りが少ないが、夜になると表情が大きく変り、会社帰りの酔客で溢れる。

地名-010/TTL591

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