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史 跡
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楠木一族の足跡へ
小楠公義戦の跡 所在地:大阪市中央区北浜東
最寄駅:地下鉄谷町線、京阪本線「天満橋」下車、大川沿い
キャッスルホテル前
地下鉄、京阪「天満橋」駅から地上に出て、川沿いの道を行くと、キャッスルホテル前に「小楠公義戦之碑」刻まれた大きな石碑が目に飛ぶ込んでくる。
 楠木正成の子正行がこの渡辺の地で戦ったとき大勝したが、そのとき、川にに落ちた敵兵を救い、衣服と、薬を与えたと伝える。 この碑は紀元2600年(昭和15年)を記念し、建立された。
 碑文は藤沢章の撰文による。これによると「楠木正行は1347年(正平2年)11月、瓜生野の戦いに、山名時氏細川顕氏を打ち破り、逃げる敵をこの川に追い詰め、500人を越える敵兵が川に落ち流された。正行は部下に命じ、これらの兵士を救い、寒天に凍れる兵士に衣服や薬を与え、京へ帰した」とある。このゆかしい行為は士道の華として、日本人の心を動かした。
  後年、日本が赤十字に加盟する際には佐野常民がこの故事を引き合いに出し、「赤十字精神の鑑である」と宣伝した。そのためもあってか日本は容易に条約加盟を認められたといわれる。
 藤沢章という人は、藤原章次郎(黄坡)と思われる。藤沢章をネットで検索してみると、国会図書館の蔵書の中に、今から丁度100年前の1909年(明治42年)宝文館が発行した『論語彙纂通解』には藤沢南岳編、藤沢章広田剛解となっており、藤沢南岳が編者で藤沢章と広田剛が解説を担当したと思われる本が見つかった。
 図書館側で付けた注釈では藤沢章は藤沢章次郎となっており、間違いないと思われる。藤原章名義の撰文はこの石碑のほか、大阪市西区にある西船場小学校に建てられている「先賢景仰碑」があり、碑文などの時は章の1字を用いたと思われる。

[参考資料] 『現地 顕彰碑』
小楠公義戦之跡碑 工事中の小楠公義戦之跡碑
2009年6月27日、石碑の前を通りかかると移転工事も最終仕上げの段階であった。
この碑は、京阪電車中之島線の工事中は別の場所に移転し、人目に触れることが出来なかったが、中之島線の開通に伴い、再び姿を現した。(2009年7月4日撮影)
八軒浜船着場 大川を行く観光船
2008年(平成20年)3月に新しく出来た八軒浜船
着場。
「小楠公義戦之碑」は上の写真、中央の白いビルの
右端の前(斜め屋根の建物の手前)にある。
 大川を行く観光船。

史跡-165/TTL-688

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